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九州の仏蹟~青の洞門

 急に涼しくなりました。といっても全国的には例年よりも暖からしく、このブログにもコメントいただく友人のkenryu師の町には、昼間からクマが通りを歩いているということで、早く寒くなって山に戻ってくれないかと願っているそうです。皆様の無事を祈っております。

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 さて、ここのところ慌しい日が続き、更新ができませんでしたが、先日訪れました九州の仏蹟を紹介します。はじめは耶馬溪、青の洞門です。

 大分県北部、宇佐市のやや南の山中に、独特の岩峰が美しい渓谷、耶馬溪があります。この入り口付近の青という地区に、有名な「青の洞門」があります。菊池 寛の小説「恩讐の彼方に」で一躍有名になったところです。この小説は、江戸時代に禅海和尚という僧が、この地の岩壁に、村人の安全通行を願ってトンネルを掘った史実に基づいて脚色されたものです。

 小説では、主人公の了海が、江戸の武家屋敷で奉公している時に、主人に仕える女人に恋心を抱いたことを叱責され、危害を受けようとした時に動転して主人を殺してしまったところから物語が始まります。手配から逃れるために各地をさまよい、九州のこの地にやってきたところ、岩壁につけられた険しい崖道を、足をすべらせて死んでしまう村人の葬儀に遇い、何とか自分に出来るせめてもの償いとして、トンネルを掘ることを決意する。何年もの苦闘の最中、あだ討ちのために捜していた亡き主人の子につきとめられる。ここで父の仇・・・と、刀を振り上げたところで、トンネルの開通まで待って欲しいと懇願する。やがて、待つ間に、仇の子も村人も協力して洞門が貫通する。さあ、あだ討ちを・・・という場面で、もう怨念は消えて、固い絆で抱き合ったという物語です。

 この物語は、史実とはかなり違いますが、禅海和尚の不撓不屈、意思貫徹の精神は高く評価されており、小学校の道徳の教科書にも取り上げられています。

 この地は、奥に五百羅漢を祭った羅漢寺があり、その参詣にはどうしてもこの岩壁を通らないと行けなかったわけです。実際には、禅海さんは一人で掘ったわけではなく、各地の大名に寄付を募って、かなりの資金を集めて、人工を雇って工事を進めたそうです。300メートル余の長さを30年近くかけて完成させたというのですから、大変なことだったのでしょう。羅漢寺には禅海さんのお墓と、実際に使った、のみや槌が保存されています。地域では英雄としてあがめられています。
                    
            洞門前の史跡公園の禅海和尚銅像

 現在は、この洞門は一部を除いて、大きく堀り改められ、自動車の行き来も多い主要道路となっております。残された洞門は、歩いて見学出来、ところどころに当時の明かり取りと土砂捨ての窓が空いております。
 

  下の写真は、岩壁上部に取り付けられていた古道。現在、鎖が取り付けてあるのがわかります。通ることもできるそうですが、正に命ガケです。
        

 史実の禅海和尚は、湯布院で得度をしたと言われ、幸い、翌日訪れた湯布院のこの曹洞宗興禅院を捜して訪ねてきました。
 
 

境内には、禅海和尚と妻お弓の像が立っていました。大分には、このような史実と伝説の仏蹟が多くあります。

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コメント
 
 
 
失礼いたします。 (tenjin95)
2006-11-15 09:12:22
> 管理人様

行かれたのですね。拙僧も一度、行ってみたいと思っている場所です。先日、菊池寛の小説を読んだのですが、そもそも掘った僧侶の宗派も変わり、ずいぶんと「良いお話し」にまとめられているように感じました。

晩年は、通行料を取ったということですが、それくらいの難事業だったということなんでしょう。
 
 
 
→tenjin95さん (tera)
2006-11-16 07:49:59
羅漢様と併せて、是非おすすめの史跡です。
確かに、小説と史実とはかけ離れているようです。禅海和尚個人の掘削の力というよりは、政治力、処世術に長けていたようです。通行料や浄財の一部を羅漢寺に寄進して、それなりの地位を築き、厚遇の条件を得ていたようです。

しかし、小説によって全国区に出て、地域おこしの核となっている功績は大きいと思います。

険しい難所のイメージの割には、川の流れはのどかで癒しの風景となっていることが、なんともアンバランスで違和感があります。
 
 
 
知りませんでした (某子)
2006-11-16 10:46:28
こんな所があるんですね。知りませんでした。
トンネルを掘ったそのパワーというかエネルギーというか、
そういうものがまだその場所に残っていそうな感じですね(勝手な想像ですが)。
ある種のパワースポットだったりして・・・。
 
 
 
→某子 (tera)
2006-11-17 07:47:03
それ、それ、パワースポットという感じです。
この耶馬溪の岩山そのものが、中国の桂林に似た山並みがあって不思議な霊力を感じます。
羅漢様も、そして石仏群からもパワーを放っているかのような迫力を感じます。大分はこの種の宝庫かも知れません。
 
 
 
やっぱり・・・ (某子)
2006-11-17 10:11:29
パワースポットですよね~。
私も最初の写真を見たとき桂林のようだと思ったんです(書くのを忘れましたが・・・)。

大分へ行ってみたくなりました・・・。
 
 
 
→某子さん、さん (tera)
2006-11-17 23:09:01
キャー、すみません。前の返信、呼び捨てにしてしまいました。申し訳ありません。携帯からの書込みだったもので、入力ミスしたのかも知れません。失礼致しました。

この度は、ほんとうに大分再発見の旅でした。このパワーのお陰でしょうか、それとも一村一品運動の成果なのでしょうか、各地に活気があって、元気をいただいて来ました。国東半島、臼杵、湯布院・・・、
デス。
 
 
 
いえいえ・・・ (某子)
2006-11-21 13:17:17
どうぞお気になさらずに・・・。(実は言われるまで気づいていなかったんです・・・)

大分、やはり行っておくべきところのようですね! 今後の旅先の強力な候補として頭に入れておきたいと思います。
 
 
 
→某子さん (tera)
2006-11-22 06:48:35
有難うございます。
いつか機会があったらお訪ねください。あと、確か・・・、キリシタン系の話もガイドさんから聞いたように思いますけど、よく覚えていません。
けれども、キリシタン大名で有名な大友宗麟の居城は臼杵にありましたし(現在城址として残っています)、キリシタン石仏もあるようです。某子さんご専門ですね。
 
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