音楽に詳しい友人が、さだまさしの「案山子」の舞台は津和野だ…というお話をしていました。
「案山子」という曲をご存知の方も多いと思いますが、
♪ 元気でいるか 街には慣れたか 友達できたか さみしかないか…
という、都会にでていった若者への、地元に残ったものの思いを歌ったもの。
「おふくろにきかせてやってくれ」…という一節があるので、母親が直接うたったものではない…
じゃ誰だろう…と思ったら、兄の立場で…だそうです。
誰が主人公かはともかく、母親の気持ちを代弁しているこの歌詞を読むと(きくと)、
私はどうしても、仕事の手をふと止めて、列車の煙を眺め、遠い地にいる息子に思いをはせる母親の姿を
思い浮かべてしまいます。切ないなぁ…。
私は特別さだまさしさんの大ファンではありません。嫌いじゃないですが、かたっぱしからCD買うとか、
そういうファンではないということです。彼の歌は、聴こうと思わなくてもよく耳にする曲も多いですから、
例えばデビュー曲の「精霊流し」、笑い転げた「関白宣言」、「雨やどり」、山口百恵さんが歌った「秋桜」、
「道化師のソネット」「風に立つライオン」「眉山」…まぁいくらでもでてきますねぇ。
私はどれも全部口ずさむほどに覚えてはいないのですが、つくづく「美しい言葉」をたくさん知っている人だと
いつも感心しています。彼の歌を聴くと「日本語って、ほんとに美しい言葉がたくさんあるなぁ」と
そう思うのです。語彙の多さと、それを文章にしたときの使い方の巧みさ…。
ところで、歌の出来上がる背景にはいろいろあって、上の案山子のように、エピソードとして
知られているものもたくさんあります。有名な曲なればこそでしょうけれど、
案山子はさださん自身が、弟のことを思い浮かべて書いたのだとか。
デビュー曲の「精霊流し」は、実は伯母といとこのお話なのだと聞きました。
亡くなった恋人を思う歌と思っていたのですが、歌詞の中の「二人でこさえたお揃いのゆかた」という部分があり、
私はずっと「男女でお揃いのゆかたというのは…ちと不自然だなぁ」と思っていたのです。
なので歌の主人公は男性で、友達(身内)のことを歌っているのだと納得した次第です。
さださんの伯母さんで母子家庭だった親子がいらして、伯母さんがガンを宣告されたのに、
闘病中に、その息子さんの方が伯母さんより先に水難事故で亡くなったのだそうです。
初めて聴いた時からなんだか涙が出そうで、いつも「いい曲なのに、最後まで聞くのがつらいなぁ」と
そんなことを思っていました。あれから幾星霜?…いい加減図太くなったあたくしは、泣きもせずに聴いておりますが、
最近になってあの歌詞で気になることがあるのです。
歌詞の中に「♪ あなたの愛したかあさんの 今夜の着物はあさぎ色」という部分があります。
「あさぎ」とわざとひらがなで書きましたが、歌詞を調べるとどこのサイトを見ても「浅黄色」です。
これがねぇ…つまんないことにこだわるようなんですが、聴くと「あさぎ」と歌っている…
ならばほんとは「浅葱」ではないかと思うわけです。
実は、色の名前は「これだ」とはっきりしているものもあれば、ちと紛らわしい…もあれば、
結局今はどっちでもいいことになってる…もあれば、なんですね。
この浅葱色なんてのは、そのひとつで、本来「浅葱」は青系の色です。
これを「浅黄」とかいても「浅葱」と同じ、とする説と、「浅黄色」は「あさきいろ」、または「うすきいろ」と読んで、
文字通り黄色の薄い色だとする説があります。私はこっちの説だと思うのですが…。
元々青いほうの浅葱は「薄い青色」です。
「浅葱色」は、武士にとって切腹するときの死装束でした。時代劇などでは全部真っ白を着たりしていますが
あれは時代劇のウソ、下に着る小袖は白ですが、裃は麻の「浅葱色」のものを着用。どちらも「無紋」です。
私、精霊流しが、ガンにかかった伯母とそれを看取らず先に逝ったいとこの話だと最近知って、
ならば「伯母さん」の着物は「私もじきにいくからね」という、胸の内の表れで「浅葱」であったろうと。
まぁそんなことを考えたりしたわけです。どっちでもいい…お話なのですが、言葉を大事にする
さださんだからこそ、どっちやねん…と思ったりしちゃうわけで…。
さて、もうひとつ私の好きな曲に「修二会(しゅにえ)」があります。
