tons of knots

からだや頭の凝りをもみほぐして、人との絆や結び目がたくさん出来るといいね。
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隣は何をする人ぞ  Post Corona Life コロナ後の世界 (9)

2020-08-18 21:28:48 | 払暁半刻
ここ数日は「命に関わる暑さ」で、何とも不快な夜が続いています。熱中症で夜に具合が悪くなりそのまま倒れてしまう方が続出しているのは何とも痛まい限りです。

ということで、暦はともかくまだ盛夏の真っただ中で、「隣は何をする人ぞ」もなかろう、とおしかりを受けることを覚悟で、以下、これも筆者の友人に送ったメールの一節。

「お隣の中国との関係は、日本にとって実に微妙です。
 中国とは地理的、歴史的な問題もあるし、何より、日本が経済的にも政治的にも米中露という大国に囲まれているために、中国との関係だけを云々しても本当の問題解決の糸口は一向に見つからないからです。ひょっとすると永久未解決問題かもしれないけれども、その時代時代、その時々の情勢の動きの中で少しでも「安定」に繋がる道を見つけて懸命に賢明に乗り切って行かざるを得ないように思う。本来、国際関係とは永久に完全な解決のない「永久問題」なのだと割り切ってしまえば少しは気が楽になるかもしれないけれど、それは、無策、無気力でも仕方ないということではなくて、絶えず一生懸命でなくればないないということでもある。

 さてそこで、ここ数十年の状況をどのように見るか。山と山里に例えると、こんな感じでしょうか。
 日本は米中ロという三つの巨山に三方を囲まれた山里のような位置にあるわけです。そのため、どこかの巨山の頂上を目指して登ろうとすると、別の山から「その山に登るならもう登らせてやらねえぞ」と言ってくる。しかもどの山にも、出掛けて行って拾いたい山の幸がそこそこ豊富にある。おまけに、「中山さん」からは昔文化という川がほぼ千年近く流れ込んでいたために、既にその川が涸れ川であるにもかかわらず、山里の住人の中にはまだその川に水が流れていると錯覚している者、あるいは、今後いつかは水が流れてくるはずだと期待する者もいなくはない。今の山里は「米山さん」のお陰で強風から守られていて、更には米山さんがほかの二つのお山が時に狂風にならないように抑える力もあるけど、どうもその神通力もいつまで保つか判らない兆候もある。

 平和な山里でいようとする方法の一つは、三つの巨山を越えた向こうにある沢山の里の民と仲良くなって、出来れば様々なモノや力が借りられる関係になること。
もう一つは、中山や露山に住む民そのものとも仲良くしたいけれど、各々の山には得体の知れない山の神が住んでいて、山里に降りてくるこれらの山の民とは仲良くできても、そもそも降りて来ない山の民もいて、そういう民は山の神の神通力で金縛りになってしまっている。 それにそもそも、この山里にはそんな時間と手間の掛かる遠交近攻の策を手順立てて、しかも深く静かに続ける根気が見えてこない。その訳の一つには米山の神が他の巨山の神に対抗するために、山里の民の長(おさ)連中に呪いをかけているから、という者もいる。
しかも、山里の民の中には米山の第二国民と錯覚して、あるいはそういう振る舞いが山里で政治的な力を得ることを知っている者もいる。だからこの類の輩は、米山から吹く風にばかり顔を向けている。

 山里の神と民が安寧に暮らせるもう一つの道は、どの巨山の民からも、口をそろえて「あの山里は戦も諍いも無いいい所だ、山里の民皆なが俺達と友達なんだ、あの里の民が傷ついたり里が荒らされる無くのは身を切られるように悲しい、世界の宝だ」と賞賛してくれること、しかもそういう巨山の民の声を巨山の神が無視できない、そんな世になること。でも、これはとても難しい。山の神は一時が万事全てをお見通しで神官たちは己の力が萎えるのを何より怖れているから。
 それでもせめて山里に降りて来た巨山の民とはいい友達関係になりたいものです。」




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