今日は詩吟の練習「大楠公」の詩文にある「豹は死して皮をとどむ」の言葉を考えてみましたわ~
この作者は徳川斉昭。では江戸末期に日本に豹はいたのか 検索の結果、昭和初期に豹は日本にやってきたようです。ならば、斉昭は既に他界しているので江戸時代は虎を豹と言っていたのか
ずっと、検察してきた結果、中国の5代史にその言葉の記載がありま
900年代の中国は戦国時代。その時代に王彦章という戦士が「豹は死して皮をとどむ、人は死して名をとどむ」という名言を残した。
それを斉昭はこの言葉を「大楠公」に引用したのです。
斉昭自身は相当な勤勉ただったのですね。
その「大楠公」がいまでも歌い続けられているってことも凄
では、私はこの詩を吟じてこの豹となり、人となって名を残すことはいいかな~
新たな知識を得られて
若い頃に朱全忠の軍に入った。そこでの戦功が優れていたため、朱全忠によって重用された。後梁建国後は、戦功により濮州・澶州刺史、汝州・鄭州防禦使、許州・滑州節度使などに就任し、920年(貞明6年)には開国侯となった。その武勇を恐れた李存勗により家族が捕えられた際は、帰順を求める使者を斬ってそれを拒んだ。その後、後唐により後梁が侵攻を受けると、彦章は北面招討使となり、百戦以上の戦いを繰り広げ後唐の侵攻を阻んだ。しかし、兗州・鄆州の境で李嗣源の大軍を前に後退し、中都に退いた際に佞臣の讒言により五百の兵で出撃するも、捕縛される。 李存勗は彦章を登用しようとしたが、彦章は「豹は死して皮を留め、人は死して名を留む」と言って帰順を拒否し斬られた。享年は61。
逸話[編集]
- 百斤の鉄槍を軽々と振るい、戦いのたびに先鋒を務め勇戦したため「王鉄槍」の異名を取った。
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