武道を習い始めても
武道家というのが面にでてはいけません。
先生になっても
師範になっても
武道武道して歩いてもダメです
武道家は絶対に武道をしていると悟られません。
何を言っているんでしょうか?
つまり自然に、普通に見えるほうが
恰好がいいと
私はそう思っています。
バスケットボールを中学生と
授業時間を変更して張り切りすぎてコケてしまいました。
恰好が悪くても
しんどくても
熱が出ても
一人でも
武道をしてれば"意識"の勉強を日々しています。
その結果、自我に対して無欲的に見えます。
自分の外に意識をおいていくことを練習しているので
自然とそうなっていきます。
武道をすると強くなる。それは錯覚です。
弱さをしります。
俺、弱いんだって。
それでいいじゃんってなります。
普段は弱くてもいいのです。
そのために武道の道を歩いているわけです。
武道をやってくうちに
動きが格好良く見えます。
これはバレーボールをやっても
サッカーをやっても
卓球をやっても
そう見えるらしいです。
なぜかというと、全身が動くからです。
気の持ちようで身体が変わります⇒それが武道
人が倒れても(自滅していっても)一緒に倒れようとしても
武道になりません。
相手が自滅しようとすると
待っている、
待っているとチャンスが(隙間)が見えます。
そのすきを突くと相手は立ち直ったり
武術で言えば、相手を倒せる、本当にそうなっていきます。
刀を振ろうとしたらだめです。
刀を振ろうという意識では、重心がほんの少しだけ浮きます
自分の丹田が自分を支えているという理合いに反するのです。
ですから、刀を振らないように斬るべきです。