とある寺院の日記。苦労もあれば夢もあります。ごくごくフツウの毎日ですが・・・。
tera日記
慕古の旅①~道元禅師入宋地~
中国の旅から戻って来ました。広い大地、古い歴史、沢山の感動とカルチャーショックを受けて、まだ、ボッーとしています。時差はたったの一時間なのですが、「事差」は一日経っても戻りません。
この度(この旅)は、布教に志す仲間で結成した、道元禅師の訪中の古(いにしえ)を慕っての「慕古(もこ)の旅」と題した都合5泊6日の旅でした。道元禅師の、宋(中国)での主たる修行地であった天童寺を中心に、周辺の禅師ゆかりの各所を巡ってきました。天童寺では夜坐二チュウ、四時振鈴、百人余にわたる安居(修行)僧との朝課(読経)、荘厳厳粛な中にも、大きくスタイルの違う形態と進行状況に、驚きと感動の連続。貴重な経験が出来ました。 冒頭の写真は、道元禅師が到着した寧波(ニンポウ)の港付近に建てられた記念碑です。
この辺りが、舟が停泊していたと思われる岸。有名な阿育王山の典座和尚(てんぞおしょう)との出会いはこの辺りだったようです。右の写真は、寧波から天童寺に到る途中の古道。この道を禅師は歩かれたのです。
天童寺の伽藍配置や、すべてが回廊で結ばれているつくり方は、永平寺と似ています。鳴らし物も似ています。写真は「ほう」と、応供堂前で食事の合図の雲版を慣らす僧。
最上部付近から見た天童寺。道元禅師の頃とは位置も建物も、そして、修行形態もすっかり変わっていると思われますが、唯一、周囲の山々はそのままなのだろうと思うと、感慨も一入でした。
この度(この旅)は、布教に志す仲間で結成した、道元禅師の訪中の古(いにしえ)を慕っての「慕古(もこ)の旅」と題した都合5泊6日の旅でした。道元禅師の、宋(中国)での主たる修行地であった天童寺を中心に、周辺の禅師ゆかりの各所を巡ってきました。天童寺では夜坐二チュウ、四時振鈴、百人余にわたる安居(修行)僧との朝課(読経)、荘厳厳粛な中にも、大きくスタイルの違う形態と進行状況に、驚きと感動の連続。貴重な経験が出来ました。 冒頭の写真は、道元禅師が到着した寧波(ニンポウ)の港付近に建てられた記念碑です。
この辺りが、舟が停泊していたと思われる岸。有名な阿育王山の典座和尚(てんぞおしょう)との出会いはこの辺りだったようです。右の写真は、寧波から天童寺に到る途中の古道。この道を禅師は歩かれたのです。
天童寺の伽藍配置や、すべてが回廊で結ばれているつくり方は、永平寺と似ています。鳴らし物も似ています。写真は「ほう」と、応供堂前で食事の合図の雲版を慣らす僧。
最上部付近から見た天童寺。道元禅師の頃とは位置も建物も、そして、修行形態もすっかり変わっていると思われますが、唯一、周囲の山々はそのままなのだろうと思うと、感慨も一入でした。
コメント ( 11 ) | Trackback ( 0 )
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流石に、現地は想像を超えたものでした。場所と特徴とがよく整理がついていませんが、再度確かめに訪れたいとの思いは、強まることでしょう。
お約束の品、手に入りませんでした。申し訳ありません。若い住職さんに代わり、揮毫はしないのだそうです。代筆の方のを販売していました。
帰国してからが本当の「モコ」の旅が続く。
失礼しました。
確かに、帰国してからの旅が重要ですね。早速、本日はMOKOに乗って近所に檀行の旅に出ました。(違うか・・・・(笑))
お帰りなさい。
天童寺の写真は永平寺に良く似てます。私も昭和60年頃に一度、永平寺を参観したことがあります。懐かしく思い出しました。あの渡り廊下の窓枠や廊下の隅々にいたるまでが、塵一つなく、綺麗に掃除されている様子に感動したことを思い出します。そして永平寺の修行僧さんたちの立ち居振舞いなどの動作がキビキビしていたことを思い出します。
天童寺にも同じような雲水さんたちがたくさんおられるのでしょうか?
