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宮崎禅師の遺偈

1月5日に数えの108歳で遷化されました永平寺第78世宮崎奕保禅師の遺偈です。(曹洞宗報2月号より)

遺偈とは、死の直前に心境を書かれる句、つまり遺言の偈ともい言える訳です。おそらく禅師のご直筆と思われます。

              
      大本山永平寺第七十八世黙照天心禅師栴崖奕保大和尚


句によれば、

       慕古眞(直?)心 不離叢林 末後端的 坐断而今


読みは、「慕古(もこ)ノ真(直)心(しんじん・じきしん)、叢林(そうりん)ヲ離(はな)レズ 末後端的(まつごたんてき)ニシテ而今(にこん)ヲ坐断(ざだん)ス」で良いのでしょうか。

いかにも禅師様らしい句です。
禅師様の在任中、道元禅師750回忌大遠忌の大法要があり、そのテーマが「慕古心」でありました。古を慕うとは、お釈迦様からの歴代祖師様方を敬慕し、そのみ教えを受け継ぐ決意の心でもあります。
 その偽り無いまごころをつきつめれば、この祖師様方が守られてきた寺院(修行道場)と一体となって、この叢林(寺院)そのものであった。そして、究極のところ、真実はひとつ(言い遺すことは無い)、今ここに坐禅に徹しきる。

とでも解釈したらよろしいのでしょうか。
禅師様が日頃おっしゃられていたこと。「一分、仏様の真似をすれば一分の仏様だ」「一生続ければ本物だ」の教えそのものの句と思われます。

                    合掌

本葬儀は、4月4・5日に行われるということです。


 

 

 

コメント ( 5 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
失礼いたします。 (tenjin95)
2008-02-25 05:14:33
> 管理人様

やはり、遺偈というのはその人の生涯などが出てしまうので、ちょっとしたメッキを貼っただけではすぐにはがれてしまいます。その意味で、宮崎禅師さまの遺偈は、まさに禅師さまらしいものなのではないかと思います。普段坐禅をしていないような住職が、こんな一句を残したら、かえって恥ですが、禅師さまのであれば、まさにこの通りなのだと思います。
 
 
 
→tenjin95さん (tera)
2008-02-25 08:50:47
早速のコメント有り難うございます。ここのところ、風邪と不用意な怪我の影響で、悶々としておりましたが、宗報を拝見し、叱咤された思いで記事とさせていただきました。
全くの私見で不安でしたが、有識、諸大徳諸師の思いと共有してみたいこともあって、載せさせていただきました。
併せて、歴代祖師方の遺偈も改めて調べてみました。奥の深さを感じます。日常底なのですね。
 
 
 
こんばんは。 (hitomi)
2008-03-04 00:21:33
お久しぶりです。

本葬には各地の住職様達は皆様出席為さるのでしょうか?

実は実家で祖母の十三回忌と祖父の七回忌を予定しているようなのですが、ちょっと心配になり質問させていただきました。m(__)m

副住職はまだ正式な僧侶ではないようなので、昨年の父の実母の通夜と納棺の時にも説法も出来なかったので、祖父母の法事をきちんとしたいので、是非教えて下さい。m(__)m

 
 
 
→hitomiさん (tera)
2008-03-04 10:17:11
ご無沙汰しております。

本葬ですが、全国の住職が全員出席ということはありません。曹洞宗の各役職に就いている方、永平寺で長年修行されたりして縁の深い方、永平寺を護持する会の各地役員・有志の方、遷化された禅師様と新しい禅師様のゆかりの方々などが参列されるものと思われます。

十三回忌・七回忌がその日に当たっていられるということかと思いますが、連絡がなければ住職様がおつとめされるのではないかと思います。もし、確実に把握されたいときは、お聞きになられたらいかがでしょうか。それによって日時をずらすということも一案でしょう。
なお、曹洞宗から正式に「副住職辞令」が伝達されているとすれば、一応は各法要が執行できる資格はあります。とはいうものの、資格と資質は違いますし、ご親族としては気がかりなところですね。
そんな意を理解していただけて、立派な僧侶に成長していただけるといいですね。
 
 
 
ありがとうございました。 (hitomi)
2008-03-04 22:40:42
ご丁寧なご説明ありがとうございました。m(__)m

早速両親に伝えて、住職様に聞いて貰います。

又わからない事があったら教えて下さい。

 
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