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[ど根性、書評]
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ど根性nakagishiosamudokatahanseikiの梗概
●人生は辛い――どん底に苦しむ人が多い。そんな中勇気をもらえる一冊である。
●昭和13年正月元旦、世界遺産の地和歌山県田辺市本宮町に生まれた主人公〝中岸おさむ氏〟の凄絶極まる半生を克明な取材をもとに児童図書として書き綴った自分史の決定版である。貧しい環境下、親の喜ぶ顔見たさ一心で幼少より想像を絶する真夜中の肉体労働をする日々。――その様は名作おしんの男版と評された。
●加えて母の警察沙汰や主人公の万引き未遂などで周囲からの無視、登校拒否等々。主人公の置かれた環境は今風にいうと〝半端ないどん底世界〟だった。そんな中、全ての希望を失って丸裸になった時、少しずつ光が差し始めた。
●人生上を見れば際限ないが、どん底世界ではそれより下の世界は存在しない。ここでは人間は無我無欲の境地となる。中学生が真夜中の土方仕事。――夜通し土方した朝、母が運んでくれた朝飯の茶粥を学校の始業時間を気にしながらかきこんだ音無川の河原。暗く寂しい孤独の谷間で主人公を迎えてくれた運命の扉とは……。
この本は[児童図書]で、複数の学校で学校図書として認定されました。また、記述に於いてはシナリオ的表現を重視し、(会話文)はすべて方言です。難解なことばは巻末の表現解説を参考にして下さい。
著者あとがき
その後の彼の歩みをみると、培われた思考回路は単なる土木のみに限らず、全てに共通する先見の明が自然に備わっていたと見るべきである。
実際、開業に至るまての修練が彼の人生の礎石となって、その後、土木建設・関連団体理事・町議会議員歴任また、熊野本宮大社を含む“熊野本宮熊野古道巡礼道”が世界遺産に登録されると、大社の門前に広大な駐車場を備えた道の駅を建設し訪れる観光客のもてなしに寄与。殆ど期を同じくして、現在の高齢化社会を見据えた特別養護老人ホームを設立。私費を投じて温泉を掘削し県下でも珍しい温泉付き老人ホームをつくり地域貢献。
昭和初期の寒村。村一番の極貧家庭に生まれ、殆ど村八分の扱いを余儀なくされながら“どん底”を這い回った少年時代。もうこれまでかと肝をくくった瞬間、目前に開いた運命の扉。
人生、如何なる境遇に落ち込んでも、『一途に思い描く目標』があれば、必ず実現するということを身をもって実証した。そして、人間として一番大切な親孝行心。これらが彼を成功へと導いた。
いじめや無視など、教育環境が破綻をきたしている感のある現在、時代背景は違っても、この主人公が歩んだ苦悩の日々に思いを寄せるとき、何か得るものがあるのではないか。決して「人生を終わりにしたい」などというネガティブな考えを改めてくれることを願っている。
よしい ふみと
★「ど根性」書評
「ど根性」を読んで (新聞掲載順)『Web匿名』
和歌山県新宮文化協会会長 TM氏
児童図書「ど根性」発表記事を新聞で見て直ぐ買って知人にも送り紹介しています。
極貧のどん底の生活から耐え忍び苦闘して立ち上がった根性は【金次郎、おしん】そっくりで、涙と力強さをもって読ませていただきました。
万人必読の書。心から頭がさがりました。
同町三里 HK氏
午後から仕事を休み、一気に読み終えました。夜はすでに一時過ぎになり、床のなかに入り眠らねばと焦りはしたものの、深夜の河原に、言語を絶する過酷な労働に骨身を削るひとりの小学六年生が脳裏をかけ巡り、とうとう朝まで一睡もできなかった。
あまりにも凄まじい苦難の実話でした。
激動の昭和に、しかも我が郷土に、明治、大正期に見る立志伝中の人物が実在したとは……。
この本こそ、一般人はもとより青少年必読の書といわずして何といえよう。
医学博士 IG氏
地を這うような、どん底の人生から立上がる凄絶さ。誠に目を見張るような人生だと思います。
一気に読みおえた私は、目を閉じた儘、暫く放心状態でした。やがて、万感交々去来するものがありました。
今更のように、中岸さんの人間の深みを感じました。誰にでも真似る事が出来るものではありませんが、せめて心の糧にしたいものだと思います。
紀南新聞社編集長
想像を絶するような苦労を淡々と乗り越えてきた中岸さんの鋼鐵のような強い意志と精神力に感動をおぼえた。
母に心配させたくない、悲しませたくないと、がむしゃらに頑張り抜く中岸少年の姿が今も瞼に焼き付いて離れようとしない。
少年少女諸君がこの本に接するとき、今、自分たちが忘れかけている〝何か〟を思い出し、同時に、さらに大きな夢と希望を抱いてくれるであろうことを確信する。