ところで、作務衣は日本では新しく、昭和三十年代にできたものであると、先日のラジオで聞いたような気がしますが、ほんとうなのでしょうか?
写真を拝見しますと、中国の僧侶さん方もおなじ作務衣を着ているのですね。
お疲れのところ失礼しました。お許し下さい。
ご無事のお帰りをなによりでした。
道元禅師の時代に思いを馳せる、その場所で。同じ道も歩いてみる・・・考えただけでも感無量です。
私もそういった「こだわりの旅」が大好きなので・・・。
第二弾も楽しみにしています。
私もいつか(いつになるやら分かりませんが)必ず行きたいと思います!
やっぱり中国は、建造物にしろ、スケールの大きさを感じますね。
現在、天童寺で、どのような修行がなされているかもとても興味があります。
お疲れ様でした。
ネーミングが何とも引かれる旅に行ってらしたのですね。
最近の中国には魅力を感じませんでしたが、さすが
四千年の歴史!
広い中国にはまだまだ素晴らしいところが残っている
のですね。
心静に、自分を見つめ直しに行ってみたいです。
お疲れさまでした。
懐かしく、写真を拝見しました。
私も、同じところに、半年前にいきました。
朝課にも随喜しました。が、坐禅はしておりません。
中国での夜坐は、格別であろうと想像しています。
中国寺院は、一回り大きなスケールを感じますね。
いつも正法眼蔵の参究、頭が下がる思いで読ませていただき、勉強させていただいております。
ほんとうに、天童寺と永平寺は似ておりました。あちらの禅宗寺院がすべてこのようなつくりでもないのです。ただ、永平寺のような研ぎ澄まされた清潔感と合理性は見られません。その分、永平寺のようなピリピリした緊張感はなく、規制も緩やかでホッとしたムードが漂っています。
作務衣の件ですが、階段を登る写真は我々の作務衣姿で、あちらではワンピースタイプの筒袖のようなものを着ていました。私達が「長作務」と呼んでいるような類のものです。
さて、作務衣の歴史については詳しいことはわかりませんが、モンペと言われてきた前後で切れていて、和服の下から履くものはかなり前からあったように思われます。現在のように単独で使われるようになったのは、報道されたのことですが、最近のことかも知れません。
→風月さん
ご紹介いただいていたので、古天童、興味深く訪ねて参りました。良かったです。感動しました。②は、風月師にお伝えしたくて単独コーナーとしました。如浄禅師の塔のあるところは普段は施錠されていて、特別拝観を依頼しないと入れないそうなのです。感激しました。
→某子さん
こだわりたっぷりの旅でした。某子さんには負けるかも知れませんが・・・(笑)。ベテランガイドさんが、これだけ寺巡りに集約して網羅したのは初めて・・・、と言っていました。それだけ移動は大変でしたが、道元さんの時代はもっと大変だったと思います。
夜坐二チュウ、面白かったですよ。特に経行が・・・、早歩きでグルグル回るのです。しかも、坐禅をしている僧達は毎日が摂心なのですよ。びっくりです。
→りょうさん
いろいろなことを見聞してきました。お会いしたときにゆっくりお話しします。機会があったら是非、お訪ねあれ。ともあれ、わが永平の行履のすばらしさも痛感します。
→hitomiさん
まだカルチャーショックから抜け出せていません。一言では尽くせないいろいろの要素の含んだ中国です。すばらしさの要素は秘めているのでしょうが、模索し、あがいているといった感じです。日本に降り立ち、改めて整然と物静かな国民性を認識しました。近くて遠い大中国、訪ねることができて良かったです。同一文化の仲間であることは間違いありません。
→ぜんさん
ほんとうに「百聞は一見にしかず」、想像と実際とでは大きな違いでした。野性味たっぷりの逞しさを寺院生活にも感じました。天童寺では、永平寺のように同時同行の形態ではなく、段階ごとにばらばらの修行をするようですね。坐禅は全員ではなく、専門の修行というところに特色がありました。経行が面白かったです。