見出し画像

支流からの眺め

武漢ウイルスの再燃-戦いの矛先はどこへ

 武漢ウイルス感染症(WARS)は4月下旬を峠として低減し、5月25日には(4月7日発出の)緊急事態宣言も解除された。ところが、7月になり感染が(特に東京都で)再燃している。そこでBlog「武漢ウイルスで見直す国々」の続報は延期し、当面の課題に戻りたい。

 WARS感染を制御するには、ワクチンや治療法がない現状では、とにかく防衛しかない(https://blog.goo.ne.jp/tributary/e/2cf9195e6cfba71afaa4a7ccf87557e4)。事実その防衛が不十分な環境から、再燃が起こっている。飛沫や直接・間接の接触を避けることができない環境である。その感染者が家族や友人に普段通りに接して、次の感染者が出ている。症状がなくても伝染力がある(厄介な)特性は、いかにも(浸透工作が得意な)中国産らしい。門戸を開けた海外渡航者にも、相当数の陽性者が発見されている。かくて、ウイルスとの戦争に対して、東京都は警戒のステージを赤(感染が拡大している)に上げた。

 この戦いはどうあるべきか。答えは明白、防衛の徹底しかない。しかし、防衛の徹底は多くの経済活動の停止につながる。どこまで活動を抑制するのか、どこまで抑制を解除するのか、この判断は難しい。関係者の発言は自ずと制限される。医療関係者は、解除には慎重である。解除を勧めて感染が広がれば責任を問われる。経済人は、解除を求める。解除の延期を許容して倒産が続けば立場がない。方針も二転三転する。そのありさまを見て、全ての国民が評論家風の結構なご意見を宣(のたま)う。得体のしれないタレント様が、お気楽に大家のような物言いをする。何のことはない、何が正しいか誰にも分からないのである。

 しかし、誰かが決めて(決めないままに)現実が進行し、その結果は必ずしも納得いくものでない。無責任発言が生業の評論家は、好機到来とばかりに、裁判官よろしく不明を論(あげつら)う。マスコミも、視聴率欲しさに不安や不満を煽る演出に走る。混乱に乗じて潜在的な敵に攻め込む輩もいる。野党勢力は、政府の施策ではなく政権の資質に注文を付けて転覆を狙う。民間会社でも、感染症対策が社内の勢力争いの政争の具になる。ウイルスを放っておいて、人間同士が諍いを起こしている。正義や善悪論の矛を振り回されては危険この上ない。
 
 この混沌の渦中の重大な懸念事項は、医療崩壊である。現段階(7月中旬)では、医療体制は逼迫していないとされている。患者の多くが若年者であり、相当数が自宅待機やホテル滞在で対応可能だからだろう。しかし、患者数が増加すれば中高齢の患者も増える。重症化は発病から1-2週間でおこる。いや、医療機関の経営破綻という深刻な医療崩壊は、すでに現実化している(https://blog.goo.ne.jp/tributary/e/2abba2b97c36a1fe1b3f3af433e10939)。感染前からも、大病院のほんどは赤字経営であった。その上での感染症である。東京女子医科大学は夏のボーナスを無支給とした。多くの病院では減額された。

 経営悪化の理由は、①患者が病院に行くのを控えた(受診自制)、②病院が診療を制限した(診療制限)、③感染症診療に物資や人材を割いた(出費増大)などである。①と②は、飲食店や旅館業などとも共通する。しかし、③は病院特有の理由である。対策として、感染予防に必要な諸経費は補填され、感染症診療の医療報酬も高く設定されたはずである。ところが、その金額が全くもって不十分なのである。感染症診療には想像以上に人手がかかる(3倍から5倍だろう)。感染症患者を診れば診るほど経営が悪化する逆鞘(ぎゃくざや)状態である。その結果の「コロナ貧乏」である。

 この経営圧迫の中で、病院や医療者に倫理の網がかかりつつある。万難を排して診療すべきだという規範である。国民は感謝を表し寄付を行い、政府は財政的な補助を行っている。しかし、好意や援助の分、期待に反する結果を許さない。この圧力の下で、コロナ貧乏でも診療すべき、危険を厭わず患者を診るべき、患者の無理難題も聞くべきとなる。この倫理ウイルスは深化し、感染した医療者や病院は糾弾すべきとなる。会社員の感染は会社の悪事とはならないし、社名も明かされない。しかし、医療者の感染は悪事となり、病院名が明かされ時に謝罪会見となる。職員は周りの住民から厭われ、いじめにあう。

 医療は官民の混在した特殊な業種である。警察や消防や国防など、広く国民を守る業務は官である。警察官や消防士の世話になっても費用はかからない。一般の消費財の生産・販売など、個人の利益になる業務は民である。費用は当事者が負担する。医療には広く国民の健康を守るという官の部分と、個人の利益になる民の部分がある。公衆衛生は官の大きな任務であり、美容形成は民の問題である。通常の診療は、医療保険制での共同負担(官)と一定割合の個人負担(民)の共存で成り立つ。医療機関も、官である国公立病院、民である私立病院、その中間の公的病院が混在している。

 このような制度設計の中では、公衆衛生の最大の課題である感染症流行の対処は官の仕事になる。民に負担させるならば、対価が必要である。官の病院ではボーナス満額支給なのに民の病院では減額というのは、民の病院にコロナ貧乏を強いる官権の不当な民業圧迫である。また、多数の病院が関与すると、院内感染の多発、他疾患への医療提供の遅れ(これも医療崩壊である)を招く。都のように医療機関が豊富な地域では、国公立病院の一部をコロナ専用病院とし、他の病院に依頼する場合にも数を絞り費用の補填を確実に行うべきである。こうすれば、コロナ貧乏と医療崩壊を防げるだろう。

 それにつけても、この感染症の始まりは中国である。流行初期には感染を隠蔽し、その間に各国でマスクを買い占めていた。その顛末が今である。日本はまだましな方で、世界中で壮絶な悲劇が進行中である。このまま行けば、近代医学以後の時代で最悪の感染症となるに違いない。これに対して、中国からは一言の謝罪もない。謝れば(慰安婦で日本が間違いを犯したように)果てしなく責任を取らされることが分かっているのであろう。しかし、もし立場が逆なら何を言われたか想像してみるがよい。人類が共通して矛先を向けるべきは、中国(の衛生行政の最終責任者)ではないのか。万一これが人智の及ばぬ天災ではなく、国際規定に違反して作られた人工ウイルスの人為的・人誤的流出だとしたら・・・。

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「武漢コロナ感染症」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事