今日は会津若松の名所巡り、駅前で「1日フリー乗車券」600円を購入して駅前より出発しましたわ~
会津若松市内道路は卍のようにバスが運行されているのが特徴のようです。
今私どの方向にいるの?って感じでした。
無事に鶴ヶ城に到着。
大きな石垣に囲まれている城は立派に聳え立っていました。
城内には会津藩の歴史がたくさん展示されていました。それを読んでいると時間が足りないわ~
5層の天守閣から眺め市内とその先の山は飯豊連峰かな?
城内にある「麒閣」(りんかく)という茶室。
以下、
天正19年(1591年)、茶道の大成者である千利休は、豊臣秀吉の怒りに触れ死を命じられました。利休の茶道が途絶えるのを惜しんだ当時の会津領主蒲生氏郷は、利休の子少庵を会津にかくまい、徳川家康とともに千家復興を秀吉に願い出ました。その結果、秀吉の怒りが解け、少庵は京都に帰って千家を再興しました。千少庵の孫により、武者小路千家、表千家、裏千家の三千家が興され、今日の茶道の隆盛に至りました。
少庵が、かくまわれている間、氏郷のために作ったとされているのが「麟閣」です。千家再興の地として茶人に知られ、その故をもって他の茶室にはない、三千家各家元の扁額が掲げられています。
戊辰戦争で会津藩が敗れ若松城が取り壊される際、城下の茶人森川善兵衛は貴重な茶室が失われるのを惜
戊辰戦争で会津藩が敗れ若松城が取り壊される際、城下の茶人森川善兵衛は貴重な茶室が失われるのを惜
静かな茶室もよかったです。境内にある松の木の下にたくさんのキノコを見つけました。
広場には修学旅行?が大勢記念写真撮影していました。
石垣は立派で歴史を感じました。カメラの空データが少なくて撮影できなかったのが残念でした。
さて、次は白虎隊の飯盛山へ向かうことにしました。
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