ウォーキングと旅行でのひとり言

岡山の小京都 津山 城東界隈 その1

津山城から降りて来たところからブログを続けます。






この辺りに降りてきました。絵に向かって右へ進んで行きます。







黄色の線に沿って進むと、すぐに左手に「郷土博物館」があります。







今は、耐震工事のため中には入れませんでした。

昭和9年に落成した「旧津山市庁舎」を整備した建物で城下町津山の歴史文化を知ることができるそうです。






道路の左手を見ています。津山城の延長の雰囲気があります。


さらに歩いてのんびり散策すると、宮川に行き着きます。

それを右に曲がりすぐの橋を渡りました。






橋から見た「宮川」です。


橋を渡ると、「橋本町」に入りました。


ここから「城東界隈」です。











「城東界隈」の地図です。黄色の線に沿って歩きます。


城東の町並みは、出雲街道を挟むように南北に町屋が並びます。


ここの町割りは、津山藩初代藩主「森忠政」によるものであり、400年が経過した今も、江戸初期以来の商家、敷地割をよく残しています。







橋本町付近の町屋です。







出雲街道の直線部分に入ってきました。


すぐに右側に、私の好きな和菓子の店がありました。







「京御門」です。いかにも美味しそうな和菓子がありそうです。(残念ながら購入できません。糖尿のため。)



あきらめて、歩いて行くと、素晴らしい風景に出会いました。







出雲街道に対して、南北に交わる小路が、この界隈で10以上もあります。

ここは、「西美濃屋小路」といって、「美濃屋弥次郎」の屋敷があったことから名付けられました。

彼は、藩主の「森忠政」と一緒に、美濃からやってきました。


この小路のとなりに、「なまくらや」(煎餅匠)があります。















この辺りの町屋の様子です。


少し、東に進んで行くと、「国信小路」がありました。

国信九郎左衛門宅に通じることからこの名があります。津山藩の弓矢関係のえらい人物らしいです。















「国信小路」の出雲街道を挟んで反対側の風景です。右側が「苅田酒造跡」と思われます。




また、元の出雲街道に戻ってきました。








この辺りの町屋です。


ここから、東へ向かって少し行くと「作州城東屋敷」がありました。






町屋の白い壁と火の見櫓が目を引きます。無料休憩スポットになっていました。






この辺は寅さんのロケ地になったようです。











「作州城東屋敷」の中に入りました。





マドンナ役は「浅丘ルリ子」さんのようです。







ゆっくり休憩させてもらい、観光のアドバイスももらって、ここを後にしました。


ここから、さらに城東界隈の東端のあたりまで行きます。


続きは、次のブログで。
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