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支流からの眺め

どうしてこんなことに・・何かおかしい

 今年に入り武漢ウイルス感染症(WARS)の感染者数は記録を更新し続け、先が見えていない。今までは、感染者の健康問題、医療者の負担、行動自粛による飲食業・旅行業の不況・失業、などが問題となっていた。これらの問題の深刻化に加えて、広範な社会活動への支障が生じてきている。私企業の活動だけではなく、警察・消防・社会インフラ・教育・行政などでの問題が深刻化している。医療でもWARS以外の疾患(特に救急疾患)に対する治療が遅延している。

 問題が深刻化するのは、感染者の増加は当然として、その何倍かの割合で増える濃厚接触者への対応にも原因がある。濃厚接触者と認定されると、潜伏期間の間は自宅待機で就業を規制されてしまう。この事態に対し、濃厚接触の定義の見直し、潜伏期間の短縮化などが実施された。しかし、濃厚接触者の特定や健康観察に関する業務で、保健所は機能マヒに陥っている。そもそも、感染者や濃厚接触者の把握が不完全であり、隔離政策自体が既に破綻したようにみえる。

 その一方で、WARSは風邪と同じ、インフルエンザなみ、5類扱いなどの論調も聞かれる。この意味は、重症化しない平凡な(頻度の高い)疾患ということであろう。WARSの重症化の危険はないとはいえないが(致死率0.1%レベル)、この程度なら風邪にも近い。頻度でも累積感染者は400万人が見えてきて、普通にみる病気となった。市中の陽性率が1%程度とする調査もある。軽症者には隔離ではなく自宅療養が標準となった。つまり、防疫を主眼とした政策は破綻し、もはや無用となった。

 50年前には、冬になれば風邪がはやり、症状のある人は家で寝て、周りの人は近づかず、体力のない人は亡くなる、というのが常識であった。医学の進歩は喜ばしいが、その応用は必ずしも恩恵を提供しない。PCR検査、ワクチン、治療薬、接触者隔離、自粛政策、これらはどうか?医療的介入は時に無益で、悪くすると有害となる。病気で失うものに気を取られ過ぎると、対策で失うものが見えなくなる。少なくとも、各種の社会的影響は無視されているのである。

 病人だけでなく濃厚接触者も隔離する・・この流行下で可能なのか?強引に行ってどれだけ効果があるのか?無症状者を含めたPCR検査を広く行う・・そこまでして陽性者を見つける意味がどれだけあるのか?3回目のワクチンを接種する・・その上乗せ効果はどれだけなのか?直感的な常識に従えば、症状がある人は自宅療養し、症状のひどい人は入院し、他の人はマスクを常時着用しマスクなしの環境に入る前には簡便な検査をする、これくらいが妥当にみえる。

 この混乱の中で、何事も政府のせいする言説がみられる。行政への注文は必要だが、実は自己責任を回避しようともしている。政策決定者が駄々をこねる声に流されると、何も決められない事態から迷走して大きな方向を見誤り、あり得ないほど莫迦(バカ)な結論を下しかねない。人の話を聞くのが得意という岸田氏、同盟国との協調を重視するバイデン氏が重なって見える。方針の正否は別として、WARS以外でも大陸の強権的な為政者の一貫性に圧倒されている。

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