金属を追うことは数日休みなので 今日は蘇我氏 聖徳太子 伊勢神宮 明日香村 甘樫丘
2016/12/31(土) 午前 8:50 無題 日本史 0昨日で仕事を終えたので 暇やな~
そうなると ついつい 古代史の空想にいくわ
伊勢神宮に これから向うが 伊勢神宮は 何時の時代から 皆が 参拝するようになったか とかね
ワシが興味なのは 天智天皇と藤原鎌足 の
テロ 殺人 政変と その後すぐの 白村江の戦争
蘇我氏は 全員 消されたのか とか
そんな空想
蘇我の大王は それまでの 記録を残していたと思う
・・・・・
蘇我氏 物部氏 古くからの豪族で
蘇我氏は 岡山県にも 進出してきた事は確か
これは西暦では555年 今から1460年ほども前の時代に 岡山の美作に屯倉を設置した事は ほぼ確かだと考えている 白猪屯倉の跡が トーナイ 故郷のミマサカに残る
屯倉というたら 朝廷の直轄領土ということ
日本の重要な地点には 直轄領を置いたのだ
なんで美作が重要地点なのかと言うと
鉱山があって 鉄や銅が 旧・吉備の国 ミマサカでは採れたから
( 東内 実家の神宿、村 の山には坑道の跡が多い)
蘇我氏の邸宅周辺から 出土した建物跡には 住まいの周りに 武器庫のような小さな倉庫を建てて そこには強い管理人というか見張りというかガードマンのような強者を置いた
蘇我氏の邸宅跡・・・その周辺に設置した 武器庫 ワシの実家の五矛立て の祠の造りと 何か 関係しないか と 空想を巡らしておるんや・・・
西暦645年が 乙巳の変 いっしのへん 中大兄皇子(後の天智天皇)と 中臣鎌足(藤原鎌足)が蘇我入鹿を惨殺した場面だ
もしかして もしかして その頃 蘇我氏はこの国の大王だった 可能性も絶対にないとは言い切れない
蘇我氏は そもそも 聖徳太子の親戚だし・・・
西暦645年 この年に 天智と藤原不比等の父 鎌足は 蘇我氏を殺害した
この時代が 日本が初めて 海外で戦争をして敗戦した白村江の戦いの20年ほど前
モガリ
天皇の死後 1年 遺体をおくこと
モガリは この 中大兄皇子(天智)では やっていない
この後の 天皇 天武天皇から 葬儀のありかたが変わった
現在の 今上天皇は 火葬にしてくれる事を望んでおられ、1300年以上の シキタリと
いうか 葬儀の方法を変えたい と申されておりますが 如何なものだろう
とにかく 乙巳の変 いっしのへん中大兄皇子(天智天皇)と
中臣鎌足(藤原不比等の父) は
蘇我氏の親族で蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらのやまだのいしかわのまろ)も
仲間に取り込んで 蘇我氏を殺し
その後には 蘇我倉山田石川麻呂も自殺においやっているようだ
「韓人(からひと)、鞍作(入鹿)を殺しつ」
これは 乙巳の変の 誰を指して 言っているのか???
3人 中大兄皇子(天智)、 中臣鎌足、 蘇我倉山田石川麻呂 この中の誰か
この西暦600年代に 大きく政治が動いただろう
朝鮮半島の 事情もあっただろう
その後の 時代に 大王家と婚姻を結んで権力を手中にしていく藤原氏やり方は
蘇我氏の それを真似ている所もある
ネット上では 藤原氏 初代から 2代目あたりの ご先祖は 乗っ取り屋みたいに
書いてあるモノも多い
歴史は常に 勝者が 書くということも ある
蘇我氏の 系図を 見れば見るほどに 解らないね
蘇我氏の系図の一番 上は 第八代 孝元天皇になっていて
ひ孫には 武内宿禰(たけのうちすくね) が でてくる・・・
その 子孫では 蘇我高麗(こま) とか 韓子(からこ)とかの名前をみると
朝鮮半島を経由してきたような 名前だよ・・・
とにかく 蘇我氏の邸宅周辺には 武器庫を作って建てた
ミマサカの 五矛の祠も 武器庫 ワシの血は どうも 血の気が荒い系統
それと どうも 金属 鉱山にも 無意識に強い興味がある
645年までは かなりの長い時代
蘇我氏の時代だったのでは なかろうか?
