ウォーキングと旅行でのひとり言

房総の小江戸 大多喜 散策 その3




津知屋の外へ出ました。

赤い本の字の旗は、本多の旗です。





この最中の「立ち葵」の紋は、本多家のものです。





忠勝の兜、鹿の角。






黄色の線に沿って番号順に歩きます。

津知屋の前から、次はすぐ横の、「豊乃鶴酒造」へ行きました。





豊乃鶴酒造です。

江戸、天明年間に大多喜に創業。

銘柄「大多喜城」の名前が見えます。





酒造の中を少し見ました。赤煉瓦の煙突、酒蔵。


ここから、少し歩き、城下町通りに入り、北へ歩きます。








「久保田園」、お茶屋さんです。





ここから、城下町通りを少し右に入って、寺町通り沿いを見に行きました。











「医光寺」がありました。








「桜谷寺(おうこくじ)」。

城下町の寺群は城外の防御場所として使われました。

ここもそうだと思います。


「商い資料館」に行きました。





城下町として栄え、明治、大正、昭和へとの時の流れと、さらの平成へと続けられた大多喜の商人の心意気を表した展示館のようです。

商いと城下町の暮らしをテーマにしています。

中に入りました。


















ここから、城下町通りを北上します。





紀州屋、陶器店。





手前に見えるのが、「博美堂」。

段ボールや厚紙で制作した甲冑を展示しているところです。制作、試着もできるみたいです。

中に入ると、ずらりと甲冑が並んでいて、段ボールからできているとは考えられないほど、精巧な作りで、高級感のある光沢を放っているそうです。

閉まっていて、見ることができませんでした。





すぐ隣の「釜屋」です。

土蔵造の商家です。質屋、金物屋を営業していました。





「伊勢幸(酒店)」。明治5年に移築された建物。

大多喜城の大手門の材料を使用したと伝えられ、屋根瓦に城主の紋所がありました。





本多の旗があります。



「渡辺家住宅」にやってきました。





棟札から1849年に建築された江戸時代後期の町屋とわかりました。

藩の御用達をつとめた商家。「穀屋」の屋号で知られています。

1階が店舗で、前面に「土庇」が付いています。

土庇とは、洋風に言えばポーチになります。








ここの道路を挟んで反対側の「奈美喜邸(毛糸)」です。





すぐ隣の「高師邸(活版)」です。





城下町通りを左に曲がり、駅へ戻る途中に「房総中央鉄道館」がありました。





土、日、祝日の10:00から15:00までしか開いてなくて、今も閉まっています。

鉄道模型がいっぱいあって、駅プレートもいっぱいあるみたいです。

鉄道マニアには穴場だそうです。

(私も鉄道マニアです。残念でした。)

ここから、駅に戻り、すぐ近くの「番所」で昼食をとりました。

ここは、猪の肉と筍の料理が有名だそうです。

電車の時間の関係で、早くできる筍御飯を注文しました。

そのあとで、店主がこの店の記事が掲載された週刊誌を持ってきて見せてもらいました。

この店の猪の肉が美味で有名であるというものでした。

注文したあとで、これも残念でした。(注文する前に持ってきてほしかった。苦笑。)



いすみ鉄道の大多喜駅へ戻ってきました。





次の大原行きの電車にまにあいました。

駅のホームに行きます。





むこうのレールを渡る道を通って、大原方面のホームへ。





再び、ここに来ることは無いと思えます。

少し、寂しさを感じながら、大原行きの電車を待ちました。

(後1回、いすみ鉄道に乗れます。喜びです。)


今日は、この後、品川のホテルまで行かなければなりません。東京駅経由。


明日は、「江戸東京たてもの園」に行きます。


次のブログで。
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