「短歌と写真」 ✿すみれの花咲くころ. ✿

 

趣味の短歌を中心に、旅行のこと、日常のちょっとしたことをかきとめよう!!。

 

イルカと一緒に泳ぎました。

2012-09-02 | Weblog
  夏休みも終わりの8月30日、31日、南淡路へ旅行しました。 毎年 息子一家、娘一家とどこかの海へ泳ぎに行くが、今年は娘たちが来れなくて、息子一家の5人と、淡路島へGo!!この度は「イルカと一緒に泳ぐ」という体験をすることになっていて、ドキドキ、ワクワク。ウエットスーツをつけマリンシューズを履き、マスク、シュノーケルをつけたら、おばあちゃんとはわからないゾ~!!イルカのひれをまるでビ . . . 本文を読む

フィットネス効果?

2012-08-28 | Weblog
  フィットネスに行きはじめて2か月たちました。そして、先日の健康診断の結果、ぜ~んぶ、合格!!。 フィットネスの宣伝をするわけじゃないけど、本当にフィットネスはいい・・・・・、いやいや運動がいいのだろう。高血圧気味、糖尿予備軍、高脂血症、などのチョコチョコ病を道ずれにしてきた私、それにしても、たった2か月で効果があらわれるのかなあ。 またもとにもどらなければよいが、と。 . . . 本文を読む

さ~や 5か月です

2012-08-25 | Weblog
さ~や、はお兄ちゃんお姉ちゃんのペットです。 学校から帰るやいなや、ハグする、キスするお兄ちゃん、お姉ちゃん。                    おにいちゃん 6年生です。   おねえちゃんは3年生 . . . 本文を読む

7月4日 雨 の歌会 伊丹へ

2012-07-07 | Weblog
20数人が 1首ずつ出して、好きな短歌に投票をするという形式の 昨日の歌会。司会者は、投票をした人に「どうしていいと思ったのか」感想を聞く。また反対に、投票しなかった人にも「とらざるの弁」を聞く。点数が良かった歌を皆でほめたりもするが、一読してよくわかる歌が高得点になることが多い。また逆に、点数の少なかった歌でも、感想を言い合っているうちになかなか深いものがあるいい歌だ、という結論に達することもあ . . . 本文を読む

7月3日 高齢者グループの歌会

2012-07-05 | Weblog
高齢者グループの短歌会でいつも一首鑑賞をやっている。この日は次の短歌● 生き死にのことたわやすく思う日とあがく日ありて拠りどころなき    葉山潤 作を鑑賞した。意味は単純明快:「 生きること、死ぬことを何でもないように思う日とまた反対に、非常にあがく日がある自分だ、どうしょうもないなあ・・・」 である。今月この歌を鑑賞しようと思ったのにはわけがある。この会のなかのひとりが数か月まえ、次の歌を持っ . . . 本文を読む

宝塚 歌会

2012-07-03 | Weblog
昨日の短歌同好会では私の短歌で  侃々諤々の意見がとびかった。私の短歌穢土(えど)、浄土(じょうど)わずかの高さをゆきかえる蛍は深き沢よりいでて。私が立っている道のあたりまできて、また沢の方に帰って行く蛍。わずかこの高さなのに、沢は浄土で、道辺は穢土だとうたった私。Aさんの意見  蛍にとってはわずかの高さではない。私  そうか。わたしにとってはわずかだけどね。Bさんの意見  穢土、浄土なんてオーバ . . . 本文を読む

映画「きな子」を見て。

2012-06-26 | Weblog
香川での実話をもとに作られた見習い警察犬「きな子」の物語である。美しい讃岐富士をバックにした緑の大地で、警察犬の試験を受けようとしている「きな子」。訓練士を志すうら若き「杏子」。 前もって嗅がされた匂いのものを「さがせ」と命令されて、探し当てたり、障害物をすいすいと飛び越えたり、それができれば合格である。しかし何度受験しても失敗する「きな子」。「杏子」は高い志をもってこの職業についたはずだった。「 . . . 本文を読む

2012年6月6日の 短歌会

2012-06-08 | Weblog
この日はふたりの新会員が加わった。お足もとは危うい高齢者であるが、頭脳はとてもしっかりしておられ、次のようなお歌であった。Αさんの歌さみどりに 萌え出でし槻(つき)の かげ踏みて   昼静かなる 裏道をゆく槻(つき)とは けやき のことだそうである。Bさんの歌負けないよ 歩けないとて泣かないよ 昔に返り   つたい歩きさちなみに私の出した歌は、養父(やぶ)、朝来(あさご)、宍粟(しそう . . . 本文を読む

60代からの短歌

2012-06-02 | Weblog
「月刊、短歌」の今月の特集は、60代からの短歌 。サブタイトルは、 60代だからこそ歌えること。60代で短歌を始めたわけ、ほか  が記されていた。。   「佐藤佐太郎のことば」が載っている 雲の影のように胸中に去来し、過ぎてしまえば何の跡形もないような感情というものは、はかないといえばはかないものである。そして詩はこういうはかないものを表現の対象とするのである。」 大柳勇治は、 . . . 本文を読む