中国機異常接近、大使呼び厳重抗議…外務省
YOMIURIONLINE 2014年06月12日 13時07分
外務省の斎木昭隆次官は12日午前、中国の程永華チョンヨンファ駐日大使を外務省に呼び、11日に東シナ海の公海上で起きた中国軍戦闘機による自衛隊機への異常接近について厳重に抗議し、再発防止を強く求めた。
斎木氏は、5月24日に続く中国軍戦闘機の自衛隊機への異常接近を重く見て、「極めて深刻に受け止めている。偶発的な事故の発生につながりかねない非常に危険な行為を二度と行わないように求める」と述べた。これに対し、程氏は「日本の飛行機が中国軍機に近づいたのが事実で、抗議は受け入れられない」などと反論した。
一方で、斎木氏が、空中や海上での偶発的衝突の発生や事態の拡大を回避するため、日中間でホットライン設置など「連絡メカニズム」の早期の運用開始を求めたことに対しては、程氏も「隣国同士として『連絡メカニズム』などを含めて、理解、信頼を深める措置を取るべきだ」と応じた。
これに関連し、菅官房長官は12日午前の記者会見で「再発防止を求めたにもかかわらず、今回も同様の事案が発生したことは極めて遺憾であり、許し難い行為だ」と批判した。
ミサイル駆逐艦など4隻とヘリ2機投入 リムパック初参加の中国海軍 相互見学も
MSN産経ニュース2014.6.9 14:37
9日付の中国人民解放軍の機関紙、解放軍報によると、中国海軍は8日、今夏の米海軍主催の環太平洋合同演習(リムパック)にミサイル駆逐艦と護衛艦、補給艦、病院船の4隻と、ヘリコプター2機が初参加すると発表した。
射撃演習や救援、潜水など7項目の演習に加わり、米軍などの艦船との間で相互見学を予定している。
演習は6月26日から8月1日までハワイ周辺海域で開催され、日本や韓国、インドなど23カ国が参加する。(共同)
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中国空軍機の日本に対する挑発がエスカレートしている。米国が軍事力をもって日本防衛に出ることはないし、日本は警告以外なす術がないとタカを括っているのであろう。中国の引き続く挑発行動は、習近平一派が目を外に転じさせるため、海底油田開発の強行は反対派が権力争の一環として習近平を試すために行っている可能性がある。。
リムパックは中露朝という共産圏諸国を仮想敵国と見立てて行われてきた米主導の多国間演習である。リムパック2012からロシア海軍も参加している。中国海軍のミサイル駆逐艦「海口」、ミサイル護衛艦「岳陽」、総合補給艦「千島湖」、病院船・和平方舟の4隻が6月9日正午、リムパックに参加するためそれぞれ三亜、舟山の軍港を出発した。中国海軍が多国間軍事演習「リムパック」に艦艇編隊を派遣するのは初めてである。これによってリムパックの仮想敵国は北朝鮮のみということになる。
中国海軍との合同演習実施の動きは、2009年に一期目のオバマ政権誕生直後からあった。
2009年3月3日付のオーストラリア紙のシドニー・モーニング・ヘラルドは、オーストラリアと米国が、中国に3カ国合同の軍事演習を提案することを合意し、中国の軍事的脅威の緩和や外交関係の改善が目的と報道している。
オーストラリアのヒュユ-ストン国防軍司令官と米太平洋軍のキーティング司令官がシドニーで3月1日会談、キーティング司令官は3カ国合同演習への参加を双方が個別に中国国防省に呼びかけることで合意したと同紙に語っていた。
中国の軍事力増強が純粋な防衛目的の範囲を超えているのではないかと米国とオーストラリアが懸念し、中国の意図をさらに知りたい、できるだけ早期に小規模な海陸演習などから開始できればとも述べている。リムパックに中露を参加させるという発想はオバマ政権一期目、米国防総省が発案したものである。
