こぶちっ子の天天向上

平々凡々の日常生活の中にも日々の活動、眼にふれたこと、体験したこと等を日記として記録しています。楽しく元気に!

芭蕉の講座

2022-07-01 13:01:29 | 歴史

今日は午前10時より、「芭蕉の講座」に出席しましたわ~

 

会場へ向かうにもいつもなら徒歩で行きますが、この猛暑に流石に私も交通機関を利用して移動。乗るべきバスが行ってしまったわ

仕方なく陽射しに照らされながら日傘で日焼け防止策。

今日は1日なので、道路も混雑して渋滞中 下車後、一目散に会場入りと思いきや場所が不明。その場所はどこにあるの・・・

建物が広くてわかりにくいし、立て看板も無い・・・。 やっと教室入りした時には既に開始されたいましたが、5分の遅れは取り戻せました。満員の人でした。

 

松尾芭蕉は三重県伊賀市の生まれ。武士ではないけど同様の待遇を得た家で生まれたという。「芭蕉」という名前は庵にある芭蕉から寝ずけられたそうです。

「おくのほそ道」紀行文でない、フィクションの部分もあるそうです。東北から北陸そして大垣へと歩み当時としては偉大な移動だったのですね。

今日は年代をおって、芭蕉の経歴などを中心に講座が進められました。

詳細は別途書きます。

 

余りの猛暑に私の体力は追いつかず・・・・。帰路もバスで自宅付近まで


慰霊塔

2021-09-23 15:04:36 | 歴史

今日は秋のお彼岸で休日で午前の散歩に2km程離れた場所にある慰霊塔を訪れましたわ~

 

今日は気温が30℃声の真夏日になる予報で陽射しが強く日傘持参して歩きました。

この慰霊塔は市の戦没者の慰霊塔で緑多いこの場所に建てられたということが石碑に書いてありました。

緑に囲まれて、今日は残暑の陽射しが差し込んで、戦争によってお亡くなりになった人の霊がここに祀られているんですね。合掌

 

広い敷地は何故か今日はひっそり。

「さくら咲くころは帰れるかも知れぬ むなしく過ぎし六十年の年月」

戦争を知らない私は思わず涙が流れるようなこの句に私は心を打たれました。

 

今年の6月頃、この地に梟の親子が生息していたとのお話を聞きました。もう、梟親子はこの地から転居したようです。

 

お彼岸にこの地へ足を運んで・・・。お国のために命を落とした多く戦没者に合掌


菅原道真

2021-02-25 19:41:07 | 歴史

今日は何の日❓、「菅原道真の命日」ですわ~

 

菅原道真は藤原  により、大宰府へと都落ちしました。

宿舎とな名ばかりの廃墟同然の家屋だったらしいです。(現在とは違う)

 

大宰府赴任2年目の905年2月25日に亡くなられたのです。 

 

私が詩吟を習い始めて最初の練習が菅原道真作「九月十日」を思い出しました。

「去年の今夜 清涼に持す 終思の詩編独り断腸 恩賜の御衣 今此に在り 捧持毎日余香を排す」

この詩文を読んで、何と女々しい詠と思いましたが、当時の政治力により余儀なく大宰府へ転勤となったのです。

 

菅原道真の功績はその後、現在に至っても全国各地で「学問の神様」として崇められていますね。

そして、何といっても今の季節の梅がシンボル、今まさに白い雪の如く私たちの目をたのしませてくれる梅花は永遠に日本人の心を和ませてくれていますよね。

 


飯盛山

2020-10-16 18:58:00 | 歴史

今日は午後、白虎隊が集団自害の地である「飯盛山」を訪れましたわ~

 

バス停「飯盛山下」で下車。時間既に午後1時過ぎていたので昼食に「ざるそば」を食べてから石段を1歩1歩上りました。

有料ですがエスカレーターがありますが、多くの人はこの会談を目的の場所へ歩みを進めている様子。「結構きついよね~」という言葉が聞こえてきて私だけではないんだね

 

階段を昇り振り返ると会津若松市内が広がっていました。この写真は白虎隊が自害した場所。像は鶴ヶ城を見つめています。

この墓は白虎隊の墓、そして白虎隊ではないけど勇敢に戦った少年たちの墓。

墓誌を読むと私は強くこの勇敢に戦った少年たちの純真は気持ちに打たれました。

 

白虎隊の墓から少し下った場所にある「サザエ堂」

木道でこの建物が・・・何という芸慈作品なのでしょう?入場料400円を払って内部を見学。写真は天井です。地震がきたらどうなるのでしょうか?

東日本大震災にも負けずに力強く建っていました。

ピザの斜塔にも劣らないサザエ堂をうたった碑もありました。

 

さて、時間は午後3時過ぎ。風もひんやりとしてきました。