ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

難しい終末医療

2011-12-05 15:46:20 | つれづれ

 

終末医療…

ニュースのサイトの記事です。

 

「高齢者の終末期における胃ろうなどの人工的水分・栄養補給は、

延命が期待できても、本人の生き方や価値観に沿わない場合は控えたり、

中止したりできるとする医療・介護従事者向けの指針案が4日、

東京大学(東京・文京区)で開かれた日本老年医学会のシンポジウムで発表された。

近年、口で食べられない高齢者に胃に管で栄養を送る胃ろうが普及し、

認知症末期の寝たきり患者でも何年も生きられる例が増えた反面、

そのような延命が必ずしも本人のためになっていないとの声が介護現場を中心に増えている。

そこで、同学会内の作業部会(代表・甲斐一郎東大教授)が試案を作成した。

広く意見を募って修正し、来年夏までには同学会の指針としてまとめるという。」

 

重病や高齢で、家族がもう普通には生きられなくなったとき、

いろんな管や機械をつけて、道具のチカラを借りなければ生きられない状態になったとき、

それでも家族は「どんな姿になっても生きてきてほしい」と願う…これは自然なキモチだと思います。

でも、それを看ている家族の一人一人に「アナタがもしこうなったら」と尋ねたら、

きっと「私はいろいろ延命の道具をつけてまで、生きていたくない」と思うのではないでしょうか。

私もそうです。人間は勝手なものですけれど、それが本心でしょう。

自分が「看る側」と「看られる側」では、ちがって当たり前です。

もちろん年齢や性格、病気の種類などよっても、また違ってきますが…。

 

母は元気なころから常々「頼むから延命措置はしてくれるな。

このままほっといたら死にます…の時はそのまま死なせてほしい」と言ってました。

母の二番目の兄は、突然の脳内出血で植物状態になり、2年間意識が戻らないままで亡くなりました。

京都でしたから、母は三ヶ月に一度くらいしかお見舞いに行かれませんでしたが、

そのたびに伯母が老けていくことの方が心配だったといってました。

既に70を過ぎていた伯母は、子供がみな離れたところに嫁ぎ、自身は免許を持っていなかったために、

定期を買って電車とバスで毎日毎日二年間、反応のない夫に面会に行っていたそうです。

元々足の悪かった伯母は、伯父が亡くなったとき「正直ホッとした、こっちの体がいつまでもつかと思って」と

そういったそうです。母も、何回見舞いに行っても、ただたくさん管をつながれ、

声をかけても眉毛ひとつ動かない伯父を見るのはつらかったといいました。

ほかの伯父伯母も、自宅療養だったりいろいろでしたが、介護も本人もつらい数年を過ごしました。

それをみてきた母でしたから、ベッドの暮らしになって「なんでお迎えがこんのやろ」といつも言ってました。

 

終末医療と一口に言っても、余命はあと何ヶ月…という人もいれば、2~3年という場合もあります。

伯父のようにもう意識も戻らない場合もあれば、話もするけれど認知症が進んで食べられない起きられない…

というだけの人もいます。一概に「先がない」とカンタンにひとくくりにはできません。

本人がちゃんとそれを選択できない場合、またそういう意思であったかどうかわからないとき、

「医療の目覚しい進歩」が、家族も本人も苦しめる…皮肉なことですが、それが現実です。

 