東シナ海及び南シナ海の資源開発を巡る米中石油メジャーの駆け引き
(東シナ海油田開発の経緯)
東シン海では日中と、南シナ海では中国とベトナム及びフィリピンとの対立が激しくなっている。東シナ海、南シナ海の資源開発巡る紛争のいずれにも、これら海域に埋蔵している莫大な資源獲得を目指す中国の石油企業と米国のメジャーが絡んでいる。
表面的には日中と、中国とベトナム及びフィリピンの対立のように見られるが、米中石油メジャーの獲物合戦の様相を呈している。以下、時を追って米中メジャーの動きの概要を記す。
1990年代前半、中国政府は、海底油田・ガス田探査専門の中国海洋石油(CNOOC)が自前の中国製探査船を使って独自に極秘探査を行った。その結果、南沙諸島の石油の推定埋蔵量を最大でサウジアラビア並みの2千億バレルと推測していることが明らかになった。これはサウジ、イラ ン、イラクなど中東地域を中心に描かれてきたこれまでの世界の石油資源地図を塗り替える出来事であった。
これを契機に中国政府は、米欧メジャーが有する探査能力、データ解析力で探査を再実施すれば、実際の埋蔵量は中国単独での結果を大きく上回る可能性があると判断し、メジャーの協力でさらに精密な探査を行い、採算の取れる開発を考えるようになった。米メジャーが長年蓄積してきた海底資源探査の先端技術が、米中石油企業を結びつけることになるのである。
著しい経済発展を遂げる中国は1993年には石油輸出国から輸入国へと転じた。このため中国政府はエネルギー確保の触手を遠いアフリカ、中南米 にまで伸ばしていった。このような中、近海で世界最大規模の埋蔵可能性が期待される南沙海域のエネルギー資源獲得への望みは膨らんでいった。
中国がまず目に付けたのが世界の石油埋蔵量の約4分の1を占めるとい見られている渤海湾と東シナ海の開発である。中国領海内での海底油田開発事業は1990年代半ばから北東部沖の遼東半島と山東半島とに囲まれた渤海湾を皮切りに、日本がその排他的経済水域(EEZ)の中間線を越えると抗議し対立するようになる東シナ海での開発へと拡大した。
中国は探査、採掘、商業生産に当たり、ことごとく米欧企業と連携した。石油メジャーとして中国へ一番乗りしたのは、フィリピン人のエデュアルト・マナラクが現地法人副社長を務めた米コノコ・フィリップスであった。
中国3大石油企業のひとつ、中国海洋石油と米石油メジャーのコノコ・フィリプスは、共同探査事業に取り組み1999年、渤海湾で中国の海底油田としては最大の「蓬莱19」を掘り当てその商業化に成功した。
その後、メジャーとしては英蘭系ロイヤ ル・ダッチ・シェル、米系ユノカルの2社が東シナ海で中国海洋石油と共同で探査を開始した。商業生産開始後の権益は中国側が51%を確保した。
事業は順調に進展するかと思われたが2004年9月、東シナ海の春暁ガス田開発事業に参加していたシェルとユノカルが撤退を突然宣言した。3ヵ月前から日本が中国に対し「両国の排他的経済水域の境界線を超える」として事業停止を求め日中間の大きな政治問題となっていたため、日中間の政治的紛争に巻き込まれるのを避けたのである。
中韓は中間線より日本側に鉱区を設けメジャーに売却
倉前盛通著『悪の論理』日本工業新聞社 昭和55年4月
2005年、ユノカルはブッシュ米政権に最も近い米メジャーであるシェブロンに吸収合併された。そのシェブロンは東シナ海事業と同様、フィリピン石油公社(PNOC)が取り持って、シェルと共同で2002年末から商業稼動した南沙諸島に近接するマランパヤ海域での天然ガス事業に参入している。
(南シナ海油田開発の経緯)
