ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

港・ヨコハマ

2019-03-31 01:26:32 | つれづれ

 

なぜか横浜は「ヨコハマ」と書いたほうが、イメージがつかみやすい?

さて、その横浜の130年記念誌、ということで、写真集がでました。

こりゃ記念と記憶に…と思い、購入しました。市販はされておらず、本屋さんに申し込みでした。

(実は写真をとり忘れたまま、父のところに持っていってしまったので、写真はお借りしたものです)

私が見てわかるのは昭和30年代からですが、それにしても変われば変わるものです。

私が70近くなるんですから当たり前ですが…。

横浜が「市」になったのは、つまり市制が施行されたのは明治22年のことだそうな。

かつて鄙びた漁村「横浜村」だったところが、ペリーさんのお越しにより、おおきく変わることとなりました。

江戸幕府は直接江戸に船をつけられるのはヤダよね…で、ちょっと外れた横浜村に目をつけたわけですが、

結果「おかげさまで」のけっこうな都会になったということです。

 

私は横浜で少しは知られている地名でいうと金沢八景、シーパラダイスのあるところ、その近くで生まれました。

地名はわずかに残っています「谷津坂」というところ。今は駅名も能見台にかわっています。

そのあと4歳からは、今住んでいる私鉄の駅近く。ま、結婚して18年ほどは千葉県民でしたが。

私が住み始めたころは、相模鉄道が横浜までの私鉄として開業まもなくの時期でした。

 

複線工事の記憶も、最寄り駅が場所がわったことも、少しずつきれいになっていったことも、

遠い遠い記憶の中に残っています。そしてその私鉄で15分もかからない「横浜」と言う場所は、

子供の私にとってたいへんな「大都会」でした。小学3年生のころ、毎週日曜日に横浜駅近くのビルの中にある

絵画教室に通っていました。子供ですから電車賃しか持たされていませんし、

大体子供が歩いて楽しい場所ではありませんでしたから、いつもまっすぐ行ってまっすく帰ってましたが、

それでも通りかかるショーウィンドウの中の、華やかな洋服やピカピカの靴は、

今でいうならテーマ・パークとも思える、夢のような世界にみえましたっけ。

  

若いころはたとえば友達とあうにしても、彼とデートにしても、歩いている場所のことよりも、

話すことそのものとか、そんなことにばかり気をとられていましたから、いわゆる観光スポットも

さしてステキな場所だとも思っていなかったし、ネットもなくて食べログなんてものもありませんから、

入るお店はいつも同じ、食べるものもさしてかわらず…。

今のように行列ができるナントカ、なんてありませんでしたしね。

今になって「あ、いってみたいな」、なんて、思ったりしています。

 

父に本を持っていったら、代わりに「こんなのがある」と、貸してくれたのがこちら。

「横浜 橋めぐり坂あるき」

 

               

 

はいはい、なんたって「坂」ばっかりの土地柄ですし、川もけっこうありますしね。

横浜以外の人にも知られているのは「権太坂」でしょうか。

毎年箱根駅伝で「難所」といわれているのですが、見ているとさほどでもない…。

そのはずです、本来の難所といわれた権太坂は、旧東海道の権太坂。道筋1本横…の感じです。

急坂というより結構な勾配で長いのです。

名前の由来として…昔一人の武士がこの坂道を登り始めましたが、あまりにもしんどい坂道、

たまたま通りかかった農夫に「ここは何と言う坂か」と尋ねました。

聞かれたオジサン、耳が遠かったので、自分の名前を聞かれたと思い、

「へぇ権太と申します」と答えました。武士は「ほほぅ権太坂」というのか…と。

とまぁホントかウソかはわかりませんが、とにかく昔は江戸から出て最初の難所といわれたそうです。

我が家の周囲もみごとに坂ばっかりですが、名前のついているような坂はありません。

 

横浜は、都会とイナカがくっついているような町です。

どんどん変わっていってしまうふるさとは、ちょっと寂しいけれど、

写真集のあれこれを見ながら、知っているところをみつけると「あ、そうそうこんなだった」と

懐かしい思いに浸っています。今暮らしているこの町、あと50年、100年先には、

どんな風になっいるのでしょう。想像もつきませんが、ずっと穏やかな町であってほしいと思います。 


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんにちは。 (あけ)
2019-03-31 11:17:04
横浜といえば、小学生の頃、横浜から、転校生が、言葉の、終わりに、じゃんて言って、何か、かっこいいと、人気者でした。鎌倉は、一度だけ行って、当時ハマトラが、流行って、帰りに、中華街で、食事して、外国にきたような気持ちでした。横浜、素敵な、場所ですね、私の、故郷は、徳島の、秘境で、今も、どこを見ても、山、山、畑…徳島の、マチュピチュです。農家民宿が、二軒できたくらいで、何も、変わってません。横浜、おっしゃれ!
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Unknown (とんぼ)
2019-03-31 21:05:34
あけ様

じゃんしゃん言葉。妙なものが有名になりました。
たしかにいまでも「そうじゃん」なんて言ってます。
あんまりきれいな言葉じゃないんですけどねぇ。
ハマトラは、私もやりましたわ。
今も元町はオシャレな町ですが、一時期さびれかけてました。
今はネットのおかげもあって、あいかわらず人が多いところです。
「徳島のマチュ・ピチュ」いいなぁ。
私、徳島は、知り合いの実家があって、阿波踊り(町内の)を見にいきました。
そこのお宅で泊めていただき、そのあとは蔓橋とか、
あちこち見ました。いいところだと思いましたよぉ。
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