この滝の奥の方に「銀坑洞」の跡があります。
江戸時代の寛永期(17世紀前半)にはここの銀山も非常に栄えたようでしたが17世紀中期には銀採掘は衰退し、替わって温泉湯治が盛んになりました。
温泉は、銀山の鉱夫が発見したそうです。
時間があったら、ここの奥の銀坑洞に行ってみたかったのですが、許された時間が少なくなってきたので諦めます。
次の地図の黄色の線に沿って番号順に歩いています。
(今は⑧番の白銀の滝)
ここから入ってきた道を戻ります。
戻りながら、滝の方をふりかえった風景
再び、あのカリーパンの店を通ります。
温泉街の旅館のあるところに戻ってきました。
相変わらず雨が降っています。(そんなに強くありませんが。)
行きとは違って、銀山川の反対の側の道を歩きました。
能登屋にきました。
おしんの”母ふじ”の出稼ぎ先の舞台になったところです。
ドラマでは銀山閣になっていました。
おしん(小林綾子)が母ふじを訪ねていくのが11月でした。
「おしん」は、NHKの連続ドラマでは、海外で一番知られているのだそうです。
1983年から1984年までの平均視聴率は約50パーセントらしいです。(2人に一人が見ていた計算です。すごいですね。)
鏝絵で『木戸佐左ヱ門」の名前が見られます。
一番上に望楼?……………………。
能登屋の隣は「旅館 永澤平八」です。
ここにも鏝絵が見られます。
3階の左には「滝の絵」、2階には「梅の絵」……。
永澤平八は創業者の名前だと思います。
多くの旅館で名前の表示が見られました。
そろそろ、入ってきた「白銀橋」に近づいています。
一番手前の右側の旅館は「藤屋」です。
ほとんどの旅館が大正時代の終わりから昭和の初めに建てられたのですが、ここは少し違うようです。
設計したのは、隈研吾氏だそうです。
白木の縦格子をふんだんに使った建物は目を引きます。
内部のデザインも素敵だそうでした。
温泉街を通り抜け白銀橋まできました。
(雨が降っているため、片手でカメラを操作したのでピントも狂っていました。)
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