7日に、本年第1回目の参禅会がありました。当寺では年間24回の坐禅会を行っています。現在二十数名の方々が参禅されています。昨年、全回出席の方は3名と少し少な目でしたが、1~2回欠席の方は10名ほどですから、皆さん信心の深さに頭が下がります。冬期の朝は暗くて寒いので大変だと思います。
いたずらに過ごす月日は多けれど、
道を求める時ぞ少なし
は、道元禅師の句ですが、皆さん、一時の無常を切実に感じ取り大切にしているのだと思います。
この年末、メンバーの方々の間でも大きなことがありました。20年近くにわたってほぼ全回出席で、12月の最後の坐禅の時には元気良く来られて、いつものように「べらんめえ」調で周囲を笑わせ、人生の機微を禅の精神をふまえて語ってくださったM.Kさんが、暮れに急に脳梗塞でお亡くなりになりました。M.Kさんは居合道の達人でもあられました。いいようのない悲しさと寂しさを感じます。
第1回坐禅は、そんな追悼の意をこめての参禅会となりました。
メンバーのT.Kさんが、次のような句を詠んでくださいました。
「剣の人 禅の心に 包まれて 御仏の世に 駆け足で逝く」
「桐一葉 落ちて空(くう)の 智慧しめす」
そして、悲しみを乗り越えて、さらなる各人の今年の活躍を誓った訳です。第1回坐禅は、新年の抱負を語ることが恒例となっています。
ベテランの女性会員の一年の目標に、一同感心しました。その目標とは次の通りです。
「一日に、1・10・100・1000・10000をする」
一とは、一日に一回感動をすること。
十とは、一日に十回笑うこと。
百とは、一日に百回深呼吸すること。
千とは、一日に千文字を書くこと。
万とは、一日に一万歩歩くこと。
だそうです。えっ、できるの?って思いがちですが、細かな実現可能想定もされていて、この方はすでに以前よりかなりの部分を実践済なのです。
一や十は、感性のアンテナの感度を高めることによってかなり可能性があります。百回の深呼吸も、朝昼晩と分けて、生活のリズムに合わせて工夫すれば可能です。千文字も、400百字詰の原稿用紙で2枚半、日記・写経・手紙・メモ・随筆などでかなり現実性があります。万歩については、言うまでも無く一般化しています。これらのノルマは精神医学的な観点からも、若さを保つ重要な要素が盛り込まれているそうです。みんな顔を見合わせて感心していました。
今年もいろいろな有意義な出会いの場となれると良いと思っています。是非、ご参加ください。
皆さんで記念撮影。