智頭急行線を利用して行きます。上郡駅から出発です。
この電車で佐用駅まで行って、そこで姫新線に乗り換えです。
7時50分発で、佐用に8時14分に着きました。
姫新線津山行きに乗り換えました。
津山行きの電車です。8時32分に出発しました。
約1時間で津山に着きました。
駅のすぐ近くに、観光案内所があったので、すぐに飛び込み、観光地図やパンフレットをもらいました。
案内所も、なかなかいい建物です。これからの観光に期待ができそうです。
黄色の線に沿って歩きます。
津山の駅前の風景です。
津山は、ずっと昔に、若い時に一度来た記憶があります。
駅からゆっくり歩き始めましたが、記憶のない風景です。(前は車できたのかも)
約20分ぐらいかかって城の近くにやってきました。
「旧津山基督教図書館」です。今は、「森本慶三記念館」(中に歴史民俗館があり)となっています。
1926年(大正15年)に、内村鑑三の弟子の森本慶三によって建設され、キリスト教文書伝道を目的としています。
我が国で唯一の基督教図書館だそうです。
この建物の角を曲がると、城の入り口が見えてきました。
城の、詳しい地図です。
上の絵の風景の奥の石段を上がると、すごい城の石垣が現れます。
関ヶ原の戦いの後、日本の多くの地域で、大名の配置換えがありました。
1603年、美作一国、18万6千5百石の国持大名となった「森忠政」はここに城を築きます。
森忠政は、あの有名な森蘭丸(織田信長の近習)の弟です。
吉井川と宮川の合流点を見下ろす小高い「鶴山」に城地を決めました。
1604年に「鶴山」を「津山」と改めて、城と城下町の建設を開始するのです。
足かけ13年を経て、1616年に築城工事は終了します。
城の中へ進んで行きます。
まず、「鶴山館」に行きました。
ここは、津山藩の学問所(文学所)として、1870年(明治3年)に着工され、今と別の場所につくられましたが、いくつかの変遷をへて、1904年に、現在の場所に移りました。
鶴山館のあるところから、三の丸方向を見下ろした風景です。
二の丸までやってきました。ここから「備中櫓」を見上げることができました。
江戸時代が終わり、役目を終えた津山城は、明治7年から8年にかけて石垣を残してすべての建物が解体されました。
森忠政が津山城の築城を開始してから400年の節目にあたる2004年(平成16年)に、「備中櫓」の復元整備が行われました。
本丸を目指して進んで行きます。
途中の道端に咲いていた「紫陽花」です。
ここから先へ進んだ風景です。
「切手門」のあった付近だと思われます。
本丸への入り口にあった「表鉄門」です。
本丸にやってきました。津山の街を見下ろした風景です。
備中櫓まできました。
奥の方から、中へ入れます。見学しました。
備中櫓は、津山城最大の櫓で、内部は畳敷きの「御殿様式」という特徴を持ちます。
全室畳敷き、天井張りという構造です。
「御座の間」「お茶席」「御上段」があり、藩主あるいはその家族という限られた人物のための空間であったと推定されるそうです。
備中櫓の中から外を見た風景。石垣がすごいですね。(実は私は石垣マニアです)
ここから、本丸へ出ました。
ここに来て、少し昔に来た記憶が戻りました
しばらく、本丸をウロウロしました。
ここから城の出口に向かって降りて行きました。
次は、津山の「城東地区」を目指します。
次のブログで。
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