とある寺院の日記。苦労もあれば夢もあります。ごくごくフツウの毎日ですが・・・。
tera日記
ネットワーク坐禅会・その2 …3密では足りない・心の密を避ける
ネットワーク坐禅会・その2
… 3密では足りない・心の“密”を避ける …
今、社会では「密閉」「密集」「密接」の3密を避けることが大きな課題になっています。この3密ですが、実は全く別の意味ではありますが、仏教では古くから身密・口密・意密を「三密」として伝えられてきました。密教の教えでは、「密」という文字には、深い真理が詰まっている意味があり、具体的に言い現わし得ない神秘的な境地を秘密裏に身・口・意で伝承するという教えです。
この度のコロナの感染の特色として、強い感染力があることから、密なる接触を防ぐという意味に使われている3密であり、仏教の意味とは真逆の意味で知れわたるようになりました。
盛んに呼びかけられているこの3密ですが、私は、これでは足りないと思っています。3密ではコロナは防ぎきれないのでは…と不安が募ります。何故かというと、3密には、単に身体的な接触のみの注意しか喚起していないからです。仏教で使われている三密の範疇の「身」だけ、だからです。
これでは、人の特色である「口と意」つまり、言葉や心という精神的な意味での注意が見逃されているのです。具体的に言えば、
「私一人ぐらいはいいだろう」
「自粛なんかしてたら大変な損失だ」
「感染が分かったら大変なことになるから黙っておこう
と、いうように、目先の自分中心の利益優先的考えが、実は現在、深刻な感染拡大の素因になっていると思われるのです。この自己中心的な流れは、自分だけが気が付いて守れば済む問題でもありません。ひとたび脅威が迫ると、排除、偏見、風評被害という社会全体の流れがあるからです。このような社会風潮を変える意味でも4密目は重要です。つまり、偏見差別や隠ぺいの心を防がないと終息しないのではないかと思うのです。
この4つ目の「密」は、あえて名付ければ「密心」でしょうか。秘密の心を避ける、そして、他人の痛みを自分と密接に感じて支えていくという自他ともに痛みを分かつ「共生の心」への喚起です。この心の密を加えて、感染を防いでいきたいものです
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