とある寺院の日記。苦労もあれば夢もあります。ごくごくフツウの毎日ですが・・・。
tera日記
105歳の禅師さま
先日、お目にかかった禅師様のことをご紹介します。
現在の永平寺の住職、宮崎奕保禅師様は満105歳、もうすぐ106歳になられます。明治36年(1901)、兵庫県生まれ。半世紀にわたり、永平寺の役職を歴任され、平成4年に92歳で永平寺第78世住職に就任。今年で13年目を迎えられました。
最近のご様子はテレビの番組でもよく紹介されますが、書店では、瀬戸内寂聴さんとの対談『また逢いましょう』(朝日新聞社)が売り出されています。
kenryu師の話によりますと、この度の洞雲寺様での大遠忌の導師のお役を、一年前の昨年秋にお願いしたところ、「その日は空いている」とおっしゃったそうで、う~んと、うなってしまいました。私たちの年齢ですら、一年後の確約は自信ないのですから・・・。
お話しをされているところの禅師様。禅師様のおことばで、先日、直接聞いたものに、「一分坐れば一分のほとけさま」という話がありました。裏を返せば、実行しなければ何にもならないということです。行っているときにすべてが現れているという意味です。禅師様のこの話はよく知っていましたが、身近なところで直接聞くと、また、一段と迫力があります。風貌そのものから教えられる、そんな気がいたしました。
法要中で、眼鏡をかけて書面を読まれる禅師様。
現在の永平寺の住職、宮崎奕保禅師様は満105歳、もうすぐ106歳になられます。明治36年(1901)、兵庫県生まれ。半世紀にわたり、永平寺の役職を歴任され、平成4年に92歳で永平寺第78世住職に就任。今年で13年目を迎えられました。
最近のご様子はテレビの番組でもよく紹介されますが、書店では、瀬戸内寂聴さんとの対談『また逢いましょう』(朝日新聞社)が売り出されています。
kenryu師の話によりますと、この度の洞雲寺様での大遠忌の導師のお役を、一年前の昨年秋にお願いしたところ、「その日は空いている」とおっしゃったそうで、う~んと、うなってしまいました。私たちの年齢ですら、一年後の確約は自信ないのですから・・・。
お話しをされているところの禅師様。禅師様のおことばで、先日、直接聞いたものに、「一分坐れば一分のほとけさま」という話がありました。裏を返せば、実行しなければ何にもならないということです。行っているときにすべてが現れているという意味です。禅師様のこの話はよく知っていましたが、身近なところで直接聞くと、また、一段と迫力があります。風貌そのものから教えられる、そんな気がいたしました。
法要中で、眼鏡をかけて書面を読まれる禅師様。
コメント ( 5 ) | Trackback ( 0 )
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一般庶民にとっては雲の上のお方のような?存在ですから・・・。
『また逢いましょう』は早速、図書館で予約を入れました(買わないところがセコイですが・・・図書館愛用者なので)。
なんと、予約が5件も入っていたので、気長に待つしかないようです。
いつも貴重な情報ありがとうございます。
図書館利用は賢明です。ホリスティックライフそのものですね。この本の半分は対談で、残りの半分は瀬戸内さんの法話集みたいなのですが、宮崎禅師の教えが沢山掲載されている本としては、『新編・若き仏たちへ』(ぱんたか)2005年7月発行、という本があります。特殊な出版社なので、図書館にないかも知れません。
本当に貴重なお写真拝見できてうれしいです。
でも、右手にビデオ、左手にデジカメ、というお姿を
想像したら、失礼ながら思わず笑ってしまいました!
だって、もちろん格好はお坊さんの、ですよね!
そう、いまどきの図書館はすごいです。
検索すればすぐ所蔵しているものが分かるし、
はたまた、いま所蔵してなくても
買ってほしい、とリクエストを出しておくと
意外と買ってくれるものです。
ご紹介いただいた本、さすがに図書館にはなかったですが(すぐインターネットで検索してみました)、
リクエスト出してみようかな・・・。
でも、かなり特殊な出版社のようですね・・・。
「ぱんたか」さん、仏教教化専門社ですのでなかなか図書館には入らないかも知れませんね。耕雲寺蔵書としておねだり・・何ていうのはどうでしょう。すでにあるかも知れませんし。因みに\1429+税です。
そして、いつも貴重な情報ありがとうございます。