goo

藤沢周平の故郷

しばらく、山形レポートと現地記事の更新を行って参ります。先ずは藤沢周平です。写真は、生家跡の碑です。

庄内平野、鶴岡の出身で時代劇小説で著名な作家、藤沢周平は当地の英雄といったところです。特に原作が近年、山田洋次監督によって相次いで映画化され、ロケ地にもなっていることで全国的に有名になっています。
       
             町の各所に藤沢周平の名が

 藤沢周平はペンネームで、先妻の出身地「藤沢」からとった名と言われています。
 
 この藤沢地区は、滞在地、湯田川に隣接していて歩いて数分のところにあります。のどかな田園地帯のとてもいいところです。周辺を散策していて私のお気に入りのコースとなりました。後半は毎朝訪れていました。
                           
 この藤沢という地名、私の住む神奈川県の江ノ島がある藤沢と同じで親近感を感じていましたが、終盤になって思わぬ発見をしました。
 というのも、この地名の由来はこの神奈川の藤沢だったのです。何でも、永禄4年(1561)に、藤沢遊行寺の第29代体光上人が隠居して諸国行脚して当地を訪れた際に、飢饉や役病で危機に瀕していた当地をご祈祷にて救い、不動尊を建てて住し、当地にて遷化されたことにより、この上人を讃えてもとの名、梅ヶ沢から「藤沢」に変えたのだそうです。不思議なご縁を感じました。

 藤沢周平(本名、小菅留治)先生は、昭和24年に山形師範学校を卒業し、湯田川中学校の教師になっています。二年の在職後、肺結核により退職し、作家の道へと進むのです。
 小学校の入り口には、平成8年建立の文学碑が建っています。当初は自分には不相応としてこの建立に反対していたそうですが、つつましいものならば・・・と許可されたそうです。完成後に、教え子とこの碑の前で同窓会をするのを楽しみにしていたそうですが、その日を待たずして平成9年1月26日に亡くなられたのだそうです。
 
「赴任してはじめて、私はいつも
     日が暮れる丘のむこうにある
             村を見たのである」
 (半生の記より)

周平の生まれ育った地区は、藤沢・湯田川地区の東側にあった。日が暮れる先のこの集落を初めて見た感動とこの地への想いが感じ取れる。そして、志半ばで、教壇から去った無念さが感じとれる。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
« かまくら道学習 たそがれ清兵... »
 
コメント
 
 
 
のどか♪ (サエ)
2008-06-27 12:49:25
PC復活いたしました^^
またブログ見させていただきます♪

藤沢っていうのですか!
すごく親近感わきますね~♪
こういう、のどかな場所に住みたいです。
今住んでいる所ものどかではありますが、
だんだん緑が減ってきていて寂しいです
 
 
 
→サエちゃん (tera)
2008-06-28 20:52:09
PC復活してよかたねぇ。
そうなんです。「藤沢」があったんですよ。しかも有名な作家の名にもなっていたなんてオドロキです。
うちの方もいいですが、さらに田舎で良かったですよ。

川の吊り橋、そろそろ完成ですね。
 
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。