母は、最期の入院の時、できる限りの処置をしてもらい、肺にたまった水をあらかた抜いていただき、

一時は車イスに座れるまでになりました。

それでも、体の中はガタガタで、いつ何があってもおかしくない状態。

下血が始まったとき、医師に呼ばれて「止血剤を投与しても出血がなかなか止まらない。

出血箇所を特定して処置しないと完全な止血ができず、輸血でも間にあわなくなる。

そのための検査や治療をしたいが、心臓が弱っているので、それが刺激になって

ショックで心臓が止まるかもしれない。もしもの時のためにサインが必要だ」」といわれました。

父と私は、止血の治療はしてほしいが、その検査などでもしもの場合は延命治療はしなくていい、

とお願いしました。

後になって「アレでよかったのだろうか」と思うことがあります。

いえ、延命治療を断ったことではなく、その前の段階の「検査治療」です。

母は、子供のころの病気のために、人より少しのどが細く、また本人の性分だとおもうのですが、

食べ物以外のものを口に入れられません。例えば着物を着るときに、ちょっと紐を口にくわえる…

なんてことがありますが、あれができなくてちょっとくわえただけでも「オエッ」となるのです。

歯医者さんも痛いことよりも、口の中に器具を入れられることで、ずっとえずき続けてしまいます。

もちろんバリウムなどというペンキみたいなものを飲むことなんて「死んでもいやだ」と言い張り、

胃カメラも「最近のは細いし、のどに麻酔をかけるから」と言っても「それするくらいなら具合悪くなってけっこう」と

生涯バリウムの検査も胃カメラも拒否し続けました。

そんな母に「胃カメラ」を使う…と聞いて、私は検査のためとはいえ、まだ意識もある母は

一番キライな道具で苦しい思いをするのだ…と思うと、検査そのものをやめてほしい…と、一瞬思ったのです。

それでも出血が止まれば、まだ意識を持って生きられるなら…と、サインに同意しました。

母にとっては幸いなことに、その検査の前に危篤になり、そのまま延命治療ナシで逝きました。

もし母があのときの急変を起こしていなかったら、一番大嫌いな胃カメラを押し込まれて、

オエオエとえずき続けて検査を受けたと思います。母は自分で「そんなんいややし、逝ったほうがええわ」と、

そう思ったのかもしれません。

今となっては「しなくてすんだ検査」ですが、もしさせてしまって、もしそれで母がショックで逝ったとしたら、

私はきっと「検査させなければよかった」と思ったはずです。

「生きてほしい」というのは家族としての「希望」ではなく「欲」になってしまうのでしょうか。

だからといって自分が「もし助からない病気」とわかったとき、

「もう一切の治療もしないで自然に死を迎えさせてくれ」と言ったら

それは今度は患者の希望ではなく、家族に対しての裏切りになってしまうのでしょうか。

 

父は、自分も「もしもの時はよけいなことをしてくれるなよ。すんなりばーちゃんのところに行きたいから」と

そういっています。その思いを尊重するキモチはあっても、

もし「今ここで手術をすれば、もしかしたらたすかるかもしれません」なんていわれたら、

その手術の苦しみも、あとの治療も「ガマンして受けて!」と、言ってしまいそうです。

 

「延命が期待できても、本人の生き方や価値観に沿わない場合は控えたり、」

 

文字にしたらたった一行なのに、なんと難しいことか…医療の発達、進歩というものは、

合わせて考えるべきことが、そのつどたくさん増えていくのだと、つくづく思います。

結論の出る話ではありませんが、私は家族を悲しませようとも

「ワリィ、余分なこといらん。それでアナタが悲しむことがあっても悩むことはない、ごめんね」でしょうか。

 

写真は、頂き物の来年の「干支土鈴」。主人の干支です。

「どうか健康で」「どうか無事で」…手を合わせる気持ちは、昔も今も同じです。    


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18 コメント

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そうですね…。 (えみこ)
2011-12-05 17:00:32
ふたつほど。
議論されている、胃ろうその他の延命についてですが
延命のために「してはいけない」ルール作りの一環になっていること。
終末医療の領域で「胃ろうは外出等の患者のQOLをいちじるしくそこない…」の記事に、ちがうでしょ。
胃ろうを選択した、したい患者さんとご家族への配慮が
欠けています。
もうひとつは、個人的に。
今年は祖母を亡くしました。病いで周囲も自身もぼやけてしまい、怒りだけ残った在宅介護のすえです。
祖母のなくなった三日後に介護していた伯母が倒れ、入院したまま亡くなりました。持病で再発した臓器を切除しつつ
なにもわからなくなった祖母に罵倒されながら、動かせる半身での介護のはてに倒れ
ストーマの手術をされ、意識がうつろなまま自宅に帰りたいと願いながら
ひっそりと息を引き取りました。
どこにそんな力あるのかとおもうほど、小柄でかわいい伯母でした。
「してはいけない」ルールでしばりあげ、必要な援助のさまたげとなる介護が、週末医療なのでしょうか。
どんな最期であれ「ここまで」が、介護の最良と思います。
責めたり、責められたりばかりで、その人との大切な時間を忘れてしまうルール作りは悲しみが増すばかりですね。
今年はとくに痛感しております。
どうかみなさま、おだいじにとねがってやみません。
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Unknown (陽花)
2011-12-05 17:51:01
人間てほんと勝手・・・ですね。
私は痛い思いをするのはイヤ、延命治療も
絶対イヤ。そう思いながらも家族なら何とか
してでも生きていてほしいと思うもの。
自分がイヤな事を押しつけたり、自分が
そうされたらと考えるとやはり自然にお任せ
したいです。
返信する
身内に (アゲハ)
2011-12-05 23:21:24
病を得た人をかかえると本当に大変ですね。

