えー今回は中世の城跡、珍しい遺跡「安倍舘」(あべだて)というものについてご紹介しましょう。
安倍舘は北上川沿いのちょっとした幹線道路沿いに「ふと」出現したりします。
↑写真正面を大手門(正面の門のこと)にして、両側が空堀になっているのがわかりますでしょうか?
近くで見るとこんな感じですね。
一辺がほぼ300mほどの正方形の土地がこの空堀に囲まれています。
いわゆる「郭」(くるわ)です。
この空堀に囲まれた区画が昔の「城」だったわけですね。
(いまでは住宅地になっていますが)
この「城」が「安倍舘」というわけです。
戦国時代の「山城」とか「平城」ではなく、
もっと昔の平安時代後期、安倍氏一族の根拠地だったところです。
安倍氏一族と言えば、中央政府に逆らい、「前九年の役」で源氏と争った東北の豪族。当時の源氏の棟梁は頼朝の祖父の代の頼義。迎え撃つ安倍氏の棟梁は巨躯の剛力無双、安倍貞任。
(この安倍貞任は地元住民の人気が高く、各地に伝説が残ります。松尾芭蕉も「奥の細道」でその伝説の跡をたどっているんですね~。《余談》)
戦いはその名の通り九年間に及びますが、結局安倍貞任は討ち取られ、源氏の力がこの地に及びます。
(前九年の役は内容がとてもドラマチック!まるで小説のよう。ぜひ皆さんも調べてみてください)
この区画はその当時の姿を色濃く残していると思われます。いわば、武士の草創期の「やかた(館)」というわけです。
つまり、約1000年前の城郭の跡。
それが残されているというのは実にすごいことです。
そして、堀に囲まれた区画の中心には「厨川八幡」という神社があります。
まるで戦没者の霊を弔うかのようです。しかし源氏の氏神である八幡神が祀られているのは皮肉としか言いようがありません。
↓神社のすぐ裏手は北上川です。
なぜ、安倍氏の館だったのに、「八幡神社」が祀られているのか?
この遺跡の近くにある看板を見るとその謎も解けます。
↓この説明にあるように、この地は安倍氏滅亡後、時を経て頼朝の時にその配下である工藤氏が治めたようです。そのため源氏の氏神を祀ってある、とこういうわけのようです。
↑1592年に廃城とあります。秀吉の命で壊されたそうです。
次にこの周辺の地図を見てみましょう。
↓この一帯が城跡ということでたくさんの建物があったようです。
ちなみにこの城前の道路が国道4号となっていますが、今では県道220号になっています。昔は主要街道だったので国道4号だったのかも知れません。
(なにせ1000年前からの道路ですからね。)
↓ちなみに上図の中にある「敵見ヶ森」(かたきみがもり)は、現在こんな感じです。
ここは前九年の戦乱の際、安倍貞任が築山と櫓を設け、源氏の来襲に備えたといわれるところです。そのためそんな名前がついてます。
ここで安倍貞任は味方の士気を鼓舞するため、大勢の女を招いて盛大な宴会を開いたそうです。
(戦の前に宴会するんだから豪胆だよなあ…)
左の廃車が邪魔で景観を損ねるのが残念です。
↓ここに生えた木は大木。こんな感じです。樹齢何年になるのでしょう…。
まるで土地の歴史を物語るようです。
実は先ほど、安倍舘には「八幡神社」しかない、みたいな書き方をしてしまいましたが、
↓しかし、ちゃんと安倍貞任を弔った神社もありました。↓の写真は厨川八幡のすぐ南にある稲荷神社ですが、その隣に…
安倍貞任とその弟宗任(むねとう)を祀った神社がありました。
ちなみに調べたところ、宗任の子孫は安倍晋三(先の「投げ出し」総理)だそうです。
(驚き!!)
宗任は前九年の後、西国に流されて、そこで大きな豪族になったみたいです。
その名家の子孫に安倍元総理が連なるようです。
地方の反逆者安倍氏の子孫が天下を取るとは、まさに「歴史の皮肉」ですね…
↓額のアップです。
↓↓↓「安倍舘」の詳しい位置はこちら。周辺に駐車場はありません。
ちなみにこの周辺一帯を「厨川柵(くりやがわのき)」というそうです。
(歴史の教科書に出てきましたね~~)
少し離れた「天昌寺」にはこんな看板があります。
内容は先ほどとほぼ一緒です。
源頼朝は自分の祖父が攻め滅ぼした厨川を100年後に、
今また藤原氏と自分の弟を滅ぼしに攻め上がってきたわけです。
頼朝の心中はいかばかりのものだったでしょう。
↓↓↓ちなみに「天昌寺」の場所はこちら。
この周辺の地名には「大館」なんてものも残されていますから、きっと安倍一族の居館が立ち並んでいたのでしょう。
なんて想像にすぎませんが。
久々に詠みます。
夏草や 堀の丈ほど 夢かくせ とし蔵
夢(思い起こさせる昔のこと)を「隠す」の「隠せ」と「隔世の感」(時間的に昔の感じがする)の「隔世」をかけてみました。
苦しいなあ……。あ、あともちろん芭蕉が平泉の高舘で詠んだ「夏草やつわものどもが夢の跡」ともかけています。地理的にも近いし、同時代だし。
ま、今回はこんな感じで。
安倍舘は北上川沿いのちょっとした幹線道路沿いに「ふと」出現したりします。
↑写真正面を大手門(正面の門のこと)にして、両側が空堀になっているのがわかりますでしょうか?
