映画「砂時計」が、昨日、東宝系より封切られました。
原作は、芦原妃名子作のまんが「砂時計」(小学館コミックス)で、テレビでもドラマ化されたご存知の人気ストーリー。
砂時計は、設定の砂が時を刻んで落ちても、反対側に回すと、またリセットされてスタートできる。落ちた砂が過去と考えれば、その過去がそのまま未来に生まれ変わる。
その砂時計のように、過去の幼い頃の淡い恋をずっと温めて、実現するというラブストーリー。
関心を持ったのは、この映画の話題性もさることながら、過去が未来になるという砂時計の特質のこと。
仏教教理的に言えば、来るべき未来は過去からの必然と言えるので、過去が未来になることがある(なることもできる)などと手ぬるいものではない。すべて過去は未来に影響を及ぼすし、未来が現実にやってきた時、すぐ過去になり、またその過去が未来へとつながっていく。
ただし、仏教で説く現実の真理が、砂時計と根本的に違うのは、流れていく時(砂)はどんどん新しい時(砂)に変わって行く点である。ほんとうは砂時計も、全く新しい砂を使えれば判りやすいが、物理的に無理なので、同じ物を使った知恵なのだ。
道元禅師の句に、
「梅花、新たに開く 旧年の枝」
がある。長年年輪を重ねた梅の古木に、毎年、同じ梅の花が咲く。しかし、この花はけっして同じ花ではない。全く新しい花をつけていく。過去の恩恵や経験の中に、新しい道を開いていく現実のダイナミックスさを教えてくれる名句である。今の私たちの姿を的確にたとえてくれている。
もっとも、冒頭のストーリーでは、新しく変わることよりも、過去からの変わらぬ愛の象徴として砂時計が設定されているので、新しくなっては困るのかも知れない。(笑)