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秋葉原の悲劇

また、悲しい出来事が起きてしまった。

何故、秋葉原が選ばれたのか?何も知らずに、ただ電気の街の買い物に、散策に、ビジネスに出掛けていた人にとっては、悲劇としか言いようがない。私も、電気の部品を求めてここに訪ねることは楽しみの一つであった。

ただ最近は、訪れる度に、「おかしい!」、何かがおかしいという思いを強くしていた。

ゲーム、アニメまんが、フィギアと言われる人形のおもちゃ、メイド、萌え・・・、漫画の主人公のような衣装をつけた女の子。群がる若者。。。異様な雰囲気である。イベント会場にはデジカメを持った人の長蛇の列。。。。電気ラジコンマニアの若者や機械好きなオジサンたちで賑わった以前とは明らかに違う。

十数年前に、パソコンを買いに訪れたとき、ぬいぐるみを着た宣伝マンが呼び込みをしているバカに安いバソコンがあった。店内の雰囲気はどこか異様であった。後に世間を騒がせた某新興宗教の会社であったことがわかった。思えばあの頃から変であった。

かつては、原宿辺りで竹の子族なるパフォーマンスが流行った時代があった。そんな若者志向のアキバという場があってもやむを得まい。ただ、健全な若者の姿とは言えない。社会に対する退廃的なはけ口としてたむろする若者をターゲットとする街だとしたら健全とは言えない。はしかのようにそっと通り過ぎるのを待つようなことでいいはずだ。

懸念を持つのは、このアキバ現象、秋葉原がオタクの聖地として若者の象徴の街のように扱われることに問題がある。マスコミももてはやし、驚くかな選挙の街頭演説で、総理大臣候補までもが若者の信任を得ているかのように持ち上げる。あのテレビ画像を見たら、アキバでの若者のふるまいが認知されたと思うであろう。この国の倫理観や道徳観はどうなっているのか。政治家の人たちはアキバで行われている一部の病んだ若者の実体をどこまで把握しているのだろうか。いつか大変なことになる、少なくても私はそう思っていた。

今回の事件がこのようなアキバ現象とどこまで関連があるかはわからないが、決して無縁ではないように思える。

もう少し静観しようではないか、聖地のように賛美するのも、「アキバ系」ともてはやすのも。早く健全な秋葉原を取り戻してほしい。かけがえのない尊い犠牲者の命のためにも・・・。
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コメント
 
 
 
孤独 (風月)
2008-06-11 12:57:17
この事件の犯人は、ものすごい孤独地獄に陥っていたのだと思いました。おそらく親も、「どうしてる」の一言もなく、親の期待を裏切った子として、つめたかったのではないでしょうか。

子どもの頃は「勉強、勉強」で詰め込んで、できて当たり前、できないと駄目扱い。

勉強なんてできなくても、元気で優しい子に育ってくれれば、いいんだよ、と親が言ってあげていれば、これほどの惨事をしでかすようなことには到らなかったのではないでしょうか。

そして子どもの時に、勉強よりも、きちんと正座をすることを教え込んでいてくれれば、彼はこれほどに追い込まれなかったのではないかと、思われてなりません。

親の責任にするようで申し訳ないのですが、親の責任は多分にあるように思います。

秋葉現象については、また別の問題でしょうが、この事件についての私の現段階での感想です。
 
 
 
→風月さん (tera)
2008-06-11 16:05:19
韓国の貴重な情報を有り難うございました。

事件の問題ですが、仰る通り、孤立して追い込まれてしまったのでしょう。家族・周囲、すべてがつながりあって関係していることを再認識させられます。

私の関心事項は少しずれていまして、削除しようと思いましたが、秋葉原にこだわった点がくやしくて、敢えて公開しました。ずっとアキバ問題は懸念していたことでしたので・・・。

今回のことは、また別の次元で考えるべき大事件でした。生とは?生きる力とは?と根本が問われていることだと思います。
それにしても、銃社会でなかったことが唯一の救いかも知れません。海外では似たようなことが銃により何倍にも大きくなっていますので。
コメント有り難うございました。
 
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