★ L (スペースエル) 体を通して人の全体と向き合うサロン 目の前は淡路島の海 女性専用ボディーセラピー

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波を起こし、波に揺れる

2015-05-10 13:42:41 | 日記

高野山 奥の院の参道にて

サロンにいらしたお客様から、高野山のお話を伺いました。
その会話のなかで、何気なしに
「高野山、わたしも行ってみようかな」 と呟いた 4、5時間後、
そんなことなど露知らない人達とのシンクロニシティが起き、
ナビ役の同伴者・仕事・家族の都合すべての手筈が整って
15時間後には高野山にいました。

「しまった、また不用意な発言をしてしまった」 と
口にしたことは必ず実現してしまう環境を再認識。
「肝に銘じ、発言を慎む」 をさらに深く、肝に銘じました。


壇上伽藍 根本大塔

人が発する言葉に、どれだけのパワーがあるか、
それを認識し始めた頃は、ただ嬉しくて感動して、
次から次へと発言し実現を重ねました。
そして
言葉の力ってすごい! と、ハイな気分になったものです。

そのハイな状態を、
「これが満ち足りた至福の状態なのね」 と思い込み、
周囲に、暑苦しさと浅はかな持論をまき散らしてしまいました。


金剛峰寺

ある時から、必ず実現すると分かっていて言葉を発することの
責任の重大さに気づき、怖くなって誰にも何にも喋れなくなりました。

それはたとえば、果てしなく透明で波一つない清浄な泉に
”私” を投ずるという自覚と覚悟が必要でした。
飛び込めば水全体へ影響を与える、そうと知って飛び込むからには、
その行為による反響を、すべて引き受ける責任も承ることになる。

ならばできるだけ水を汚さぬようにと、
事前に身の汚れをチェックしたり、
水を無駄にかき乱すような衣服を身に着けていないか、など、
自然に、私自身のことを細かく見るようになっていきました。

飛び込んでもケガはしない。泉の性質は知っている。
どんな飛び込み方をしたら、どんな波紋が起きるかも。
泳ぎ方も、潜り方も、すべて知り尽くすことができた
(と思い込んでいました)

それもこれも、泉に飛び込む者の責任を、私が果たしているからだ...
そう思いこんでいい気になり、何度も飛び込んでは
水しぶきをあげ、波をたて、キャアキャア騒いでいました。
時々溺れそうになりながらも泉遊びは面白く、なかなか飽きません。


壇上伽藍 金堂

ある時、泉にプカ~っと浮いて、なぜこんなに自由自在なんだろう? と
ふと私を取り巻く環境に思いを馳せた瞬間のことでした。
泉の愛がどどーっとこの身に流れ込んできて、私は放心状態になりました。

その後は、西行さんが詠んだといわれるこの歌の境地です。
いついかなるときも、どこにいても。
「何事のおわしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」
現訳:
どなたさまがいらっしゃるのかよくはわかりませんが、
おそれ多くてありがたくて、ただただ涙があふれ出て止まりません

以来ずっと放心状態で、泉にプカ~っと浮いているような心地です。
これまで”私”が泳ぎ騒ぎ立ててきた波を、
今度はこの身をもって、一つでも静かにおさめていけたらと。
そのための身の振りなら惜しまず動くけれど、
もう新たな波は起こさないでいよう。
自然にそう思うようになりました。

言葉にすると重たくなりますね。
実際はとても軽やかな境地なのですが。

そんなわけで、高野山に行ってみようかな発言は、
また新たな波をたててしまったかもと思ったのでした。
がそれも高野山に到着し、地下法場に参拝するまでのこと。
これも一つのしずめるべき波だったと分かりました。


奥の院 休憩所の壁の紙文字

高野山は今年開創 1200年の記念催事で賑わっており、
普段は公開されていない秘仏を特別開帳しています。
特別開帳は、前期・後期とあり、前期は 5月 21日までです。
私のしずめるべき波が高野山にあるかも、と感じる方は
ぜひこの期間にお勧めします。

特別開帳の白い薬師如来は金堂にて、弘法大師像は金剛峰寺にて
拝観できます。
奥の院の弘法大師御廟を参拝するなら、必ず地下法場へも参拝くださいね。
弘法大師は実際は、御廟の参拝場所から地下 3mのところに入定しています。
地下法場はそれと同じ高さで、
大師が入定している正面から 15m離れた所にある参拝場所です。
そこには言葉で言い表しようのない、かなりの波が。

参拝の長さは関係ありませんが、ご参拝時には先ほど書いたような、
そうと知って参拝するからには、その身に全責任をもって
ボディ・ハート・マインドをしっかり今にセットしご参拝くださいませ。
そうなって初めて、波が分かりますから。


金剛峰寺の境内で護摩木に記す 手は旦那さん作