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時の関守

宗教

物心ついて、ある程度、物事について考えることができるようになったとき、次のように考えていました。
(7~8才くらいですか)この科学文明の発達した世の中に、神などいるはずがないと。
そんなとき、偶然見た宗教のパンフレットに、載っていた文章がわたしの目に飛び込んできました。

小学生の、低学年の子供でもわかることでした。
心の捉え方次第で、物事の価値は変わる、ということでした。
私はそれまで、テストの点数が60点だと、(100点満点なので)マイナス40点と考えていました。
しかし、(0点を基準にすれば)60点もとれたということになります。
プラス思考というより、人間の思考というものは、とても欲深いものだということが(今から思うと直感的に)わかったのだと思います。

もし、次のテストに70点とれたとしても、(100点からすると)マイナス30点でしかなく、80点とったとしても同じです。
マイナス思考というより、とても欲深なのです。
もっと、もっと、欲しい。きりなく求める。得をしたい。
努力した結果ではなく、結果だけほしい。
でも、欲がなくなれば、自分の正当な評価をちゃんと認めることができます。
もっと(他人から)よく見られたい、他人(ひと)から自分の価値以上にみられたい。ほめられたい。
全部欲ですね。

これなどは、一例ですが、そのとき、私は子供ながらに、自分が見ていた世界は、自分の前面にひろがっていた(表面の)世界しか見ていなかったことに気づきました。

ふと、後ろを振り返ると、まったく彩(いろど)りの違う、鮮やかでまったく別の世界がひろがっていることに気づいたのです。

コメント一覧

tokinosekimori-kitaiwahara
さんへ
コメントありがとうございます。
私の性分として、生来が臆病なのですね。失敗しちゃいけない、また、できもしないのに、完璧をもとめる。
それは、人によく思われたい、ほめられたいという欲に起因しています。
ひとの欠点ばかり目がいく。
つまり、さまざまなものを否定的に見てしまっていました。

プライドだけが高くて、とても人間的に未熟だったのだと思います。それから、未熟とか弱さも肯定できるようになるには、とても時間がかかりました。
いまだに、アホだ、ばかだと言われると、カーっとなってしまいます。軽く受け流して、うまく返したいのに、だめですね。

この年になっても、まだ途中なのでしょうね。
575
 良い記事ですね、、
感心しております、、

 テストを例にした

減点法、、

 かなり 私たちは
受験など強いられたせいも
あるからでしょうか?
何点マイナスになった

なーんて思考を
学校でも社会でも
コレを 強要されがちです、、。

コレで もの、ひと、かね
全てうまく廻ると
錯覚し世の中全体が
どこか 強く
思いこんでいたキライが
高いのでは、ないかと、、??


 しかし、
最近の世の中をみて、、

日本全体、いや、、
もしかすると世界的に??全て、、

永らく停滞感が 感じられます、、

失われた30年

なんて日本にあてはめた
最近のことばにも
たしかありました。、、


 こうなってしまった原因って??

 、、、もしかしたら、ですが、。

貴ブログ当該記事御指摘の
話題が答えかと?、

 すなわち、

減点法に凝り固まり過ぎた、
因果応報
も 一因(原因のひとつ)なのでは?、、

とも考えております、、

 そして、
その対応策、解決策とは、、?

 貴ブログ当該記事御指摘の、、

 加点法、、

やって成果があがるたびに
評価をあげていく、
上がっていく発想法、、

これがひょっとしたら

停滞感打破する
ひとつの答えなのではないかと?

貴ブログ当該記事の御指摘は
スゴい発想なのではないかと
思います、、


 いつも私の575ブログへも
アクセスして下さり
有りがとうございます(^.^)(-.-)(__)575
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