居合道を習い始めたよ
合気道黒帯になったよ
空手道をやっているよ
武道をやっていると錯覚してはいけません。
これらは、昔から言われていますように
武道をやっているのではなくて
武道の道を歩いているといえます。
正確には「武道への道」を歩いている途上だといえます。
合気道を始めた人は、武道家ではなくて、武道への道半ばの人
刀を持ってまだ間がない人も同じ
空手をやっている子どもも同じ
でも武道をまったくやっていない
これっぽっちも武術武道経験のない方でも
武道的である(そういう精神)人はいます。
具体的な武術(空手道、剣道、柔道、合気道)を知らなくても
武道というくくりの中で生きている方はいます。
何が言いたいかというと
合気道を習わなくてもいいわけです。(状況によっては)
当会のような居合道場に来なくてもいいのです。
武道を欲する方には、
道場に通わなくても
武道家だと自分で思い込んでるひとより
世界では立派な武道家顔負けな素人がいます。
宗教と一緒です。
クリスチャンは、必ずしも教会に出かけて聖歌を歌い
そうじゃないのと似ています。
ここは話が長くなるといけないので
カンタンに言うと
信仰心は、聖書一冊あればいいという簡単な話です。
どこどこへ出かけていかなくても
格好をつけなくても
神は見ているよ、知っているよという世界があります。
武道もそれと一緒です。
ただし、道場が無駄だといっているわけでは
そんな単純な話をしているわけではありません。
武道の定義を知っているいないに関わらず
その武道の道を歩いて、武道の中身を掬い取り
自家薬籠中の物とするには道場であれ
以外であれ可能だというお話です。
もちろん、個別武道(居合道など)を修めることにこしたことは
ないのは言うまでもないコトですが
ただたんに刀を振っているだけでは武道には到達しない。
ただ日常生活を武道的に生きていても武道家と同じ精神の高みを
みる方もおられる。
では武道の定義とは、
それは私がここで書くまでもなく
立派な先達の方々が述べられていますので
割愛いたします。