ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

胃ろう

2012-03-28 10:20:37 | つれづれ

 

 無関係画像です。開き始めたヒヤシンス、去年父がもってきてくれたものです。

 

 

「胃ろう」は、口から食物を摂れなくなった時、胃に直接穴を開けて、チューブによる栄養を入れるもの。

経管より楽なので、今は高齢者によく使われる処置です。

医学会で、胃ろうは、それをすることによって患者のためにならない場合は、ムリにしなくていい、と。

「患者本人の尊厳を損なうとか、苦痛になる可能性があるときには、

 ムリに勧めない。またそれで亡くなることがあっても医師に責任を問わない」…だったかしら、

とにかく、何でもやればいいと言うものではないから、よく考えよう、という一歩を踏み出した感じです。

二人の患者さんと家族がリポートされ、片方は、重い認知症の母親を看ている息子さん。

医師に「職員の食事の手間が大変なので」と胃ろうを勧められて施術したわけですが、

自宅で介護を始めても、ただ時間が来ると胃に栄養物を流し込むことに、これでよかったのかと思っていると。

もう一人は、病気の母親の容態が悪化し、胃ろうにしなければ持たないといわれたけれど、

それをしてまでもと思ったので胃ろうを断り、数日後に看取った息子さん。「これでよかったと思う」と…。

 

いつまで経っても、とても難しい問題です。

私は母のことで、今でもあれでよかったかと思っていることが、ひとつあります。前に書いたかと思いますが…。

母がもう危ないとなったとき、下血が始まり、出血箇所を特定するために、胃カメラや内視鏡での検査をしたいが、

状態が悪いので、その検査がショックになって心停止もありえる、というお話しでした。

母は常々「延命はゼッタイしてくれるな」と言っておりましたので、その時は、延命しないで結構です、と

父と二人でそういったのですが…。

検査そのものも、しなくてよかったのではないか…。母は食べ物以外のものを口に入れるのがダメで、

歯医者で口を開けただけで、オエオエしていたヒトでした。いくら麻酔があるの、胃カメラ小さいのと言っても、

母は、それをされることは、とてつもなくイヤだったはずです。

家に帰ってから「検査、イヤだろうなぁ。たとえ検査して止血が成功しても、今も心不全状態で、

普通の4分の1しか心臓働いてないし…。宣告された余命の期限まではまだあるけれど、

あんまり痛いのつらいの、そういうことは、感じさせたくないなぁ。検査、断ったほうがよかったのかなぁ」と、

ずっと考えていました。深夜になって「危篤」の連絡があり、そのすぐあとになくなったわけですが、

正直「検査前でよかった」と思いました。

検査して出血箇所を見つけてほしい、止血してほしい、と言うのは、今にして思えば、

家族の「希望」だけの先行だったのではないかと…。

延命措置って、いよいよ心臓がとまったときに…と言うことだけではなくて、

母のような場合もあるわけです。もし検査も無事おわって、止血がうまくいったとしても、

母は、あと1ヶ月も生きられなかった状態でした。

医療が今ほどではなかった時代は、助けてくださいといっても、

どうにもならないことも多かったわけですが、道具や手立てが充実してくるにしたがって

「もう死なせてやってください」と願うことが、罪になるのだろうかという

新しい葛藤が生まれたわけです。

 

 

