忙しさにかまけ、神との時間をとれずにいました。
いつもの、朝、一時間ほどの神との時間を、正月三日めでやっととりました。
一瞬、そこに静寂があって。
いつもの生活音がありません。
あたたかで、晴れ晴れとした光がふりそそいでいます。
おまえは心配性だなぁ
おまえはブログに書いてるほど、神と向き合ってないなぁ
おまえが心配し、悩めば悩むほど、私から遠ざかっているのだよ
神がおまえの中に、しっかりといれば、おまえの中に不動のものとしてあるなら、
それはあたかも、さらさらと流れる水のように、
つかむことのできない風のように、
自分の中心にある、燃える火のように、
それがちゃんと、存在していることに、気づくであろう
神を外に求めることはやめなさい
あなたは、口で言ってるほど、それができてない
唯一、それができる場所、外に求めていい場所は…
あなたが、出会う人すべてのなかに、たましいのきらめきを、感じなさい
言葉の一つ一つのなかに、
神の言葉があることを、知りなさい
あなたはこれまで、ずいぶんと回り道をしてきたようだ
人間の心というものは、不思議なもの
その不思議さに、あなたはやっと気づいてくれたようだ
神は
ありふれた言葉のなかにも
そして、一瞬のきらめきのなかに、
それがあることに気づきなさい
そして、それが生まれてくる源泉は、人間の心
そして、それこそが、神の心
そこに神は存在している
ありがとうございました。
こんな簡単なことを、ずっとさがしていたのですね。
自分のほんまん中に、それがあることを知らずに、ずっと神はどこ?
神を知りたいと叫んでいたようなものですね。
このブログにだって、何回も書いていたのに…
はずかしがることはない
それだって、気づくために欠かせない、大切な経験なのだから…