もし、そうであったのなら、彼は天文学を通して、神の摂理の完璧さを証明しようとしただけだったのかもしれません。
それにしても、人類の進歩というものは、どうやっておきてくるものなのでしょうか?
私はそこに、動機というものが、とても大切なのではないかと感じております。
人間の欲があってこそ、進歩するのだと言う人もおります。
それも大事な一因であるのはまちがいないでしょうが、ほんとうにそれだけでいいのでしょうか?
私が考えるに、人の喜ぶ顔を見たい、また、神が自分に与えた試練である。
または、使命なのだという動機には、なかなかかなうものではないと思うのです。
葉室(はむろ)氏のように、自分の欲ではなく、人の喜ぶ顔を見たい、どうせなら、人の役に立つことをしたいと志(こころざ)したとき、天はそれをよしとして、手助けするのではないでしょうか。
特に医学の進歩というものは、そんな要素が強い分野だと思います。
病気で苦しんでいる人の、助かって喜ぶ顔を見たい。
そんな動機で医学を志す人も多かったのではないでしょうか。
昔、病気で苦しむ人がいたのでしょう。
自分の親であったり、とても身近な人が、病に苦しんでいたのかもしれません。
その苦しむ姿に、いてもたってもいられず、神に祈るということは珍しいことではありません。
また、ある人は、病に効く薬草を探して、山の奥深くに入り込んだのかもしれません。
どうしても、たすけたい大切な人のために、命がけの旅だったのかもしれません。
それは、ある意味、祈りに近いものだったはずです。
その命がけの行動に、(神は)それをよしとして、手助けすることにしたのかもしれません。
医学というものの最初のできごとは、そんな天と人とのコミュニケーションから始まったのだと、私は考えています。
もし、医学というものが、人間と神とのコミュニケーションから始まったのであれば、最後に、神との幸運な出会いが、そこには待っているのかもしれません。
今ここにある奇跡1~5をこれで終えさせていただきます。
お付き合いありがとうございました。