そう誰かが言ったとすると、その人は、人類の歴史、とくに宗教の知識がかなり不足していると言わざるえません。
2600年ほど前に、お釈迦様により(アジアの一角に)仏教がはじまり、おもに東アジアに広がっていきます。
2000年前にはキリスト教が中東ではじまり、とくに、西欧諸国に広がります。
その後、神の教えが行き渡っていない西アジア、中東諸国にムハンマド(マホメット)が現れ、イスラム教ができました。
これが世界三大宗教といわれるものです。
もちろん、世界宗教といわれるものが、必ずしもすばらしいとは限りませんが、多くの人の心を打ったのは間違いありません。
これらの宗教ができたのは、まったくの偶然ではないことは、宗教の歴史を考えるとよくわかります。
その時代の必要に応じて、本当の神の教えが、まだ行き渡っていない地域に、聖人が現れたのは偶然ではないのです。
人類が部族という単位で生活していた時代。
生きることさえ、簡単ではなく、むしろ過酷とさえいえるような環境で。
今の豊かな生活からすれば、原始的で、不安定の生活であっても、そこには素朴であっても、情愛にあふれた生き方があったのかもしれません。
それからすると、文明が生まれると同時に、豊かさと貧しさが生まれ、身分の違いも生まれました。
欲のない人間はいませんが、それがどん欲となっては、違うと言わざるえません。
力の強いものが、本来人間に必要ないはずの富を、蓄えようとしたのですね。
富はないより、あったほうがいいに決まっていますが、たった一人の独裁者のために、残りの数万、数十万の人々が苦しみにあえいでいるのなら、それは、違うと言わざるえません。
人間のほんとうの姿、ほんとうの事実はたましいであるのだから、そこには(身分などという)上下、高い低いはない。