★ L (スペースエル) 体を通して人の全体と向き合うサロン 目の前は淡路島の海 女性専用ボディーセラピー

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そのなぜかをしりたくて

2013-07-30 22:11:21 | 予約関連


2013年 10月から、母玉サロンの利用料金は 1万円になります。
(9月11日の予約日に承る分から 1万円です)
施術時間は現行通り、全身 130分です。

身体に触れるのが大好きなわたしにとって、
お客様は最大の貢献者です。
お客様が来てくださってこそ、
わたしは自分自身の喜びに繋がることができます。

なのに値上げです。

母玉の料金は、3年半前まで 1千円で、
それ以降は 3千円でやってきました。

過去の出来事ゆえに今に至る、という
過去本位の母玉活動は実質終えており、
今回の料金改定は、故に理由なく、実施するものです。

なぜそうするの? と訊かれたら、
「そのなぜかを知りたくて、やってみるしかなくて」 
としか答えようがない領域で、これから皆様と生きて参りたく、
その思いをブログに刻みます。

今年の 2月、別件の成り行きで思い起った料金改定
これをどうお客様に説明すればいいだろうと思っていたら、
なぜ値上げするかは疑問じゃない、
なぜ今まで 3千円だったのかを聞きたい、というようなことを
多くのお客様から言われました。

なぜ 3千円だったのか、
今一度、その由縁を振り返ってみようと思います。





始まりは、わたしが生きるバランスを崩していた時代。
死ぬ前に、せめてアレぐらい片付けておこう、
それで、今日をなかばに人生終えようと決意した日。

思いのほか、アレに時間をとられたせいで、
最期にするはずだった一日を、完全に生ききってしまいました。
人生狂わされて死のうとしたのに、それさえ狂わされた、と
布団の上で茫然自失としていたら、
プツっと、胸のあたりに小さな穴があきました。

その穴がどんどん大きく広がっていくような、
逆に、穴は小さいまま、そこへ自分が溶けていくような感覚のなか、
視線で確認することもせず、どうでもいいやと放っておいたら
突如 「あ、いま死んだ」 という自覚が起きました。
そこには、ゆらゆらした意識だけがありました。

その意識で、
アレのために、あんなことのために、夢中に生きた人間を
あんなことでねぇ? と呆れ半分ねぎらい半分で笑ったら、
その瞬間、生き返って、平和なここちのわたしがいました。

生き返ったといっても、
死んだわたしと入れ替わるように生まれてきた者なのか、
あのとき溶け残った者なのかは分かりません。




胸には、小さな穴があいている感覚がありました。
さっきと同じ肉体に戻ってきたんだ、ふうん、と、
まだ少しゆらゆらする意識の余韻で動けずにいたら、
「ここはアレが現れる空間」
ふいに、胸の穴がそう響きました。

穴から響いてきたのではなく、穴に響いてきたのでもなく、
穴がすべてで、穴から距離のあるものは何もない、
すべてが穴と丸ごと一体、そんな穴が響いたんです。
言葉じゃなく響きです。異国語がなぜか分かる感覚です。
アレが現れる空間とは何か、ここでは省略しますが、
その時わたしも穴と同然だったので、即座に理解していました。

余談ですが、この穴は、以来一度も消えたことがありません。
わたしが時として何も話せなくなるのは、
胸に穴があるのを感覚しているわたしであるときと、
わたしさえなくすべてが穴同然であるときと、
この 2つのポジションがあって、
それらがあまりにもパラドックスだからです。
片方を語れば片方が落ちる、言葉の限界にぶつかるからです。
語れば語るほど無限に言葉が続く、キリのない限界。パラドックス。

話がそれました、戻します。
それからは、何でもアレ中心に生きるようになり、
目の前のアレに入魂する日々でした。

アレは、たとえば、散歩や歯磨き、掃除や仕事や飲食、
目の前の人の話に集中すること、ぼ~っと過ごす等、
生きていれば巡り合うであろう、あらゆることを、
「これをやるために、今ここに生まれてきたんだ」という
確信をもって立ち会うことです。

その頃は決して、天真爛漫な気持ちではありませんでした。
「だから、これをやりおわれば、きっと死ねるよね」
そんな一心でした。
ここでも、死ぬために生きるパラドックス。
せめてアレぐらいは済ませ、サッパリと死ぬつもりだった、
あの最期の日となんら変わりありません。

