とある寺院の日記。苦労もあれば夢もあります。ごくごくフツウの毎日ですが・・・。
tera日記
三人称の死~仏教随話(2)
現代の葬祭について講演・著作活動で活躍している小谷みどりさんの言葉に「三人称の死」があります。
もともと家族は私とあなたの二人称の関係なのに、現在の死は長く入院が続き、日常の生活から離れた私とあの人の三人称になっているというのです。そのために、湯かんも末期の水もサービスによって業者の手によって済まされるケースが多いのだそうです。そうなると遺体も、遺骨も、位牌・仏壇の存在も希薄になると言わざるを得ません。ましては寺院・僧侶は遠い存在になっても不思議はありません。一大事です。
大乗仏教で大切なことは、慈悲・利他の精神。自分と他人が人ごとではなくて、一人称のように自分ごと(同事行)として考えるところにあります。そう考えれば、家族の死は自分ごとでなければいけません。
最近、私は気になることがあります。暮れに聞いていたラジオのチャリティー番組で、「あなたにとって大切なものは何ですか?」という問に、多くの人が「家族」と答えていたことです。特に有名芸能人が得意気にこう答えていたのが耳につきました。家族が大切なことは当たり前。基本の基。敢えて三人称のように取り上げるということはそれだけ希薄化が進んでいる証拠かも知れません。家族の幸せをも包含したグローバルな世の平安、スピリチュアルな世界、そしてその基本とも言える自己の尊厳を視野に入れている人が少ないのです。私の考え過ぎかも知れませんが…。
法句経の勝まん夫人へのお釈迦様の言葉は、、まさにこのようなことを示してくれているのだと思います。自分を大切にしなさいということです。
若し ひとおのれを愛すべきものと知らば
つつしみて おのれを護るべし
心あるものは 三時の一において
きびしく おのれを省みるべし
しかしここ数日、家族間での殺害事件が報道されていますが、こういった事態を考えれば、何人称でもいいから家族を大切にすることは大切なことと思い直したい気持ちです。
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三人称の死、まさに実感しています。全てが葬儀社中心主導に取り仕切られる現況のセレモニーには、只々呆れるばかりですね。喪主初め親族もお客様。尊厳という言葉、人の脳裏から削除されてしまったのでしょうかねぇ。通夜説教の必要性、自己の力量と共に試されています。
ある先輩は、今こそ檀家の現在帳と故郷を離れている子孫への教化の大切さを力説されています。お説ごもっとも・・・
葬儀事情は都会も地方も同様に急速な変容をしているように思います。次世代への儀礼の伝達も難しくなってますね。知らないことを地道に教え広めていくことが大切なのでしょうね。