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時の関守

宗教 (7)

神も仏もない、という言葉がありますが、それは(神仏を)否定するような意味合いにもとれますが。
あってほしい、また、あってほしかったという意味で、期待が裏切られたという意味合いが、強いように思います。
神も仏も、はなから信じる気持ちがなければ、そんな言葉さえ出てくるはずもないからです。

人はあたかも、人生のなかで、暴風にでもまきこまれるようにして、さまざまな困難に出会います。
今この瞬間にでも、(世界には)戦火にまきこまれたり、突然の病に呆然(ぼうぜん)とするしかないときだってあります。
ただそんなとき、ほんとうはそのときこそ、(人間をつくった神、親に)全身全霊をかけて向き合うべき瞬間なのだと思います。

神も仏もないと言うのは簡単ですが、その前にどれだけの人が神と向き合って、問いかけ、答えを得ようと努力したでしょうか?
はじめから、そんなことは(あるはずも)ない、できるはずもないとあきらめてはいませんか?

私の人生のなかでも、身の置き所もなく、ほんとうに苦しい時期が一度ありました。
そのとき頂いた言葉があります。そんなに難しい言葉ではありません。
でも、とても勇気をいただきました。

今が、がまんのとき
そして、心をつくるときなのだよ
お前が今まで、見ていなかった世界をみるときでもある
人ごとと思っていたことを、それを体験することによって、
はじめて(お前が)成長できるのだ
(だから)決して悪いことではない
今起きていることは、悪いことじゃないのだよ
(お前の)成長の糧(かて)なのだから

私たちは、今この瞬間(とき)に生きている世界が、全てであり、この世界に身を置く以外は術(すべ)がないと思い込んでいる。
この世界の喜び、快楽はとても手離すことなどできないほど、(自分は)夢中になっているはずだとも思っている。
でも、ほんとうは、そんなことはないのかもしれない。

物質的快楽は、ちょっと、がまんしなければならないのかもしれないが。
それを上回る、心の充足、安心、希望、信頼、責任を果たすという感動がそこにあるのかもしれない。
そんなことを、宗教はすこしだけ、垣間(かいま)見させてくれているのではないだろうか…

宗教(1~7)を、これでおえさせていただきます。
お付き合いいただき、ありがとうございました。
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