私も「いよいよの時は延命はいらない」と、主人にも言っていますが、

その「いよいよ」っていつだ…です。医師はとにかく「目の前の命を助ける」ことに、全力を注ぎます。

それを「もういいです」と決定するのは、本人か家族です。

2月に亡くなった伯父は、たべられなくなっての入院で、どうにも好転せず、

結局は高カロリー点滴を続けるしかありませんでした。

既に以前の胃がんで、胃をほとんど取っておりましたから「胃ろう」もできないし、

「腸ろう」 と言うのもありまして、胃のためにあけた穴つを使うか、まだやっていないときは

腸の近くに穴をあけますが、胃ろうと比べて、そのたびの処置に手間がかかります。

家での腸ろうはできないのが一般的です。

また、下痢をしやすくなったり、胃ろう用より管が細いので詰まりやすかったりもあります。

伯父の場合は、すでにかなり弱っていたのと、自宅で介護できないならば、と、

腸ろうは希望しませんでした。結局少しずつ弱っていくのをみているしかなかったわけです。

高齢でしたし、ずっと病院で寝たきりで家に帰れないならと、家族の出した結論でした。

私も、父から、伯父はほとんど寝ている状態だし、言葉も不明瞭。

やっと聞き取ると「足がくくられていて動かないから、自由にしてくれ」というので、

布団を上げてみたら、拘束などされていない…もう自力で足を動かすこともできなかったのですね。

伯父自身も、覚悟していたようで、息子に「オレはもう出られないから、あとをたのむ」と、

入院したころから言っていたそうです。

高カロリー点滴だけで4ヶ月生きての最後でした。伯母も後悔はない…と言っていました。

 

それぞれの最後は、ダレが決めるのか…認知症になっては、意思の確認もできません。

今から死ぬときのことなんて…と、思われるでしょうが、私はもう先の方が短いですから、

そのときになって家族が困らないように、私自身が望まぬ医療をうけなくてすむようにと、考えてしまいます。

ボケてたら何もするな、ボケてなかったら、意識なくなった時点で、それ以上のことはするな、とでも、

言っておこうかと思ってみたり、ボケても体元気だったらどーすんだ…なんて思ってみたり…。

 

伯父の四十九日は、4月の初旬の予定です。

桜の散るころでしょうか。 


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12 コメント

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錯綜しますね。 (えみこ)
2012-03-28 11:05:21
看取る側の、医療側の、見送られる側の
「想いの行方、満足」が麻の目の様になるわけですから
これでよかった、という中におとしこむのは
至難です。
常識は時間と共に変化してしまうもの。
人間としての真理が共通していれば、ブレることもすくなくなるのかな、とか思います。
私事です、今のかかりつけ医が、手をかけなきゃぽっくり死ねるよというタイプで。
その生活ならあと二年だね、とか、さらりとおっしゃいます。
最初は家族ともども混乱します。
その混乱から、いくつかを選択して組み上げる、崩れてまた組み直す。
添う、という意味を家族は、添われる意味を本人はつかんでゆく。それは、家族それぞれです。
医療はその手助けをするだけで精一杯では。
胃ろうひとつとっても、選択肢として拒否できるなら
家族に丸投げするのではなく、他の選択肢を話し合う、時間もゆるしてほしい。
孤立死があいつぐ中で、思います。
社会が痛む事件は、なくなったほしいですね。
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Unknown (陽花)
2012-03-28 11:51:24
あれこれ相手の気持ち、自分の気持ちを
考えて結論を出しても、結局は悔やむ
部分が残ってしまうのですね。
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Unknown ()
2012-03-28 18:19:23
こんにちは
病院でたくさんの患者さんを見ていますが・・・

いよいよ、の時なら、まだいいんです。
全然、いよいよじゃない、突然!(たとえば心筋梗塞で担ぎ込まれたとか脳梗塞で担ぎ込まれたとか、窒息で担ぎ込まれた!とか・・・)

そういう時は、だれもかれも、救命しか考えてません。後でどうなるかなんて、考える暇ないんですよね。

で、結果的に俗に言う植物状態(不適切ですが・・・)になってしまったときに、さてどうするか?
放っておけば、餓死です。栄養を入れれば、今の時代、1年でも10年でも点滴だけで生きられます。でも、元気に退院は不可能です。死ぬまでベッドの上です。

どんなに愛する家族でも、疲れてきますし、それぞれが生きて行かなきゃいけませんし、お金だってとてもかかります。
親兄弟ならまだいいですけど、親戚や嫁ぎ先の親族~などというレベルになると、なかなか複雑です。

まだまだ、すごい状況が、今の病院内では起きてます、書きだしたら、きりが無いし、ただの愚痴になってしまいますので、この辺で。

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Unknown (うまこ)
2012-03-28 19:09:21
ぼけて元気・・・・
悩ましいですね。
自分、上手に逝きたいです。
あ、その前にばあちゃんを上手に逝かせてあげたいけど、
丈夫だから、私の方が危うい?
困ったもんです・・・・
上手に逝くためには相当の勉強が要りますね。
返信する
友人の言葉 (akkomam)
2012-03-28 21:58:34
特養に入っているお母さまのことですが、
具合が悪くなって、入院をして、
好転したので、退院をして...と
話をしているうちにまた苦しみだし、
それを見て友人は思ったそうです。
<あんなに苦しんでいても母は生きている>
<死んで楽になることもできないなんて、
かわいそう>