私の知人が以前、「年取って寝たきりになったら夫に首を絞めて殺してねって頼んでいるの」とか言っていました。
そんな状態の老夫婦を見る機会があって切実にそう感じたんでしょう。
けれど、連れ合いを殺人者にするつもりなのっ??とんでもないことだわ.....私はそう感じましたけど、助かる見込みの無い場合の当事者としてはジタバタせずあっさりとした最期をむかえさせて欲しいという気持ちに偽りはないでしょう。

今日、たまたまですが、少し前に見逃したドラマをネットで拾って最終回を見ました。
その中で、海外で死亡した夫の遺骨を、その愛人から受け取る際、「葬儀は生きている者の為に執り行うのだから遺骨を返して欲しい」という妻の言葉がありました。

一脈通じる部分があるように思えて....。

私、自分が意識がなくなったら、さっさと死なせて欲しいです。
絶対に厭と思う事は「せんといてちょーだいっ」って遺言書を作っとこうかしら。
(あ、遺言書は死んでから開くんだっけ?それじゃ間に合わねェエ)


返信する
家族形態 (たま)
2011-12-06 02:37:01
何でも昔がいいとはいいませんが、今の問題は、家族形態が変化したゆえに表面に出て来たように感じます。
同居する老父老母が寝たきりになれば世話をするのは当たり前。。。その前に現在ほど医療も発達していませんから、長患いの前に亡くなっているか、死はもっと身近だったような気がします。
家族で生前から当たり前のように話していれば、法律でひとくくりにする必要はない訳で。命に対する考えは人それぞれでしょうし。
義母が末期がんで自宅で寝たきりになったとき、同居の嫁の私は、義母の希望だけ、聞きました。
いわく、延命措置は一切しない。

実の娘(義妹)や舅は、癌に効くという民間薬を買って飲ませようとしていましたが、義母は適当に飲んでふたりが居ないところでは絶対飲みませんでした。
血のつながりがあると、やはり受け取り方が違うのでしょう。。。やはり藁をもつかむ思いなのだろうと。

法で縛るということは、個人の責任を回避する行為なのでは?実際は回避できなくても、自分が死ぬまで「あのときはあれで良かったのか」と思い煩うことを少しでも省きたい人がいるのでは?
生死に正しい答えは、永遠にないのだろうに。。。としみじみ思いました。心がある限り。

ところで私も胃カメラがまったく駄目(歯医者のレントゲンもえずいてしまい、駄目)とんぼ様のお母様のお気持ち、本気でわかります。
先日生まれて初めて、どうしても胃カメラを飲む羽目になり、結果鼻から入れる最新機種があるところに行きましたが。。。もう二度とやりません!死んでもいいです。検査拒否(^^;)
返信する
心のありかた  (akkomam)
2011-12-06 12:36:17
なんの問題でもついてまわる難問で、
こと人の生死にかかわり、尊厳にかかわって
くる問題には答えはひとつではありません。

そしてあまりにも多様な解釈と状況が存在して
そのこと全部に明解な回答がないのが、
ことを複雑にしているのでしょう。
どんなに議論しても解決方法は本人、家族の
あり方、捉え方ひとつです。

私はもう70代に入っていますし、子どもは
いますが、もう社会で活躍している年齢です。

そんな私が常に思っていることは、
自分の人生は自分で決めて、希望はしっかり
子どもに伝えておく。これもう済ませています。 移植に必要な臓器などがあればカードに
記入してあるので、申し出てほしい。これも
サイン済み。
延命をされても私はよろこばないこと。
家族との思いはそんなところには存在しては
いないし、あなた方も元気なときの母を
思い出にしてほしいと伝えています。

