部族で生活している時代。
そこには、きっと今の生活からは考えられない、とても困難な生活があったのだと思います。
最近では、東北地方の今も昔も、変わらず寒さの厳しい地域に、古代の遺跡が発掘され驚きました。
そこには、本当の意味で、人間らしい生活があったのだよと、天はお示しくださっています。
今の時代から考えると、その粗末で不安定な生活であっても。そこには、どんなお互いであっても(強くても、弱くても、役に立っても、立たなくても、そんなこと関係なしに)尊重し、食べ物を分かち合い、たすけあう素朴な営みがありました。
いつからなのでしょうか?
文明が生まれ、豊さが生まれると同時に、豊かなものが、貧しいものを差別し、見下し、いじめも生まれました。
ただそれは、天にあっても容易に予想されることでもあったのでしょうか…
神が人間に、知恵をさずけるなかに、かならず辿(たど)らなければならない矛盾だったのかもしれません。
人間は知恵を(神から)授かれば、その知恵を使って、豊かな生活、文明を築くはずです。
しかし、それは諸刃(もろは)の剣でもあります。
頭のよいひとが、ひとを支配したり、富を独占したりする可能性があります。
そこで天は、あらかじめ、予定をたてて、そのとき、天の心を伝え、人々を導く器(うつわ)を探していたのだと思います。
そのとても有名に例が、イエスであり、ブッタでもあったのでしょう。