今日久しぶりにクルシナムルティの「自我の終焉」(篠崎書林)を手にしました。
何となく開いたページを読むと、私が自著の「真実の扉」に転載した文書のページが開きました。
http://hw001.spaaqs.ne.jp/true-gate/mokuji/honbun/3shou/3shou%20index.html
(上のページの文末)
真理というものをどのように捉えるかで、「そもそも真理とは何か」という命題の答えは異なります。
私は昔から真理は絶対唯一であって変わることがないという一般的な理解をしていませんでした。
それがマイノリティな概念であることは知っていましたが、真理というものは常に動いているという理解でしたので、かつて下記に示しましたクリシュナのその文書を読んで自分の考えは間違っていなかったと嬉しく思ったものでした。
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【誰か他の人を通して真理を発見するわけには行きません。真理は静止しているものではありません。それは固定した住居を持っているものではありませんし、終点や目的地もないのです。その反対に真理というものは、生きて活動しているものであり、敏捷(びんしょう)で活気に溢れているのです。どうしてそれに終点があったりするのでしょうか。真理が固定したのもであるなら、それはもはや真理ではありません。それは単なる一つの見解に過ぎません。真理は未知のものです。しかも真理を求めている精神(知識を伴う思考、あるいは潜在意識=筆者所感)は、それを決して発見できません。
なぜかと申しますと、精神は既知のものから作られているものであり、それは過去の結果、言いかえれば時間の結果であるからです。あなたはその事実を自分で観察することができるでしょう。精神は既知のものの道具であるため、それは未知のものを発見することが出来ません。精神は既知のものから既知のものへと進むことができるに過ぎないのです。】(P220―)
なかなか難しい文書ですが、「精神」をマインドの「思考」と置き換えてください。
思考は過去と未来に行きますが、未来は過去の経験から予測しているものです。
思考は決して「今この瞬間」に存在することはできません。
真理というと宇宙の大法則で常に動かないものと考えている人が多いのですが、真理というものは、謂わば・・
「あっ、そうか」・・・
・・・ なのです。
真理は絶対的な概念というよりも一つの観念として降りてきます(本当は自分が次元を変えている)。
言葉や形で求めても真理はやってきません。
真理には絶対性もありますが、私たちが真理の絶対性を求めても得ることはできません。
そこに、絶対的な神と神の子としての違いがあるのかもしれませんが、それでも私たちは常に柔軟に概念や思考による探究を止め、思考に合間に身を委ね、今ここにいるだけで(普遍的)真理と対面することができます。
何となく開いたページを読むと、私が自著の「真実の扉」に転載した文書のページが開きました。
http://hw001.spaaqs.ne.jp/true-gate/mokuji/honbun/3shou/3shou%20index.html
(上のページの文末)
真理というものをどのように捉えるかで、「そもそも真理とは何か」という命題の答えは異なります。
私は昔から真理は絶対唯一であって変わることがないという一般的な理解をしていませんでした。
それがマイノリティな概念であることは知っていましたが、真理というものは常に動いているという理解でしたので、かつて下記に示しましたクリシュナのその文書を読んで自分の考えは間違っていなかったと嬉しく思ったものでした。
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なぜかと申しますと、精神は既知のものから作られているものであり、それは過去の結果、言いかえれば時間の結果であるからです。あなたはその事実を自分で観察することができるでしょう。精神は既知のものの道具であるため、それは未知のものを発見することが出来ません。精神は既知のものから既知のものへと進むことができるに過ぎないのです。】(P220―)
なかなか難しい文書ですが、「精神」をマインドの「思考」と置き換えてください。
思考は過去と未来に行きますが、未来は過去の経験から予測しているものです。
思考は決して「今この瞬間」に存在することはできません。
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・・・ なのです。
真理は絶対的な概念というよりも一つの観念として降りてきます(本当は自分が次元を変えている)。
言葉や形で求めても真理はやってきません。
真理には絶対性もありますが、私たちが真理の絶対性を求めても得ることはできません。
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