大学講師 TW氏
児童図書「ど根性」を読みまして只々感動するばかりです。まだ幼い十一才のときより真夜中のじゃり持ち土方仕事にでて、両親を思い、家庭を思い、また、自分に打ち勝つ精神力、たくましさ、その精神の粘り強さには驚嘆するばかりです。
とくに、百頁の、母親が我が子に詫びて見送るあの情景が涙させるものでした。
大阪の釜ヶ崎で立ちん坊で働き、ドヤ街の生活をしながらよく頑張りましたことは[ど根性精神]のひと言につきるものと思います。
主人公の社会での生活された場面も、人間性の切磋琢磨が相まって築きあげられた人生観は、わたしの胸を深く打ちました。
作者が、主人公の人柄を克明に掘り起こしたこの著作は素晴らしく、その執筆に感銘いたしました。
議会議員 HY氏
嵐の中に、小さな舟が波にもまれつつ幼い魂を燃やし続ける主人公、中岸さんの人柄に感動しました。
現在の中学生や高校生に、また、ひとりでも多くの方々に、この本を読んでいただきたい。
学ぶことのみを知って、真に生きる力を失いつゝある昨今、失意のどん底にいる若者たちよ、この本の主人公中岸おさむさんのように、這い上がれ、地の底から這い上がれ。失敗を敗北であると思い込む若者。このことで、年間多くの命を自らの手で失う(自殺)。
失敗をバネにして、雑草のように生き抜いてほしい。そんな訴えをしている本が少ないなかで、「ど根性」の本は、失敗は敗北ではなく、人生のバネであり、苦労は他人のためではなく、自分のものであると教えている。
教育委員会委員長 MK氏
「ど根性」なる作品に接する機会を得て、非常に感激している。
今、わたしは、この一冊の本を読み終えたが、自分自身呆然としてしまって、何だか、自分の頭に占めていた既定の概念というものがすっかり掃き消されてしまったような気がしている。書評を書くその糸口すら直ぐに出てこない始末だ。
わたし自身の生活体験は勿論のこと、わたしの頭のなかでも想像できない、主人公おさむ君の壮絶たる生き様のなかに、現在の人々がとっくの昔に忘れてしまった人生の真の価値について答えてくれる何かがあるような気がする。
昨今、こどもたちを取り巻く環境は誠に憂慮すべきものがあり、数多くの学生諸君が学校生活のなかで、自分の生きる意味を見失い、喘ぎ苦しんでいる姿を多く目にしますが、どうしたら彼らに、それぞれの人生目標を掴ませ、自分の生き甲斐を見つけさせてやれるのか……。日夜、悩み続けている。
近年、わが国は、急激な経済発展により、国民生活は豊かになってきたが、反面、学校の荒廃等憂慮すべき問題が生じている。
社会に於ける幾つもの退廃した現象、そのなかでの家庭崩壊。併せて低学力という三重苦を抱えた現在の悩めるこどもたち。そんな彼らが、自力ではどうすることもできない苦しみのどん底から激しく訴える姿……それが、教師に或いは学校に対して苦悩をぶつける行為……。こうしたことが、校内暴力の様々な姿となってあらわれているのではないか。
この「ど根性」作品のなかで、主人公の置かれている生活実態は、現在のこどもたちと比較すれば、それは、とても想像できないほど凄まじい状況である。然し、その渦中に居ても決して自分自身を見失うことがなかった。自分の生きる目的をしっかり胸に抱いて、それを支えとして這いつくばって頑張ってきた。それには、彼自身、天性ともいうべき強じんな意思力を備えていたからだ。
そんななかで、ただ一つ、彼にとって幸いしたことは、どん底生活でも最後まで家庭が崩壊することがなかったことだ。なかでも、どっしりとした母親の愛の姿が存在していたからだと思う。だからこそ、主人公の心の裡には、親に対する孝心、貧しくとも必死で家庭を愛する心が生き続けてこられた。
そして、周りの皆が自分を蔑み、嘲笑しているなかで、自分を認めてくれ、心のなかに一筋の光をさしこんでくれた人……それは、教師、区長、役場職員だった。これらの方々の一言によって、自らのツッパリの殻を脱ぎ捨てやる気を奮起させた。ここのところを、この本の作者は、底辺に置き去りにされたこどもたちの心理をものの見事に描き出している。
わたしは、この作品のなかに生き続ける主人公の生き様に、また、彼を取り巻く環境に今更ながら教育の原点を再発見、再認識させられた気がする。
今日、わたしたちの周りを振り返ってみると、こどもたちに身体に汗して、そのなかで感動が得られるという直接体験を体感させられる機会が非常に少なくなっている。とりわけ、教育現場では五感を通して得られる喜怒哀楽感情を育てることが次第に困難になってきている。このことが、こどもたちに「根性の精神、強い意志力」を育てにくくしている原因ではないかと考える。