(1960年代)
南シナ海の海底油田に周辺国が関心を持ち出したのは1960年代後半である。南シナ海のほぼ中央部に点在し、居住不能な約100の極めて小さな島や岩礁などから構成される南沙諸島(スプラトリー諸島)の周辺海域・海底はかねてから漁業資源や石油・天然ガスの宝庫とされてきた。
1960年代後半に国連アジア極東委員会(ECAFE)の調査で、海底油田の埋蔵可能性が報告されると、中 国、ベトナム、マレーシア、フィリピン、ブルネイ、台湾の6カ国・地域が領有権を本格的に主張し始めた。
(1973年)
中国の南シナ海政策はベトナム戦争末期の1973年に米軍が撤退を宣言するとともに劇的に変化した。中国軍は翌1974年、南ベトナムが支配していた西沙諸島(パラセル諸島)に侵攻し同諸島の主島・永興島に軍事基地を建設し、南シナ海への覇権拡大の端緒を開いた。
(1990年代)
1990年代に入ると、中国政府が南沙諸島の石油の推定埋蔵量を最大でサウジアラビア並みの2千億バレルと推測していることが明るみに出る。これはサウジ、イラ ン、イラクなど中東地域を中心に描かれてきたこれまでの世界の石油資源地図を塗り替えてしまう大きな出来事であった。
(1992年)
大きな転機になったのは1992年のフィリピンからの米軍完全撤収だった。これによって生じた軍事的空白を好機とした中国は海軍の活動をにわかに活発化させ、米軍撤収直後から南シナ海で中国と東南アジア各国が領有を主張する南沙諸島(スプラトリー諸島)において中国軍の活動を活発化させ、フィリピンが領有権を主張する環礁(ミスチーフ礁)を占領して建造物を構築した。
1992年2月、中国政府は「領海法」を公布し、南シナ海のほぼ全域の領有を主張した。軍に「領海侵犯者を実力で排除する権限」を付与すると同時に、「外国艦船が通過する際には許可が必要」と一方的に宣言した。
(1999年)
米軍は1998年2月に調印され1999年に比上院で批准された「訪問米軍地位協定(VFA)」に基づいてフィリピン・ミンダナオ地方西部のバシラン島で米人宣教師夫妻らを人質にしているアブ・サヤフの掃討と人質救出を名目に米比両軍で半年間にわたり同島で軍事演習を実施した。
演習は名目で米軍はゲリラの掃討作戦に参加した。米政府がフィリピン南部に兵力展開した動機には周辺海域で実施される石油探査事業にむけた安全確保があった。
(2001年)
2001年にアメリカ同時多発テロ事件が発生すると、同年1月に就任したグロリア・アロヨ比大統領はクラーク・スービック両基地の再使用を承認し、アメリカの対テロ戦争に協力した。米政府は9・11発生後、フィリピン・ミンダナオ地方南西部を拠点とし、アルカイダと結ぶイスラム過激派、アブ・サヤフを海外テロ組織に指定して掃討の対象とした。
また、2000年半ばからマニラなどで頻発していた爆弾テロをイスラム原理主義過激派アブ・サヤフによる犯行と見ていたアロヨ大統領は、軍による掃討作戦を行っていたが、米軍もこれに参加して陸軍特殊部隊などがミンダナオ島などで軍事活動を行った。
米国にとってアフガンに次ぎフィリピンで対テロ戦争を継続することは既定方針だった。1991年9月に比上院が決定した在比米軍基地撤収と米軍完全撤退後、米軍のフィリピン回帰が悲願であり大義名分が立つからである。フィリピン南部のミンダナオ島南西部に米軍は対テロ訓練を名目に5千規模の米兵を常駐させ、念願のフィリピンへの回帰を果たした。
しかしながら、アブ・サヤフはフィリピン軍の攻撃や内部分裂で組織としては弱体化しているので、米軍の駐留はフィリピンを再び軍事的影響下に置くことで、活動を活発化させている中国を牽制する狙いがあると観察される。
(2002年4月)
