徳川慶喜log~徳川と宮家と私~

徳川慶喜家に生まれた母久美子の生涯、そして私の人生。

父・井手次郎~精強261空”虎部隊”サイパンに死すとも⑰・私の零戦④~

2019-10-04 05:00:00 | 日記
私にとっては、総攻撃の二日前、北の洞窟より一キロほど離れたこの戦闘指揮所に連絡に行った思い出の場所であり、当時のことを思い出し、まさに感慨無量であった。

最後の総攻撃の地点や、タナバク水上基地付近は、もう当時の跡形すらなく、ガラパンの街には現地の人の粗末な家屋が立ち並び、南洋興発会社跡には、製糖工場の煙突と、当時のサトウキビ運搬用の蒸気機関車、および同会社創立者の松江春治氏の銅像がそのまま残り、日本の委任統治地であった頃の面影を僅かに残している。

バンザイクリフの下から見上げると、100メートルもある切り立った崖には、米軍の艦砲射撃による弾痕が生々しく残っている。

米軍上陸地点のチャランカノアの海岸には、日本軍の砲撃で破壊された米軍の水陸両用戦車の残骸がその砲塔を紺碧の海上に現していたが、その付近を、当時のことを何も知らぬ若い男女が楽しそうに泳いでいた。

また最後の5日間、陸海軍の残存部隊や負傷者と共に過ごした北部の洞窟は、サイパン陥落後、米軍がブルトーザーで入口を塞ぎ、今は全く銀ネムノジャングルの中にあり、現地の人ですら踏み入ることのできないような場所になっていた。

(父井手次郎の手記を基にしているので、「私」の記載は父井手次郎を指す。)

徳川おてんば姫(東京キララ社)