現実にそうなっていないから...と言う
友人もいますが、医療問題以前のことと
普段から考えておくことは自分のこととして
必要なのではないのでは、と。

先ずはしっかりと健康管理して暮らし、
その上で自分らしい選択を実行できたらと
切に願っている毎日です。

看る家族と自分の間で齟齬があるのは
当然であるていどのことは話し合って
おけば、お互いに無駄な後悔はないような
気がしています。
<情けのようで情けでない>をともに
自覚して...。

読み返してみると随分割り切っていて
親子の情の片鱗さえないようにも読めますが、
逝くのは私ですから、ある程度きっぱりと
明るく話しておかなければ、余計な気づかいを
させてしまう、よりは
<本人の希望通りにした>ことに誇りを
持ってほしいとそちらに思いをいたします。

議論されている問題は今置かれている状態の
方もいらっしゃるわけですので、これからの
世代の考え方のあり方も問われているように
思えます。ご判読ください。
返信する
私も同感です。 (りら)
2011-12-06 16:22:43
おいそれとは駈け付けられない場所に嫁いでいますので、母とはよくそのことを話したりしています。
「息のあるうちに人目だけでも会いたい!」という気持ちもありますが、私自身が延命処置は御免!と強く感じていますし、母も同じです。
何かあった時に悔いの残らないよう、今のうちから短い時間でも電話で話をするようにしようと思っています。

いつ何が起こるかわからない昨今、こういうことは常日頃から家族と話し合っておいた方が良いのではないでしょうか?
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Unknown (とんぼ)
2011-12-06 21:17:04
えみこ様

>「胃ろうは外出等の患者のQOLをいちじるしくそこない…」の記事
これを読んでいませんので、詳細はわかりませんが、
「選択段階」での説明とか、そういうものの配慮は
確かに不足していると思います。
医療に限ったことではありませんが、たとえば国民全てがPCをやっているわけではないのに、
なんでも最近は「詳しくはウェブで」とやります。
できる人、わかる人だけ対象に話をしたり、すすめりする…。
母のときも「胃ろう」のハナシが出ましたが、あちらは「これだと介護の方もラクだし、
食べられなくても、栄養が取れるから」だけです。
どの世界でも「便利、カンタン」だけを追求しているようで、
機械じゃないのにと思います。
ただ、こちら側も、対抗するつもりはありませんが「情報」を学んでおかなければと思うのです。
これがダメだというなら、じゃこれならどうだ…とか、
或いはなぜダメなのか、思い切り突っ込めるだけ突っ込むとか…。
次代の人たちのためにも、よいものを残していかなければと思います。
返信する
Unknown (とんぼ)
2011-12-06 21:18:36
陽花様

ほんっとに身勝手とは思いますが、自然がいいです。ボケたくないですね。
自分で意思表示をちゃんとできる状態でありたいと思いますし、
またできる間に、きちんと伝えておかなければと思います。
返信する
Unknown (とんぼ)
2011-12-06 21:23:37
アゲハ様

私は、子供の友人など、思い病気を持つ人のことをいろいろ見てきましたから、
介護する側される側、
それの若い人の場合、年寄りの場合…でも、状況やキモチは違うものです。
もっときめ細かく…といつも思います。

私は家族身内が少ないですし、いずれ最後はひとさまにお世話になる確率が高いので、
それまでにきちんと書き残しておこうと思っています。
遺言ではなく「終末」ということになったら…です。
返信する
Unknown (とんぼ)
2011-12-06 21:33:37
たま様

私の方の祖父母は、昭和60年代までにみな亡くなっていますが、
ほとんど「最後まで自宅」、最後の最後に祖母は病院でしたが、
あとはみなお医者さんがきてくれて…でした。
家族が多ければ「介護」の手も増えるし、また子供だからと、
それほど手伝わなかったとしても、そういう状態を経験することは、
今の時代必要なことではないかと思っています。
介護なんてどれだけやったって、親孝行とおんなじで、
「これでいい」「これでよかった」はないと思います。
みなそれぞれに何かしら抱えていくモノだと思うんですよね。

私も実は、母ほどではないのですが、えずく方なんです。
一番イヤなのは「歯のレントゲン」…。
あれは奥歯ほど苦しくて、オエオエいいながら、涙ポロポロこぼして撮ってもらいます。
アチラがかわいそうがって「ごめんなさいねぇ」って。
胃カメラ??バリウムならナンボでも飲みます。胃カメラはいやです。
返信する

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