たしかに、この本の主人公が育った時代背景は今とは別世界の感がある。しかし、この作品のなかに脈々と流れる主題(精神的な価値)は、時代を超え、いかなる社会に於いても相通じるものがあり、作品を読む人の心を揺り動かす。
熊野本宮大社 前、宮司 QM氏
「何気なしに足元の土をつかんだ。ひと握りの土は、ほんのりと温かい。その温もりは手のひらから腕に、胸にしみこむ。おさむ少年は、生まれて初めて確かな手ごたえを感じた。よし、土で成功したる! このとき、しっかりと心に誓った」
右の文は、「ど根性」中岸おさむ土方半生記……運命の扉……章の一節である。
このとき、主人公おさむ少年は十三才。旧社地、大斎原の近くの土木作業場で休憩時のことである。この瞬間、おさむ少年は、土をとおして神との出会いを体験した。そして、熊野大神は、素晴らしい啓示を与え給うたとわたしは確信する。まさしく運命の扉がここに開かれた。
土方仕事の経験は、この時が初めてではない。既に小学校六年の年少で真夜中から夜の明けるまで土方仕事をやりぬいて家計の手助けをしている。
その後も、筆舌に尽くしがたい艱難辛苦を見事に克服して、その度毎に大きく運命を切り開いていった。
人間は誰しも、他人にはうち明けられない秘密を持つ。主人公中岸さんは、それを敢然と曝け出し、告白し、訴えた。このことは、[心のみそぎ] をなし了えたわけである。
それにしても、何と、この実録小説は素晴らしいものか。只々、頭のさがる思いがする。
新聞コラム「紀南山脈」欄より
本宮町内の中学校に務める知り合いの先生から贈られた「ど根性、中岸おさむ土方半生記」を読ませてもらった。
読むにつれて、こまやかな感情表現や、くっきりと人物を浮き彫らせた、練れた文章に引きずり込まれる一方、主人公のひたむきな生き方と、まわりの人たちのやさしさに何回となく胸がつまった。
苦しみを糧として心豊かに懸命に生きることの証を残したいという主人公の熱い思いがにじむ自分史の赤裸々さにも心打たれた。
読み終わって、わけ知り顔でいうことになりそうだが【逆境が人間をつくる】という劇的な実証を感じ取ることができたというのが率直な感想だ。
逆境というと、およそ今の生活にはそぐわない言葉かもしれない。まして、肩に食い込む痛さや空腹の辛さ、歯をくいしばっての我慢。そうした体験は正直いって現代っ子は一度も味わうことがなく、青年期に向かって走り出している。しかし、わたしたち大人は、こどもたちに何を託そうとするのか。どんな生き方を語りかけたらいいのか。
物の豊かさが心の豊かさと結びつかない現代社会のひずみや、心の貧しさを嘆く声は高い。
熟れきった繁栄社会のあとに訪れる虚しさを感じ始めたからだろうか。
そんななか、人間の美しさ、強さとは何か、……心のなかに、考える錘をたらしてくれた本書である。
開拓精神の梗概
この実話物語は、古来“魔の山”として人々を拒否し続けてきたミステリアスな山“大台ヶ原”を一人の修行者が私利私欲を顧みず命を賭して“癒やしの山”に開拓した希有な物語である。
主人公、古川嵩は20代後半、うつ病に罹り各地の病院を受診するが完治しなかった。それで、父と共に御岳山神社へ。参籠修行の結果うつ病は快癒した。彼はこのとき山岳信仰の尊さに目覚め、いつの日か御岳山のような癒やしの山を開拓したいと思った。
参籠を終えた早朝、山頂で仏陀の姿を見る。同時に不思議な言葉を聞く。それは「西国に魔の山がある…お前の来るのを待っておる」というものだった。幻聴かもと思ったが確かに彼にはそう聞こえた。
その後、元気を取り戻した嵩は、当座の生計を立てるため雑貨店を開業する。店は順調に売り上げを伸ばしていったが、数年後国全体が不況の嵐となる。その煽りで廃業した。彼は無一文になる。失意のどん底でふと御岳山頂で聞いた言葉が蘇る。そこで好機到来とばかりに魔境と言われ人々が恐れていた「大台ヶ原」開拓に乗り出す。
見所は、主人公が獰猛な日本オオカミと寝起きし、オオカミが嵩の大台ヶ原測量を手助けするところだ。
大台ヶ原の存在は、隣接する“巡礼道、熊野古道”が世界文化遺産に登録されたことで知名度は上がった。だが、全国的には知る人は少ない。同じ日本百名山でも、日本アルプス等は登山家でなくてもよく知られている。
なぜ大台ヶ原は知名度が低かったのか? 理由は、開拓されたのが大正から昭和初期だったからだ。また、他の名山のように頂上征服を目的とする山ではないからだろう。
大台ヶ原は、奈良県と三重県の境に位置する台地状の山で、標高は1695メートルと高くはない。その代わり非常にユニークな山だ。日本百名山の殆どが山頂征服を目的としているのに対して、唯一この山だけは“癒やしと自然美”に秀でた山なのだ。そのため、天空の楽園とも呼ばれている。