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坐禅ひとすじ

今年は永平寺第3世徹通義介禅師の700回御遠忌の年にあたります。これを記念してこのたび『坐禅ひとすじ』の文庫本が角川ソフィア文庫から出版されました。副題は「永平寺の礎を作った禅僧たち」です。

                                 

この本は、道元禅師の如浄禅師との出会いから始まり、興聖寺→永平寺→大乗寺→永光寺・瑩山禅師の業績にいたるまでの、日本曹洞宗の礎をつくった祖師方の足跡を歴史的経過に沿って、物語風にまとめた画期的な書です。
著者は道元禅師研究で活躍目覚しい角田泰隆駒大教授。綿密な資料に裏打ちされながら、史実に忠実に歴史的場面を会話風に再現し、祖師方が遺された各書にみられる思想をも織り交ぜながらドラマとして展開されています。今までつなぎとして不明であった箇所は、勇気をもって著者によって創作補充されています。
今後、研究者、参学熱心な各師からの異議、議論はあろうかと思いますが、一般に知っていただく意味でも、貴重な一石を投ずる名著と思います。

本文中の著者の言葉です。

 「永平寺も、時の流れに従い、文化や環境の変化、科学の発展等に従って、多少は修行の形態は変化してきましたが、坐禅・勤行・作務等の毎日の修行や、洗面・洗浄・飯台の細かな作法は数百年の間、ほとんど変わることなく、師匠から弟子へと、古参から新到へと、人から人へと確実に伝えられてきました。

 だからこそ、750年前のおもかげを今になお残している永平寺。この寺を訪れる人々は、その幽遠な環境と荘厳なたたずまい、修行僧たちの真剣ですがすがしい態度に、心を洗われるといわれます。それは、道元禅師はじめ、仏法を尊び、永平寺を愛し、護ってきた禅僧たちの心が、今もなお環境や堂宇や修行僧の心の中に生き続けているからではないかと思われます。

 人々の心が荒廃してしまったかのように思われる現代社会において、このような寺の存在は、まことに貴重であると思われます。」

この著者の言葉にあるように、仏法を尊び、永平寺を愛し、護ってきた禅僧たちの心が沸々と伝わってくる気がいたします。

さらに、会話形式のドキュメントの一例を本文から紹介します。中国の港を出る際に、寂円和尚を説得する場面です。

「・・・この青年層は心中、日本に渡る決意をしていた。道元禅師もそのことはうすうす感づいていた。青年僧は切り出した。

『私も日本へ連れて行っていただけないでしょうか。私は、あなたと共に修行がしたいのです。』
『・・・・・・・・・』
『そう決心してお供してきたのです。師のごとくお慕いしていたのです。』
『私もあなたのことは、心に留めておりました。あなたの修行の様子には抜群の意気込みがあります。私にとっても、あなたが一緒に日本に来て下さることはどんなに心強いでしょう。しかし、・・・・・』

今、道元禅師はあの時の明全和尚同様、病床にある師をおいて本国に帰ろうとしていた。明全和尚の場合と違い、それが師の嘆願であったのだが・・・・・。
しかし、辛かったのだ。そんな思いをこの青年に託した。

『如浄禅師はずいぶん老衰されて、遷化はもう遠いことではありません。あなたは天童山に帰って、如浄禅師のお側にお仕えしていただきたいのです。如浄禅師がお亡くなりになるようなことがあれば、その時は、すみやかに日本に来られたらよいでしょう。(宝慶寺由緒記)』・・・・略・・・・・

この時、涙ながらに港で別れた青年僧こそ、後に道元禅師を慕って日本に渡り、道元禅師の弟子となった寂円である。寂円は後に永平寺の近くに宝慶寺を建立し、道元禅師の仏法を生涯かたくなに護りつづけ、草創期の永平寺の僧団に大きな影響を及ぼしていくのである。」

このように、ノンフィクションの物語は展開していきます。

なお、この事業を手がけられました大本山永平寺御遠忌事務局のご労苦に心より感謝申し上げます。

 

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