大王だったかも 知れん
乙巳の変で 天智は 蘇我氏の全てを滅ぼしたワケではなく 本家を滅ぼしたということで その後は 蘇我氏の一部は 石川を名乗り 生き残った と書いてあるものもある
その後すぐに 壬申(じんしん)の乱 ここで天智の息子が 今度は天武に負ける でしょう
この壬申の乱の時に 伊勢神宮の方向に天武は向った
伊勢神宮周辺には 伊勢神宮の信者がたくさん おったんか?
天武は それらを味方につけたか?
伊勢神宮が 出来たのは いったい何時の時代になるのじゃ???
な~~~~~んで 伊勢神宮には 天皇陛下は 御参りには なられないのだ?
判らないまんまに 伊勢神宮に なんで 人々は 御参りするのじゃ?
元・伊勢というのが 天橋立の場所にあって そこの神社は 伊勢神宮外宮におられる
豊受大神や・・・ 衣食住の神様でして・・・
とにかく 外宮から 内宮の 順で参るシキタリだそうだ
行ってくるわ
行っても 古代史は見えては来ないだろうが とにかく 参るのだ
岡山県ミマサカの ワシの村の年寄りが とぼけた事を言うのだ
伊勢神宮に ワシ等の神様も 入ってござる って 言う言い伝えなのだ
なんなんだ?
吉備の国の その昔の ご先祖も 伊勢神宮に入っていると言うのか?
なんで 皇太子は御参りになられるに 天皇陛下は御参りにはならない?
出雲大社との 関係もあるのか?
解らんな~
蘇我氏の一族で その滅ぼされた本家は 日本書記以前の 日本の大王の歴史を
書いたモノを 持っていて いっしの変 の すぐ後に 蘇我氏によって焼かれた と
あるが・・・
蘇我氏の邸宅跡の 遺跡からは 燃えカスなども 焼けた記録なども出ていない
明日香村の 甘樫丘(あまがしのおか)の 蘇我氏の邸宅跡の発掘調査
蘇我氏の墓とされる 石舞台古墳も近いぞ
石舞台 古墳 凄い 大きな石じゃ・・・
蘇我氏の家の周りには 小さな武器庫が建っていた
矛を置いておった と 思う
この時代 卑弥呼からは 400年ほども 後の時代になる
日本書記よりも 何百年も前から 何か 書かれて残されていた物はあったのでは
なかろうか
日本の古代の 大王の歴史 それを 知りたいわ
昨夜12/30 の夜は 子どもや 孫と 継体天皇(第26代)(西暦500年前後)の
墓地の周辺で 晩飯を食った
ここも 古墳だらけや
ここは トーナイのリサイクルセンター 奈佐原営業所から 1kmほど下った場所
このトーナイの 奈佐原の場所の 丘の上に 京都大学地震研究所があり
その場所に 藤原鎌足(中臣鎌足)が 西暦2千年より 少し前まで 眠っていた
その ご遺体が 見つかった場所なんや
ワシは21歳10ヶ月で この大阪府高槻市に 岡山県の里を追われて
此処に 流れ着いてきて ここで38年暮らしてきとる
何かの ご縁がある場所だと 勝手に そないに空想しとるな~
ワシの里の 五矛の祠の中に 出雲も隠れているし 蘇我氏とのご縁も感じ
藤原氏の 僕となり 一時代は 先祖は 働いたのでは ないかな~
大阪府高槻市から 交野市を抜けて 山を越えて 天川にそって
どんどん 南へ 向えば 明日香村も そう距離が遠い所ではない
日本人は 何処から来たのか 追求しとるわ
そやねん 明日香村に 甘樫丘が あり その周辺は 凄いのじゃ
それよりも 歴史が 古いのが 旧 吉備の国やねんけれどな
それは 円筒埴輪などに 詳しい人に聞けば
吉備から 畿内に人モノ文化は 来てる事は知っておられる
それは 天皇家などにも 配慮し 口に出して言えない場合は多いと思うわ
㈱トーナイ
http://tohnai.com/top_main.html
電話 072-678-1112 2016年12月31日
7時 中国向け雑品輸出
銅 アルミ ステンレス
基板 モーター 鉄
電線 機械くず 直輸出
ドル/円 116.97 +0.41 +0.35%
銅 5,518.50 +25.50 +0.46%
鉛 2,008.75 +17.50 +0.88%
アルミニウム 1,702.75 +17.50 +1.04%
ニッケル 10,057.50 -85.00 -0.84%
鉄鉱石62% 79.75
上海銅先物 45500元
http://tohnai.com/top_main.html
トーナイ此花営業所は
大阪市此花区梅町2丁目3-24