近くで見るとこんな感じですね。
一辺がほぼ300mほどの正方形の土地がこの空堀に囲まれています。
いわゆる「郭」(くるわ)です。
この空堀に囲まれた区画が昔の「城」だったわけですね。
(いまでは住宅地になっていますが)
この「城」が「安倍舘」というわけです。
戦国時代の「山城」とか「平城」ではなく、
もっと昔の平安時代後期、安倍氏一族の根拠地だったところです。
安倍氏一族と言えば、中央政府に逆らい、「前九年の役」で源氏と争った東北の豪族。当時の源氏の棟梁は頼朝の祖父の代の頼義。迎え撃つ安倍氏の棟梁は巨躯の剛力無双、安倍貞任。
(この安倍貞任は地元住民の人気が高く、各地に伝説が残ります。松尾芭蕉も「奥の細道」でその伝説の跡をたどっているんですね~。《余談》)
戦いはその名の通り九年間に及びますが、結局安倍貞任は討ち取られ、源氏の力がこの地に及びます。
(前九年の役は内容がとてもドラマチック!まるで小説のよう。ぜひ皆さんも調べてみてください)
この区画はその当時の姿を色濃く残していると思われます。いわば、武士の草創期の「やかた(館)」というわけです。
つまり、約1000年前の城郭の跡。
それが残されているというのは実にすごいことです。
そして、堀に囲まれた区画の中心には「厨川八幡」という神社があります。
まるで戦没者の霊を弔うかのようです。しかし源氏の氏神である八幡神が祀られているのは皮肉としか言いようがありません。
↓神社のすぐ裏手は北上川です。
なぜ、安倍氏の館だったのに、「八幡神社」が祀られているのか?
この遺跡の近くにある看板を見るとその謎も解けます。
↓この説明にあるように、この地は安倍氏滅亡後、時を経て頼朝の時にその配下である工藤氏が治めたようです。そのため源氏の氏神を祀ってある、とこういうわけのようです。
↑1592年に廃城とあります。秀吉の命で壊されたそうです。
次にこの周辺の地図を見てみましょう。
↓この一帯が城跡ということでたくさんの建物があったようです。
ちなみにこの城前の道路が国道4号となっていますが、今では県道220号になっています。昔は主要街道だったので国道4号だったのかも知れません。
(なにせ1000年前からの道路ですからね。)
↓ちなみに上図の中にある「敵見ヶ森」(かたきみがもり)は、現在こんな感じです。
ここは前九年の戦乱の際、安倍貞任が築山と櫓を設け、源氏の来襲に備えたといわれるところです。そのためそんな名前がついてます。
ここで安倍貞任は味方の士気を鼓舞するため、大勢の女を招いて盛大な宴会を開いたそうです。
(戦の前に宴会するんだから豪胆だよなあ…)
左の廃車が邪魔で景観を損ねるのが残念です。
↓ここに生えた木は大木。こんな感じです。樹齢何年になるのでしょう…。
まるで土地の歴史を物語るようです。
実は先ほど、安倍舘には「八幡神社」しかない、みたいな書き方をしてしまいましたが、
↓しかし、ちゃんと安倍貞任を弔った神社もありました。↓の写真は厨川八幡のすぐ南にある稲荷神社ですが、その隣に…
安倍貞任とその弟宗任(むねとう)を祀った神社がありました。
ちなみに調べたところ、宗任の子孫は安倍晋三(先の「投げ出し」総理)だそうです。
(驚き!!)
宗任は前九年の後、西国に流されて、そこで大きな豪族になったみたいです。
その名家の子孫に安倍元総理が連なるようです。
地方の反逆者安倍氏の子孫が天下を取るとは、まさに「歴史の皮肉」ですね…
↓額のアップです。
↓↓↓「安倍舘」の詳しい位置はこちら。周辺に駐車場はありません。
ちなみにこの周辺一帯を「厨川柵(くりやがわのき)」というそうです。
(歴史の教科書に出てきましたね~~)
少し離れた「天昌寺」にはこんな看板があります。
内容は先ほどとほぼ一緒です。
源頼朝は自分の祖父が攻め滅ぼした厨川を100年後に、
今また藤原氏と自分の弟を滅ぼしに攻め上がってきたわけです。
頼朝の心中はいかばかりのものだったでしょう。
↓↓↓ちなみに「天昌寺」の場所はこちら。
この周辺の地名には「大館」なんてものも残されていますから、きっと安倍一族の居館が立ち並んでいたのでしょう。
なんて想像にすぎませんが。
久々に詠みます。
夏草や 堀の丈ほど 夢かくせ とし蔵
夢(思い起こさせる昔のこと)を「隠す」の「隠せ」と「隔世の感」(時間的に昔の感じがする)の「隔世」をかけてみました。
苦しいなあ……。あ、あともちろん芭蕉が平泉の高舘で詠んだ「夏草やつわものどもが夢の跡」ともかけています。地理的にも近いし、同時代だし。
ま、今回はこんな感じで。
を物語るものがあるなんてって、びっくりしました…。あまり人、いなそう…。
元気なうちに連れていこうにも、全く分からず
pcで調べていたらあなた様のサイトに出会いました
参考に行ってみたいと思ってます
ありがとうございました