なんともやりきれない言葉に最初はえっと
思いましたが、娘としてはそんな母親の
姿は辛くて悲しくて...なんでしょう。

元気ならともかく、医療によって生かされて
いる自分の姿を想像しても、切ないものがあり、私はすべてをはずして楽にしてほしいと
切に願うほうです。

これは元気なうちに家族で話し合い、
本人の尊厳を一番に考えてほしいと
重々娘には伝えています。
けど...は考えませんね、
愛とか情はそんな場面で論じられるもので
なく、普段の生活からあるものですもの、と、
言い聞かせています、納得してほしいと
願っています。
生ききることも死ぬことも難しいことです。
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Unknown (古布遊び)
2012-03-29 09:55:35
本当に難しい問題ですね~~
先日知人のお母様が逝かれましたが、倒れてから30年近く寝たきりでした。

上手に生きると言うことは上手に死ぬ事なんでしょうねえ~~
これはいつの時代も難しいーー人は病気で死ぬんじゃない。寿命で死ぬんだと言っていた知人のお母様の言葉が印象的でした。
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Unknown (とんぼ)
2012-03-29 19:47:54
えみこ様

若いころは特に考えられないことなのですけれど、
親の老いを感じたアタリからは、本当は時間をかけて
かんがえなければならないことだと、今は思います。
医療の進歩で、できることが増えるのはいいけれど、何のためにそれを使うか、
そういう選択肢を双方で考えることが、必要だと思いますね。
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Unknown (とんぼ)
2012-03-29 19:49:00
陽花様

結局「ヒトの最後」というのは、親孝行と同じで、
「これでいい」がないんですよね。
だからこそ、その時に少しでも迷わないように…と、
そんなことを思います。
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Unknown (とんぼ)
2012-03-29 19:56:56
武様

あぁ現場にいらっしゃるのなら、よけいにいろいろと、
もっと複雑なものもご覧になっておられることでしょう。

母の兄は、植物状態で2年後になくなりましたが、
遠かったので母は数ヶ月に一度面会に行ってました。
自宅から離れた病院に搬送されたため、高齢の義姉は定期を買って、
毎日面会にいっていたそうですが、なくなる直前は、もうくたくただったと…。
本当に「命を助けること」は、なにを置いても大切だとは思うのですが…。
実際、金銭的なことや、家族の家庭の事情などが、
全てうまく回っていくとは限らないのですよね。
だからと言って「死んでくれたほうがよかった」とは、
思いたくないし、言いたくない…せっかく助かったのだから、
というほうに、希望も思いもかけてしまう…。
切ないことだと思います。
お体に気をつけて、お仕事がんばってください。


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Unknown (とんぼ)
2012-03-29 19:59:33
うまこ様

最後ばかりは、選べませんからねぇ。
元気なうちに、せめて考えることだけは、
しておきたいと思いますが、それとても
「あっこれがいいや」が、ありませんからねぇ。
お母様に負けないように、お元気でいてくださいよっ!

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Unknown (とんぼ)
2012-03-29 20:03:31
akkomam様

子供は、元気なときの親、若かった親を知っているわけですから、
老いた姿や、病んだ姿をみるだけでもつらいものです。

結局、残ったものの心残りやら後悔やら…それを自分の中でどう収めるか、
どう折り合いをつけるかだなと、
母を送った今、思っています。
たられば…がきかないことですから、最後の甘えで、
「おかあさんならわかってくれる」と、そんなふうに思ったりしています。

ほんとに、生きることも死ぬことも、難しいですね。
返信する
Unknown (とんぼ)
2012-03-29 20:07:06
古布遊び様

ほんとに「正解」のないことですから、悩みますね。
先日伯父も亡くなりましたし、なんだかそういうことが、
身近になった年齢で、年の近いいとことあったりすると、
なんとなくそんな話になります。
避けては通れない道ですから、ちゃんと向き合うべきことなんですよね。
返信する

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