**住所をクリックでグーグル地図にリンク
【担当 上田携帯 0805 634 7747 】
///大阪港のUSJ前岩壁///
080 2466 1112( 東内 ・携帯電話)
私が電話で対応し 見積もりにも行き
私が 検収し 目方を計り 重機やリフトで 荷を降ろし
私が ネットバンクで 即 振込み致します
私が忙しいときは 職員も多数 居ます
日々 リサイクルを教えていますので
彼らにも十分に 代わりができます
090-1914-0143
2016/12/31(土) 午前 8:50 無題 日本史 0昨日で仕事を終えたので 暇やな~
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ワシが興味なのは 天智天皇と藤原鎌足 の
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そんな空想
蘇我の大王は それまでの 記録を残していたと思う
・・・・・
蘇我氏 物部氏 古くからの豪族で
蘇我氏は 岡山県にも 進出してきた事は確か
これは西暦では555年 今から1460年ほども前の時代に 岡山の美作に屯倉を設置した事は ほぼ確かだと考えている 白猪屯倉の跡が トーナイ 故郷のミマサカに残る
屯倉というたら 朝廷の直轄領土ということ
日本の重要な地点には 直轄領を置いたのだ
なんで美作が重要地点なのかと言うと
鉱山があって 鉄や銅が 旧・吉備の国 ミマサカでは採れたから
( 東内 実家の神宿、村 の山には坑道の跡が多い)
蘇我氏の邸宅周辺から 出土した建物跡には 住まいの周りに 武器庫のような小さな倉庫を建てて そこには強い管理人というか見張りというかガードマンのような強者を置いた
蘇我氏の邸宅跡・・・その周辺に設置した 武器庫 ワシの実家の五矛立て の祠の造りと 何か 関係しないか と 空想を巡らしておるんや・・・
西暦645年が 乙巳の変 いっしのへん 中大兄皇子(後の天智天皇)と 中臣鎌足(藤原鎌足)が蘇我入鹿を惨殺した場面だ
もしかして もしかして その頃 蘇我氏はこの国の大王だった 可能性も絶対にないとは言い切れない
蘇我氏は そもそも 聖徳太子の親戚だし・・・
西暦645年 この年に 天智と藤原不比等の父 鎌足は 蘇我氏を殺害した
この時代が 日本が初めて 海外で戦争をして敗戦した白村江の戦いの20年ほど前
モガリ
天皇の死後 1年 遺体をおくこと
モガリは この 中大兄皇子(天智)では やっていない
この後の 天皇 天武天皇から 葬儀のありかたが変わった
現在の 今上天皇は 火葬にしてくれる事を望んでおられ、1300年以上の シキタリと
いうか 葬儀の方法を変えたい と申されておりますが 如何なものだろう
とにかく 乙巳の変 いっしのへん中大兄皇子(天智天皇)と
中臣鎌足(藤原不比等の父) は
蘇我氏の親族で蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらのやまだのいしかわのまろ)も
仲間に取り込んで 蘇我氏を殺し
その後には 蘇我倉山田石川麻呂も自殺においやっているようだ
「韓人(からひと)、鞍作(入鹿)を殺しつ」
これは 乙巳の変の 誰を指して 言っているのか???
3人 中大兄皇子(天智)、 中臣鎌足、 蘇我倉山田石川麻呂 この中の誰か
この西暦600年代に 大きく政治が動いただろう
朝鮮半島の 事情もあっただろう
その後の 時代に 大王家と婚姻を結んで権力を手中にしていく藤原氏やり方は
蘇我氏の それを真似ている所もある
ネット上では 藤原氏 初代から 2代目あたりの ご先祖は 乗っ取り屋みたいに
書いてあるモノも多い
歴史は常に 勝者が 書くということも ある
蘇我氏の 系図を 見れば見るほどに 解らないね
蘇我氏の系図の一番 上は 第八代 孝元天皇になっていて
ひ孫には 武内宿禰(たけのうちすくね) が でてくる・・・
その 子孫では 蘇我高麗(こま) とか 韓子(からこ)とかの名前をみると
朝鮮半島を経由してきたような 名前だよ・・・
とにかく 蘇我氏の邸宅周辺には 武器庫を作って建てた
ミマサカの 五矛の祠も 武器庫 ワシの血は どうも 血の気が荒い系統
それと どうも 金属 鉱山にも 無意識に強い興味がある
645年までは かなりの長い時代
蘇我氏の時代だったのでは なかろうか?
