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ダライラマ講演(つづき)

 通訳を介しての訳文ですが、時折、英単語の断片などを聞いても痛感したことは、仏教という宗教を、いかに現代生活に生かすかという配慮です。キリスト圏など世界を広く歩かれる法王の説得のスタイルを感じました。

 とかく日本における仏教は、寺院環境、葬儀・墓参・供養といった具体化した慣習からイメージして捉えてしまいますが、信仰、哲学、あるいは科学といったように、仏教が身近な生活に役立つような側面から説いているように感じました。 そういう視点に立って、改めて仏教という宗教を見つめる機会でもありました。

 ダライラマ師のことばによれば、

「 科学者は物質の情報を提供し、仏教は精神的な情報を提供する。この両輪が相互に働くことにより健康がもたらされるのです。」(kameno師の報告より抜粋)

そして、近代科学はたくさんの重要な情報を提供してくれているが、精神的な心のメカニズムや身体と感情との関係については、仏教が長い歴史の中で、はるかにたくさんの情報を提供してきているし、信じる信じないに関わらず、役に立つものだと説くのです。

「仏教の面で言えば、たとえばこの会場には約5000人が居りますが、肉体面、精神面では全く同じ人間であります。(中略)
私たちは同じ人間であり同じ可能性を秘めています。サンスクリット経典の中では、いのちあるもの全てに仏性が備わっているという考えがあり、縁起の考えがあります。私たち一人一人は相互関連をもちこの世に存在しているというものです。この考えは仏教独自のものといえます。」

というように、仏教の説く、縁起・無常、慈悲・智慧の思想を自分の哲学・宗教として生かすべきことを熱く語って行かれたように思います。
もともと神道の要素の強い土壌の日本に、仏教が普及しましたが、儀礼としての仏教国なのであって、信仰の意味では、仏教思想が生かされていない国土であることを見透かされているようでもありました。

そして、最後のまとめで述べられたメッセージが印象的です。

「仏教徒であるならば仏教に基づいた教えを実践していってください。主に修行者であるならば、慈悲の心に基づく菩提心を育むこと、哲学的見解としての縁起を理解し実践をすること、の2つを大切にしていただくことをお願いいたします。」(kameno師の報告より抜粋)

現在の葬儀の九割が仏式で行われるという日本。この多くの日本人に仏教徒としての自覚があるのでしょうか。もし、真の仏教徒であるのでしたら、その精神を生かした生活でなくてはもったいない。
・・・・こんなメッセージを、気さくな法王様が残して行かれたように思います。僧侶としても身の引き締まる思いです。

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コメント
 
 
 
こんにちは (ミニムラ)
2007-11-29 14:14:35
横浜講演に行った者です。
チベット仏教は数年前から勉強しており、法王の講演や法話にも何度か足を運んでいます。このたび、日本人僧侶向けの講演ということで期待していたのですが、あまりにも基本的すぎる内容で、正直、拍子抜けしました。
おそらく子供の頃から仏教をみっちり勉強しているチベット人にとっては、小・中学生レベルの内容だったかもしれません・・・。

日本においては、その基本レベルさえもクリアできていない気がしています。日本仏教の僧侶の皆さん、どうか頑張って次世代に本当の仏教を伝えて下さい。よろしくお願いします。


 
 
 
→ミニムラさん (tera)
2007-11-29 16:17:59
コメント有り難うございます。
法王の講演を何度か聞かれているとのこと、今回の様子についても了解いたしました。かなり一般向けの話だったのですね。確かに基本的なことから丁寧にアプローチされているとは思いました。

基本のクリアー、確かにしっかりせねばなりません。頑張っていきたいと思います。ご声援よろしくお願いします。
 
 
 
Unknown (ミニムラ)
2007-11-29 17:18:49
コメントありがとうございます。
私の場合、いきなりチベット仏教に入り、一つ一つ理屈を積み上げていくようなあちらの理論的なアプローチに慣れていたため、家族の葬式で日本のお寺さんとふれあって「同じ仏教でも全く違うんだ!」と非常に驚きました。チベット仏教は、かなり理詰めで理解していくので。。
歴史的背景や風土が違いますから、一緒には出来ませんが、日本人として日本の仏教を応援しています。どうぞ頑張ってください。
 
 
 
→ミニムラさん (tera)
2007-11-29 22:39:00
詳しくお教えいただき有り難うございます。

「一つ一つ理屈を積み上げていくようなあちらの理論的なアプローチ」・・・まさしくその通り、納得です。通訳を介しての訳文とは思いつつも、回りくどく、世法の一般論と仏法とが混在して長いフレーズで訳されていたので、戸惑いました。けれども、社会の様々な事象について、仏法的にとらえた考え方を話されていたのだと感じました。

日本の伝統仏教の各派は、仏法の根本を説き、世相対応への各論は、各自にゆだねる傾向があるようです。そのために、新興宗教の具体的指示説法に押されてしまうのかも知れません。チベット仏教に学ぶべき点は多いものと思います。

ご声援有り難うございます。
 
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