わたしには、生きること自体が服役に近い感覚でしたから、
目の前に現われるすべてが同等平等フラットでした。
選り好みする意欲もなく、善悪の判断や価値観も消滅した状態で、
「もう二度とこの世界に生まれてこなくていいように、
どんなアレでもやりつくします」

胸の穴にそう訴えてはアレに取り組むうち、
わたしは徐々に、アレを楽しむ方法を身に着けていき、
気付けば、「次はどんなアレかな」 と、
アレのために生きる自分を、認め始めていました。
その頃には、人間関係や書類などの身辺整理はスッキリ、
家も片付き、小ざっぱりな身なりになっていました。

だんだん、「なにかアレ出てこないかな」 と、
アレ待ちがアレになることが増えてきました。
家で、美しい空を眺め、胸の穴が響いた通り、
「いきのいい微生物を循環させ、新鮮な二酸化炭素を供給する」 と、
ただ静かに呼吸し、生体活動を繰り返すようになった頃、
新しいアレを、自分で創り出してみようと思いました。

ようやくもう一度生きてみようと思い始めた矢先のこと、
金欠より、アレがなくなるほうが深刻でした。
わたしは身体オタク。なぜ今までそれを忘れていたのだろう。
身体に関するアレをしよう。

そんな思いと合わせて、全盲の母や左半身麻痺の姉の存在。
2人が、人生の何かを失敗してそうなったとは思いませんが、
それでもわたしにはぬぐえない思いがありました。
その思いを、希望という形のアレにしようと決めたら、
あれよあれよという間に母玉活動が始まっていました。




思えば、その母玉活動の思い起ちにしても、
今回の料金改定と同じような成り行きでした。

「こういうことをしたい」 とだけ家族に告げました。
あのとき、なぜ?、と訊かれたら、
きっと母玉活動は始まっていなかったでしょう。
死のうとしたら生きることになった経過を
どう伝えればいいのか。

ところが、
(わたしの家族をご存知の方は、あの人達なら有り得るわ、
 と納得していただけると思いますが)、
家族は、なぜ? なんてこれっぽっちも思わなかったようで、
むしろ楽しんで、その先へと展開していってくれました。
ただ理解してくれたんです。
そうしてみたいなら、やってみよう? って。

旦那さんが、たくさんの自由と時間を提供してくれ、
子供たちが、あたたかい理解と協力を捧げてくれて
実現できた母玉活動です。
そして胸にあいた穴と、たくさんのアレのおかげ。

わたしはもう十分満ち足りた。
母玉活動に降り注ぐ恩恵は、みんなで分かち合おう。
それが 3千円というリーズナブルな料金の由縁です。


そして今、お客様に料金改定をお知らせすると、
「なぜ今までそうじゃなかったのかが不思議なくらい」 と、
皆様そのような気持ちを示してくださいます。

そのご厚意を感じると、あの時の家族の姿がダブってしまって。
わたしはもう、胸が震えて、というか、厳密には胸の穴が、
こう、もう、どう表現していいのか分からないくらいです。




なぜそうするの? と訊かれてうまく答えられないことは、
やってみたら分かる、必ず分かる、びっくり箱のような領域です。
こわくてステキな領域です。

サプライズエリア。
わたしの場合、その領域には、先に家族がいました。
そしてお客様も、すでにそこにいると分かりました。
あとはわたしが参じるだけです。
不安はありません。自分が最後尾にいたんだと分かりましたから。


1万円。
現行 3千円の 3.33 ∞ 倍の上昇率です。
そんな日がくるなんて、思いもしなかったサプライズエリアに
わたし自身が圧倒されないよう、もう一度告知させてください。
2013年 10月から、母玉サロンの利用料金は 1万円にします。

人から人へ、ありがとうとありがとうで。
受け取っては渡し、預かっては託し、
お金を循環させる楽しみを、母玉活動に取り入れて参ります。
新しい喜びを、皆様と分かち合えますように。

母玉サロンが、いつかのあなたのアレになり、そして、
「なぜ来たのか、分かった」 になれたら幸せです。
ありがとうございました。