とある寺院の日記。苦労もあれば夢もあります。ごくごくフツウの毎日ですが・・・。
tera日記
ゴマは錆びない+改
流行っているコマーシャルです。流行っている割には、キャッチコピーは「健康食に、流行は、不要かもしれない」です。可笑しくありませんか?
この宣伝は、サントリーのセサミンEプラスです。テレビ、新聞等で大きく放映・掲載されています。
目を引くのは、永平寺・典座教訓・応量器が取り上げられているところです。宣伝文にあるように、確かに永平寺では、760年間、同じように沢山のゴマを朝食の粥とともに摂取してきたのです。
写真の右の入れ物にはいっているのがゴマ塩です。ゴマを少しつぶして包丁で刻んで細かくして、塩とともに軽く炒ったものを山盛りにして、たっぷりお粥に入れて食べるのです。美味しいですよ。中央はタクアンの薄切りの漬け物や梅干しなど。箸の置き方は、この斜め置きが正式。取り置きが最も合理的なのです。左は玄米の粥、木製のさじで食べます。右の間に縦に置いてあるへらのような物は「せつ」と言って、ガーゼが巻いてあって器を洗うときに使います。これが朝食セットのすべてです。
さて、ゴマの話に戻りますが、ゴマに含まれている成分は、不飽和脂肪酸(リノール酸・オレイン酸)、必須アミノ酸(メチオニン・シスチン・グリシン)、ビタミン、カルシウム、セサミン等。
このセサミンを主成分とする健康食品のセサミンEプラスの広告として、永平寺のゴマが取り上げられたわけです。
この宣伝記事には、
「日本の精進料理が体系化されたのは、永平寺の開祖として知られる道元禅師が『典座教訓』という書物で、日々の食事の大切さを説いて以来と言われています」と、あります。
ただ、道元禅師はゴマの効能をこの書物で書いたのではなく、精進料理を体系化した訳でもありません。
「食」という、もっとも基本で大切な日常生活の一習慣を原点から見つめ、調理の心、食材使用の心、食べる心、その扱い、作法の実際などを、中国の禅の修行道場から受け継ぎ伝えているものです。正確に言えば、『典座教訓(てんぞきょうくん)』は精神的な心構えなどが書かれていて、この他の『赴粥飯法(ふしゅくはんぽう)』という書物にも具体的な作法が併せて記載されています。そして、さらに重要なことは、日常の茶飯ごとの一つひとつにこそ、ほとけさまとしての行(仏作仏行)があり、「食」への心を通して命、人生、さとりを見つめるという深遠なねらいが、『典座教訓』にはあるのです。ですから、単に「食事の大切さ」を説いたのではなく「食事への心の大切さ」を説いた書なのです。
確かにお料理に関する書としては、最古という評価に間違いはないと思われますし、これらの書が、日本の料理文化のルーツとされるのは自然なことかも知れません。しかし、お料理、精進料理のハウツウ本的に扱われることは、大きな誤解です。
この宣伝は、サントリーのセサミンEプラスです。テレビ、新聞等で大きく放映・掲載されています。
目を引くのは、永平寺・典座教訓・応量器が取り上げられているところです。宣伝文にあるように、確かに永平寺では、760年間、同じように沢山のゴマを朝食の粥とともに摂取してきたのです。
写真の右の入れ物にはいっているのがゴマ塩です。ゴマを少しつぶして包丁で刻んで細かくして、塩とともに軽く炒ったものを山盛りにして、たっぷりお粥に入れて食べるのです。美味しいですよ。中央はタクアンの薄切りの漬け物や梅干しなど。箸の置き方は、この斜め置きが正式。取り置きが最も合理的なのです。左は玄米の粥、木製のさじで食べます。右の間に縦に置いてあるへらのような物は「せつ」と言って、ガーゼが巻いてあって器を洗うときに使います。これが朝食セットのすべてです。
さて、ゴマの話に戻りますが、ゴマに含まれている成分は、不飽和脂肪酸(リノール酸・オレイン酸)、必須アミノ酸(メチオニン・シスチン・グリシン)、ビタミン、カルシウム、セサミン等。
このセサミンを主成分とする健康食品のセサミンEプラスの広告として、永平寺のゴマが取り上げられたわけです。
