見出し画像

支流からの眺め

矢野発言に潜む危険な構図

 武漢コロナウイルス感染症(WARS)の流行が落ち着きつつある中で、現職の財務事務次官である矢野康治氏による文藝春秋の寄稿が話題となっている。この珍事について述べたい。

 発言の主旨は、以下のようである。WARS流行による景気の悪化に対して、衆議院選挙戦が背景にあるとはいえ、与野党ともバラマキ政策を打ち出している。しかし、そのための財政的な裏付け(税収)がなければ、国の財政は収入と支出の差(ワニの口)が更に開いて行く。このままだと国の借金を次世代につけ回ししているだけで、いずれ国債の暴落やハイパーインフレ、海外からの輸入品の高騰などを招く。

 加えて、今回の発言は財政を預かる立場として国民に警告しないのは卑怯であるという義侠心に基づく行為であること、財務大臣(麻生氏)の了解を得ていることなども述べている。この官僚のトップの姿は、正しく憂国の士にみえる。問題は、主張の内容(財政出動が国債暴落につながる)が正しいのか、現職の高官が政権に批判的な政治的発言を公然と行ってよいのか、であろう。そして、この発言の動機も気になる。

 国債暴落説は既に旧聞と化し、間違いが実証済みである。国債の殆どは国内で引き受けられ、国の借金ではない。政府の借金は、子会社の日銀が買い取れば連結決算上は借金にならない(貨幣の発行と同じ)。氏の主張通り課税強化や政府支出抑制を行えば、可処分所得が減り経済発展が停滞する。これこそが30年の低迷の元凶である。最高位の官僚が国民に誤りを訴えるとは由々しき事態である。

 記事掲載の経緯は分からないが、関係者には確認済みであろう。関係者は、その内容や様式に同意したか、同意はしないが抑えることができなかったかである。前者の場合は事実誤認で、要は理解不足である。後者の場合は、弱みを握られているか暗に脅されているのである(今後の政権運営で邪魔される、隠している違法行為などを摘発される)。もしくは、本人が極めて強く訴えたかであろう。

 本人の動機としては、売名や金銭は考えにくい。陰謀説もどうだろう。それでも敢えて公然と政策に異を唱えたのは、記事の内容を心底信じ、このままでは国が亡ぶという衷心の危機感からであろう。個人の自由な発言は尊重すべきだが、下々の飲み屋での放言とは異なる。また、事務次官は選挙で国民の信託を得たわけではない。政権者の指示に従い機能する立場であることは、自覚すべきである。

 「国を思う」を押し出して自説を強弁するのは、公益のため常軌を逸する行動に走る独善者である。更に言えば、昭和初期に総理大臣を殺害した一部の軍人の行為を彷彿とさせる。彼らは、農村の貧困を原体験とし、財閥への富の集中を許し国際問題も解決できず政争に明け暮れる政府を糾弾した。その実態は、軍事力を恃む政治的暴挙であった。しかし、その心は義に殉じたと評され、国民もその魅惑に心酔したのである。

 WARSは国民の不安を高めた。一部の国民は貧困化し、富裕層は財政緩和で潤った。国内政治は紛糾して、中共国の台湾侵攻や対日核威嚇などの軍事不安を抱えている。ここで優秀な官僚の正論を期待する向きもあろう。しかし、税務調査権や徴税権をもつ財務官僚による政治への容喙は、武力を利した蜂起と構図は同じである。官僚は正しい科学的分析を行うことに努め、政治家が政策判断を行う、これが大原則である。


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「武漢コロナ感染症」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事