大王だったかも 知れん
乙巳の変で 天智は 蘇我氏の全てを滅ぼしたワケではなく 本家を滅ぼしたということで その後は 蘇我氏の一部は 石川を名乗り 生き残った と書いてあるものもある
その後すぐに 壬申(じんしん)の乱 ここで天智の息子が 今度は天武に負ける でしょう
この壬申の乱の時に 伊勢神宮の方向に天武は向った
伊勢神宮周辺には 伊勢神宮の信者がたくさん おったんか?
天武は それらを味方につけたか?
伊勢神宮が 出来たのは いったい何時の時代になるのじゃ???
な~~~~~んで 伊勢神宮には 天皇陛下は 御参りには なられないのだ?
判らないまんまに 伊勢神宮に なんで 人々は 御参りするのじゃ?
元・伊勢というのが 天橋立の場所にあって そこの神社は 伊勢神宮外宮におられる
豊受大神や・・・ 衣食住の神様でして・・・
とにかく 外宮から 内宮の 順で参るシキタリだそうだ
行ってくるわ
行っても 古代史は見えては来ないだろうが とにかく 参るのだ
岡山県ミマサカの ワシの村の年寄りが とぼけた事を言うのだ
伊勢神宮に ワシ等の神様も 入ってござる って 言う言い伝えなのだ
なんなんだ?
吉備の国の その昔の ご先祖も 伊勢神宮に入っていると言うのか?
なんで 皇太子は御参りになられるに 天皇陛下は御参りにはならない?
出雲大社との 関係もあるのか?
解らんな~
蘇我氏の一族で その滅ぼされた本家は 日本書記以前の 日本の大王の歴史を
書いたモノを 持っていて いっしの変 の すぐ後に 蘇我氏によって焼かれた と
あるが・・・
蘇我氏の邸宅跡の 遺跡からは 燃えカスなども 焼けた記録なども出ていない
明日香村の 甘樫丘(あまがしのおか)の 蘇我氏の邸宅跡の発掘調査
蘇我氏の墓とされる 石舞台古墳も近いぞ
石舞台 古墳 凄い 大きな石じゃ・・・
蘇我氏の家の周りには 小さな武器庫が建っていた
矛を置いておった と 思う
この時代 卑弥呼からは 400年ほども 後の時代になる
日本書記よりも 何百年も前から 何か 書かれて残されていた物はあったのでは
なかろうか
日本の古代の 大王の歴史 それを 知りたいわ
昨夜12/30 の夜は 子どもや 孫と 継体天皇(第26代)(西暦500年前後)の
墓地の周辺で 晩飯を食った
ここも 古墳だらけや
ここは トーナイのリサイクルセンター 奈佐原営業所から 1kmほど下った場所
このトーナイの 奈佐原の場所の 丘の上に 京都大学地震研究所があり
その場所に 藤原鎌足(中臣鎌足)が 西暦2千年より 少し前まで 眠っていた
その ご遺体が 見つかった場所なんや
ワシは21歳10ヶ月で この大阪府高槻市に 岡山県の里を追われて
此処に 流れ着いてきて ここで38年暮らしてきとる
何かの ご縁がある場所だと 勝手に そないに空想しとるな~
ワシの里の 五矛の祠の中に 出雲も隠れているし 蘇我氏とのご縁も感じ
藤原氏の 僕となり 一時代は 先祖は 働いたのでは ないかな~
大阪府高槻市から 交野市を抜けて 山を越えて 天川にそって
どんどん 南へ 向えば 明日香村も そう距離が遠い所ではない
日本人は 何処から来たのか 追求しとるわ
そやねん 明日香村に 甘樫丘が あり その周辺は 凄いのじゃ
それよりも 歴史が 古いのが 旧 吉備の国やねんけれどな
それは 円筒埴輪などに 詳しい人に聞けば
吉備から 畿内に人モノ文化は 来てる事は知っておられる
それは 天皇家などにも 配慮し 口に出して言えない場合は多いと思うわ
㈱トーナイ
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ドル/円 116.97 +0.41 +0.35%
銅 5,518.50 +25.50 +0.46%
鉛 2,008.75 +17.50 +0.88%
アルミニウム 1,702.75 +17.50 +1.04%
ニッケル 10,057.50 -85.00 -0.84%
鉄鉱石62% 79.75
上海銅先物 45500元
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