
2月16日の授業研究の会では、国語は「スーホの白い馬」の研修をしました。
スーホははね起きて、かけていきました。
見ると本当に、白馬はそこにいました。
けれど、その体には、矢が何本もつきささり、あせがたきのように流れおちています。
白馬は、ひどい傷を受けながら、走って、走って、走り続けて、大好きなスーホのところへ帰ってきたのです。
スーホは歯を食いしばりながら、白馬にささっている
矢をぬきました。傷口からは、血がふきだしました。
「白馬、ぼくの白馬、死なないでおくれ。」
でも、白馬は、弱り果てていました。息はだんだん細くなり、目の光りも消えていきました。
という部分について、川村さんが実践した授業のビデオを見ながら研修をしました。
川村先生のクラスは、複式です。国語は複式を解消して行っていますが、そのためにたった3人での話し合いです。
しかし、たった3人なのに、話し合いが続きます。
うまく問題ができ、互いに話し合って解決している間はうまくまわります。
しかし、2年生ですので、一度詰まってしまうと、うまく回らなくなります。
彼女たちが問題にしていたのは
「どうして、スーホは矢をぬいたのだろう?」です。
1 白い綺麗な毛皮が血で汚れるから。
2 矢を抜かないと死んでしまうから
3 矢が刺さっていると痛いだろうか?
この3つのどれが正しいのかです。
ここで、話し合いが堂々巡りになります。
そこで、私たちもここから教材研究をしました。
1 白い綺麗な毛皮が血で汚れるから。
2 矢を抜かないと死んでしまうから
3 矢が刺さっていると痛いだろうか?
この3つのどれが正しいのかです。
1は、明らかに違うので消します。
「どうして、スーホは矢をぬいたのだろう?」
2 矢を抜かないと死んでしまうから
3 矢が刺さっていると痛いだろうか?
どちらが正しいか、本文に証拠があるはずです。
そこで、その証拠になる文を探します。それは、次のどこに入っているか?
1
けれど、その体には、矢が何本もつきささり、あせがたきのように流れおちています。
白馬は、ひどい傷を受けながら、走って、走って、走り続けて、大好きなスーホのところへ帰ってきたのです。
2
スーホは歯を食いしばりながら、白馬にささっている
矢をぬきました。
3
傷口からは、血がふきだしました。
「白馬、ぼくの白馬、死なないでおくれ。」
3を選んだ人が多いので、3についてもう少し調べてみます。
傷口からは、/血が/ふきだしました。
「白馬、/ぼくの白馬、/死なないで/おくれ。」
死ぬ=生物の「生きる」働きが、その時点で終わる。
ない=その動作・状態の成立を認めるとおかしいと感じられることを表わす。
で=(3)動作・作用を行う時の事情・状況を表す。
おくれ=「おくれ」の「お」は「御」と同じで、敬意やていねいの接頭語。動詞の命令形についた場合は、目下の相手に対する軽い親しみの気持ちを込めた言い方になる。「くれ」は補助動詞の命令形。「お」がつくと軽い命令、やわらげた命令表現になる。目上には使えません。親しい目下に対する言い方。
ここから調べると、「しなないで」があるので、
「2 矢を抜かないと死んでしまうから」が正解となります。
しかし、釈然としません。
なぜかというと、人間の言動の理由は、本来その前の部分に記載されているはずです。
つまり、私たちは、何の理由もなくて行動することはありません。
何かしら理由があるから、言葉を使ったり、行動を起こしたりするのです。
すると、 「どうして、スーホは矢をぬいたのだろう?」の問いの答えは、
もっと前にあるはずです。
ここで、話題が「歯を食いしばりながら」の「ながら」になりました。
ビデオの川村クラスの子どもたちも、川村先生も
本当は抜きたくないのだけれど、抜いていると解釈していたからです。
矢を抜くと、血がたくさん出て死んでしまう、でもぬかないといけないのだと。
「ながら」を、反対の意味としてとらえていました。=②両立しにくい二つの事態が同時に成り立つ意を表す。
が、この解釈は少し不自然に思えました。
歯を食いしばる=「歯を―〔=強くかみ合わせる意で、がまんすることの形容〕」
の解釈も、悔しい思いをがまんするととらえています。
この解釈も少し不自然に思えました。
歯を食いしばった理由は3つ考えられます。
一つ目は、力を込めないと矢がゆけないからです。
二つ目は、精神的に悔しいからです。
三つ目は、矢を抜くときに、白馬に痛い思いをさせるからです。
これの解決の根拠は、やはり前の部分を探さなければなりません。
けれど=普通の意味では両立しない意味関係にある二つの文を結びつけることを表わす。
「傷を受ける」
傷=からだや物の表面を切ったり 突いたり こすったり して出来た、痛む部分。また、その あと。
受ける= 他からの働きかけが、そのものに及ぶ。
白馬がだれかに傷つけられることは普通ではあり得ないことです。
あっては、ならないことです。
ですから、とても悔しかった(二つ目)のでしょう。もちろん一つ目の力を込めなければ抜けないも含まれています。
そう考えると、歯を食いしばり「ながら」の「ながら」は、抜きたくないのだけどではやはりおかしいと思います。
ながら=性質の異なる動作を並行して行うことを表わす。
矢は抜きたいのです。だって、小さなとげが刺さっても痛いのです。大きな矢ならとても痛いはずです。それに鏃に毒が塗られているかもしれません。
王様に対する怒りや悔しい気持ちを抑えながら、まずは、そんなことより白馬の手当をしたと読んだらいいのでしょう。
さて、ここでマサさんから
なぜ 「どうして、スーホは矢をぬいたのだろう?」の答えがすっきりしないのは
1 白い綺麗な毛皮が血で汚れるから。
2 矢を抜かないと死んでしまうから
3 矢が刺さっていると痛いだろうか?
という、3つの答えが、同じ基準で作られていないからうまく学べないのではないかと意見がでました。
主人公の言動の理由は、その前にあるはずです。しかし、「しなないでおくれ」はその後に出てきます。
つまり、時間が違うのです。
矢を抜く理由があって、矢を抜いた結果大量の血が出て、「死なないでおくれ」となるのです。
そう考えると、問題自体にも「問題」がありそうです。
同じ土俵で考えられる問題にしないと、この場面では1の答えはあっているけれど、違う場面では2の方があっている。
そうなると、話し合いの視点がずれ、正解が見つからず、消化不良の授業になりそうです。
次回以降の「浜松授業研究の会」の予定です。
第31回 | 2013年4月13日 | 土 | 9:00 | 12:00 | 天竜壬生ホール | 第2会議室 |
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