この宣伝記事には、
「日本の精進料理が体系化されたのは、永平寺の開祖として知られる道元禅師が『典座教訓』という書物で、日々の食事の大切さを説いて以来と言われています」と、あります。
ただ、道元禅師はゴマの効能をこの書物で書いたのではなく、精進料理を体系化した訳でもありません。
「食」という、もっとも基本で大切な日常生活の一習慣を原点から見つめ、調理の心、食材使用の心、食べる心、その扱い、作法の実際などを、中国の禅の修行道場から受け継ぎ伝えているものです。正確に言えば、『典座教訓(てんぞきょうくん)』は精神的な心構えなどが書かれていて、この他の『赴粥飯法(ふしゅくはんぽう)』という書物にも具体的な作法が併せて記載されています。そして、さらに重要なことは、日常の茶飯ごとの一つひとつにこそ、ほとけさまとしての行(仏作仏行)があり、「食」への心を通して命、人生、さとりを見つめるという深遠なねらいが、『典座教訓』にはあるのです。ですから、単に「食事の大切さ」を説いたのではなく「食事への心の大切さ」を説いた書なのです。
確かにお料理に関する書としては、最古という評価に間違いはないと思われますし、これらの書が、日本の料理文化のルーツとされるのは自然なことかも知れません。しかし、お料理、精進料理のハウツウ本的に扱われることは、大きな誤解です。
コメント ( 8 ) | Trackback ( 0 )
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このテレビCMを聴いた時、いきなりテレビから「道元禅師」なんて聞こえてきたものですから、かなり驚きました。
> 道元禅師はゴマの効能をこの書物で書いたのではなく、精進料理を体系化した訳でもありません。
この箇所ですが、あのCMだけですと、誤解されてしまいそうですね。余談ですが、このために、当時の食事の状況が分からず、色々と大変な想いをしたことがございます。
私はひねた沢庵を朝4時頃から刻み続けておりました。薄く刻んだ沢庵を水につけて塩気を抜き、よく絞った後、生姜醤油にほんのすこしのみりんを混ぜて味付けしました。
塩気がきついので包丁がすぐさびてしまい、毎日慣れないながらも一生懸命研いでいたのを思い出します。身体はきつかったけど、けっこう楽しかったなあ。
たくさんのゴマが入ったお粥はおいしかった。僧堂で食べるお粥が一番美味しいと思っているのは、きっと私だけではないはず。食は大事です。
「日本の精進料理が体系化されたのは、永平寺の開祖として知られる道元禅師が『典座教訓』という書物で、日々の食事の大切さを説いて以来と言われています」と、あります。」
↑の記事、ちょっと不快に気になります。
典座寮のスペシャリストの貴師にとりましては、懐かしく、また興味深いCMであると思います。当然、私たち僧堂飯台についたものとしましても、同様です。美味しいですよね。私はゴマ塩づくりの経験はありませんが、小庫院にて、ゴマどうふのゴマ擂りに明け暮れた日々を思い出します。
流石に、『典座教訓』・そして寂円さまファンだけに、するどいご指摘ですね。私も、扱いが「軽く」思えて気になっていました。そして、追加書き込みいたしました。有り難うございます。
いいとこ取りだけでなく、本質が伝わってほしいですね。
坐禅をし、ゴマ豆腐を作りお粥を炊き、そして掃除をさせて頂いて私が気づかせて頂いたのは「禅は日常生活」ということでありました。
一瞬一瞬、一日一日の尊さ、その中の食の大事さなんですね。
食事であって食事だけではないところを典座教訓で味わっていただきたいものですね。
私も当時、永平寺そのものがどの場面でも禅そのものでつながっていて、生き生きと活動しているところだという印象を持ちました。
切り取られた「お料理」とか「精進料理」というものではないので、あのCM心配ですね。興味を持っていただくきっかけになることは良いことだと思うのですが・・・。