姪の美喜からは晩年の慶朝のことを色々聞いた。
慶朝の住んでいたひたちなか市の自宅にも案内された。
慶朝が晩年お世話になったサザコーヒーの鈴木会長にもお会いし、そこでも色々な逸話を聞くことが出来た。
”徳川慶朝”という重い名前を背負い現代の世界で生きてきた彼の苦悩は大変なものであったと思い知った。
他にもたくさん徳川を名乗る方々はおられるが、それぞれにその名前の重さを痛感しているのだと感じている。
私などは”井手”を名乗り(勿論、井手家も由緒ある家ではあるが、さすがに徳川家とはその重さは比較にならないもので)やりたい事をやりこちらから言わない限りは誰も気が付かないのであった。
姪の美喜はまさに男勝りというか、とにかく行動力のある人で趣味も多彩で、料理、ゴルフ(シングルハンディ)、クラッシック音楽のプロデュース、また自分で幾つかの楽器を演奏するといったなかなかのもので感心した。
今回の慶喜家を閉じる重責も本人は苦しみながらもとにかく何事も前向きで頑張ってくれている。
同じルーツを持つ私としては頭の下がる思いである。
徳川おてんば姫(東京キララ社)
慶朝の住んでいたひたちなか市の自宅にも案内された。
慶朝が晩年お世話になったサザコーヒーの鈴木会長にもお会いし、そこでも色々な逸話を聞くことが出来た。
”徳川慶朝”という重い名前を背負い現代の世界で生きてきた彼の苦悩は大変なものであったと思い知った。
他にもたくさん徳川を名乗る方々はおられるが、それぞれにその名前の重さを痛感しているのだと感じている。
私などは”井手”を名乗り(勿論、井手家も由緒ある家ではあるが、さすがに徳川家とはその重さは比較にならないもので)やりたい事をやりこちらから言わない限りは誰も気が付かないのであった。
姪の美喜はまさに男勝りというか、とにかく行動力のある人で趣味も多彩で、料理、ゴルフ(シングルハンディ)、クラッシック音楽のプロデュース、また自分で幾つかの楽器を演奏するといったなかなかのもので感心した。
今回の慶喜家を閉じる重責も本人は苦しみながらもとにかく何事も前向きで頑張ってくれている。
同じルーツを持つ私としては頭の下がる思いである。
徳川おてんば姫(東京キララ社)