美喜のご主人はとても寛大なかたで、彼の援助の上に彼女の行動は成り立っているのだと思う。
美喜と同じく慶喜公の血を受け継ぐものとしてはこれ程ありがたいことはないと感謝している。
姪の美喜とは前にも述べたが、24年の空白があった。
その間お互いにいろいろな事があり、特に私のことは彼女に言わせると”井手のおじちゃまには近づかないのがいい”と周りから言われており、再会した時もかなり警戒していたと言っていた。
これについて私としては全く弁解の余地がなく、認めざるを得ないのである。
60数年前には年末から年始にかけては毎年恒例行事が高輪の高松宮邸でおこなわれていた。
40数年前からは姪の美喜も参加し毎年宮邸での同じ空気を感じさせて頂いた。
その感覚は彼女と話していると次から次へと思い出が湧き出てきていつまでも会話がつきなかった。
12月26日は喜久子妃殿下のお誕生日、この日にはホテルオークラより素晴らしい大きなショートケーキが届き、それをみんなで一緒に頂いたことや、大晦日にはNHKの紅白歌合戦を両殿下とご一緒に見させて頂き、お正月には沢山のみたこともないおせち料理、1月3日は殿下の御誕辰日。
とまあ暮れから大忙し(忙しかったのは母たちであったのだが)だった。
そんな思い出話を美喜と二人でいつまでもしていた。
徳川おてんば姫(東京キララ社)
美喜と同じく慶喜公の血を受け継ぐものとしてはこれ程ありがたいことはないと感謝している。
姪の美喜とは前にも述べたが、24年の空白があった。
その間お互いにいろいろな事があり、特に私のことは彼女に言わせると”井手のおじちゃまには近づかないのがいい”と周りから言われており、再会した時もかなり警戒していたと言っていた。
これについて私としては全く弁解の余地がなく、認めざるを得ないのである。
60数年前には年末から年始にかけては毎年恒例行事が高輪の高松宮邸でおこなわれていた。
40数年前からは姪の美喜も参加し毎年宮邸での同じ空気を感じさせて頂いた。
その感覚は彼女と話していると次から次へと思い出が湧き出てきていつまでも会話がつきなかった。
12月26日は喜久子妃殿下のお誕生日、この日にはホテルオークラより素晴らしい大きなショートケーキが届き、それをみんなで一緒に頂いたことや、大晦日にはNHKの紅白歌合戦を両殿下とご一緒に見させて頂き、お正月には沢山のみたこともないおせち料理、1月3日は殿下の御誕辰日。
とまあ暮れから大忙し(忙しかったのは母たちであったのだが)だった。
そんな思い出話を美喜と二人でいつまでもしていた。
徳川おてんば姫(東京キララ社)