今回は諏訪大社(下社)。
この地を訪れたのは4月のまだ寒さの残る頃、
(パワースポットを訪れるときはいつもなのですが)
この日も私たちを出迎えてくれるような小雨でした。
同行者は「瑞兆の雨」と呼んで、機嫌好しでした(笑)。
※ 諏訪大社の下社は、「春宮(はるみや)」と「秋宮(あきみや)」があり、
毎年2月1日に御霊代(みたましろ)を春宮に、8月1日に秋宮に遷される「遷座祭」がある。
今回は春宮に参りました。



最初に感じたのは神気ではなく女性の持つ気、しかも
「巫女たち」の気でした。
拝殿でのご挨拶の後、霊視でとらえたイメージは・・・・、
「人柱」、「結界」、
・・・・人柱とは、人の願いを神に伝えるためのモノ、それは
巫女の役目でもあっただろう。
しかし、何かが足りない・・・そんな気がしてならなかった。

この後、すぐ隣の地に、「万治の石仏」があるのを知り、春宮を出て
そちらへ向かった。
ところが春宮の神域を出たつもりだったのに、石仏の地にも同じ神気が漂っていた。
また、このあたりは春宮の神域に入り込んで普通の住宅が建てられている。
巫女達が命をかけて作り上げた結界(神域)の中に住宅を建てて住まうとは・・・・。
唖然としながら万治の石仏へ。
万治の石仏は、周囲を田んぼに囲まれひっそりとたたずんでいた。
とてもユニークな風貌をしていらっしゃる。
言い伝えでは、むかし石工がノミを入れたところ血が流れ出たので
神様の祟りと恐れた、とある。
現在も、そのときのノミの痕と伝えられる傷が残っている。
この石仏を視て思ったのは、ここもまた、「春宮」の一部であり、
石仏は、巫女達の霊をこの地にとどまらせているのだ、と云うこと。
春宮で感じた「足りないもの」とは、この石仏だったようだ。
写真を撮り忘れたのが残念ですが。

いにしえから、巫女たちの守る場所ではあるけれど、現代に至ってここまで住居が
入り込んでいるのをみると、彼女らの哀しみが伝わってくるようです。
巫女達の霊気もいつまでここにあり続けられるのか・・・、そんな想いで春宮をあとにしました。
この地を訪れたのは4月のまだ寒さの残る頃、
(パワースポットを訪れるときはいつもなのですが)
この日も私たちを出迎えてくれるような小雨でした。
同行者は「瑞兆の雨」と呼んで、機嫌好しでした(笑)。
※ 諏訪大社の下社は、「春宮(はるみや)」と「秋宮(あきみや)」があり、
毎年2月1日に御霊代(みたましろ)を春宮に、8月1日に秋宮に遷される「遷座祭」がある。
今回は春宮に参りました。



最初に感じたのは神気ではなく女性の持つ気、しかも
「巫女たち」の気でした。
拝殿でのご挨拶の後、霊視でとらえたイメージは・・・・、
「人柱」、「結界」、
・・・・人柱とは、人の願いを神に伝えるためのモノ、それは
巫女の役目でもあっただろう。
しかし、何かが足りない・・・そんな気がしてならなかった。

この後、すぐ隣の地に、「万治の石仏」があるのを知り、春宮を出て
そちらへ向かった。
ところが春宮の神域を出たつもりだったのに、石仏の地にも同じ神気が漂っていた。
また、このあたりは春宮の神域に入り込んで普通の住宅が建てられている。
巫女達が命をかけて作り上げた結界(神域)の中に住宅を建てて住まうとは・・・・。
唖然としながら万治の石仏へ。
万治の石仏は、周囲を田んぼに囲まれひっそりとたたずんでいた。
とてもユニークな風貌をしていらっしゃる。
言い伝えでは、むかし石工がノミを入れたところ血が流れ出たので
神様の祟りと恐れた、とある。
現在も、そのときのノミの痕と伝えられる傷が残っている。
この石仏を視て思ったのは、ここもまた、「春宮」の一部であり、
石仏は、巫女達の霊をこの地にとどまらせているのだ、と云うこと。
春宮で感じた「足りないもの」とは、この石仏だったようだ。
写真を撮り忘れたのが残念ですが。

いにしえから、巫女たちの守る場所ではあるけれど、現代に至ってここまで住居が
入り込んでいるのをみると、彼女らの哀しみが伝わってくるようです。
巫女達の霊気もいつまでここにあり続けられるのか・・・、そんな想いで春宮をあとにしました。
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