哀しくても、優しく穏やかな曲の多いさださんにしては、びっくりするような激しい曲です。
著作権のこともありますので、ご存知ない方検索してみてください。
できれば「ようつべ」で、お聴きになって見てください。
修二会は奈良東大寺の行事ですが、ホンモノ東大寺でのご本人コンサートの映像があります。
東大寺の「修二会」は、とても長い法要行事で、前行は2月から始まり、本行は3月1日からで15日が満行。
この間にいろいろな「決まった行事」が行われるわけで、お水取りもそのひとつ。
母は「奈良のお水取りが終わらな、ほんまもんの春は来ぃひん」といつも言っていました。
歌詞には「良弁椿(ろうべんつばき、良弁は東大寺の開祖)」とか「五体投地」とか、いろいろと珍しい言葉が出てきます。
良弁椿は、お水取りの頃に咲く…と言われていますが、行のはじまりのときに段にこの「良弁椿の造花が」飾られます。
以前、旅番組で、これを作っているところを見ました。
いわゆる「絞り」で、赤いところに白があり、その白いところが造花を作るときにこぼれた糊がついたようだ…
というので「糊こぼし」という別名があります。
「青衣の女人」と言う歌詞も出てきます。「しょうえのにょにん」と読みます。
このエピソードも有名ですね。修二会の中では奈良から現代にいたるまでの、東大寺に関わりのある人、
僧侶などの名前の書かれた過去帳を読み上げます。そのとき「しょうえのにょにん」という読み上げがあるそうです。
これは、鎌倉時代に集慶という僧が過去帳を読み上げていると、青い衣を着た女官のような女性の霊が現れ、
「なぜ私の名を読み上げないのか」と恨めしげに言ったのだとか。そこでとっさに「青衣の女人」、と読み上げると、
その女性は消えた…以来必ず「青衣の女人」はちゃんと読み上げるのですが、その時は小さい声でいうのですと。
歌の中では
「♪ 過去帳に 青衣の女人の名を聴けば 僕の背に君の香りゆらめく ここは女人結界 君は格子の外に居り…」
礼堂と呼ばれるところは今でも「女人結界」で、女性ははいれません。このご時世に…りっぱなもんです。
この歌は別れをテーマにしていますかが、思い合う二人の別れなのか、片思いなのかも、わかりません。
それは聴く人の感覚…かなぁ、と、そんな風に思います。身を引きちぎられるような悲しみや苦しさは、伝わってきます。
幸か不幸か、そんな恋はしたことがありませんので、おしはかることしかできませんが、
全て沈み込むような悲しい言葉が並ぶのに、曲はとても激しい、そのギャップに、ガツンとやられた私です。
今日のお話はなんだか支離滅裂、どうもすみません。
さださん、大ファンではないけれど、たまーに「今夜もなまでさだまさし」という番組をみます。
コンサートでも歌ってるよりしゃべってる方が長い、と言われる彼のしゃべくりは、なかなかおもしろいです。
月イチなのですが、2月は見ませんでした。ひょっとして「修二会」をうたったかな…と惜しんでいます。
お水取りも終わり、お彼岸も終わり、東京の桜の開花宣言も出ました。
春、本番です。
私もとんぼさんと同じようなさださんのファン?です
「言霊」についてのさださんのおしゃべりで、言葉が発せられて真っ先に届く耳は自分の耳、汚い言葉もおぞましい言葉も悲しい言葉も言霊としての一番のエネルギーの影響は自分自身なんです。それを忘れてはいけない。
だから優しい言葉、きれいな言葉、美しい言葉を使いましょう・・・
ユーモアたっぷりのいろいろなおしゃべり逸話をお持ちですが、この言霊の件、座右の銘、のように受け止めています
あぁやはり「浅葱」でしたか。
写して印刷に出す時点で間違えると、
後はもうそのまま…になってしまうのかもですね。
言霊、ほんとにおっしゃる通りだと思います。
言霊は文字通り、言葉には霊(魂)があるといわれ、
言葉に出したことは、本当になる、だから佳き言葉を
言わねばならない…のだそうです。
方言や言葉遣いは二の次として、恨みの言葉や
侮蔑の言葉は、できるだけ口にしたくないものですね。
日本の言葉は、本当に豊富できれいです。
月の名前、雨の名前、空の名前…いくつ知っているかと、
そんなことを思うだけで、心が豊かになる気がします。
揺れてるしの作詞作曲であるが
♪ささやかな石(お墓のことだろう)の周りゆれてるれんげそう♪彼岸過ぎたら僕の部屋も暖かくなる♪
「彼岸より前にれんげは咲かないだろ!!」