2002年4月、フィリピン・エネルギー省で前例のない高官人事があった。フィリピンの名門校、国立フィリピン大学工学部卒業後、渡米して、米石油メジャーのコノコ・フィリプスで石油・天然ガス探査専門家として約30年勤続したフィリピン人エデュアルト・マナラクがフィリピン・エネルギー省の筆頭次官に就任した。
次官ポストの手取り額はせいぜい3万ペソ(7万円程度)の薄給にもかかわらず超高給で優遇されていた米大手石油企業幹部がフィリピン政府職員へ転職することは異例な出来事であった。
エデュアルト・マナラクは1995年に米国本社から中国現地法人のフィリプス石油中国公司(北京)に同公司副社長として派遣され、7年間勤務した。この間、中国3大石油企業のひとつ、国営中国海洋石油と共同探査事業に取り組み、1999年には渤海湾で中国の海底油田としては最大の蓬莱油田を掘り当て、その商業化に成功した。この功績によって彼は中国政界や業界と強いパイプを持つことになった。
マナラクが次官に転身したのは蓬莱海底油田の商業稼動が本格化して間もなくのことだった。マナラクは、南沙諸島海域での中国とフィリピンによる合同石油探査事業の実現と米石油メジャーが中比両国の合同探査に円滑に関与できるための調整役として米政府と石油企業に白羽の矢を立てられフィリピン・エネルギー省に送り込まれたのである。
フィリピン・エネルギー省によるとパラワン島、スルー諸島周辺の大陸棚は南沙諸島方面の海底にまで伸びており、南沙海域に近接するフィリピン領海内海底には最大100億バレルの 石油埋蔵が見込まれている。
エデュアルト・マナラクは次官に就任するやいなや、南沙海域に隣接または近接するフィリピン南西部海域を中心とする石油・天然ガス探査事業に初めて公開入札制度を導入した。この措置は世界に向けて南沙海域開発を宣伝する機会となった。
(2002年6月)
2002年6月に実施された米比合同軍事演習後、4千人以上の米将兵が対テロ訓練名目でミンダナオ地方南西部に残留した。これは199年の米軍完全撤収以来、10年ぶりの米軍のフィリピン再常駐を意味し、スルー海での資源探査・採掘の操 業に目を光らせる最前線となった。
この石油・天然ガス探査事業は米石油メジャーを中核に、欧州、豪州、そして中国の石油企業の参入を前提にしており、最終目標の区域内には南沙諸島南部海域の南シナ海、フィリピンとマレーシア国境周辺海域はアルカイダ系テロ組織の活動領域である。このことは、米軍のフィリピン南部における対テロ戦は同時に、米軍を後ろ盾にした米官民が石油資源争奪戦へ本格的に参入したことを意味した。
(2003年8月)
2003年8月に実施された第1回公開入札実施前にほぼ1年掛けて、フィリピン・エネルギー省、フィリピン石油公社(PNOC)PNOC代表団が米、英、豪を柱に米欧の主要都市を回り、“フィリピン領海での探査事業は将来の南沙資源開発の橋頭堡となる”とキャンペーンした。PR資金の出所は米官民だったはずである。
公開入札キャンペーンは、アングロサクソン系の米、英、豪3カ国を標的に、そこに本社を置く有力石油企業と最終目標である南沙権益の獲得、そのための「前哨戦」としてのフィリピン領海での探査に中国企業を抱き込むための協議だった。さらに海域がアルカイダと結ぶ東南アジア地域の広域テロ組織、ジェマ・イスラヤやアブ・サヤフなどの活動中枢に位置しており、操業の安全確保のため米、豪、英軍首脳と対策を協議することが主目的であったとみられる。
フィリピン領海内での探査、採掘事業に参入した中国企業は、中国3大国営石油企業のひとつ中国海洋石油だった。中国海洋石油はマランパヤ・ガス田の直下に埋蔵している原油の開発事業に関心を示した。
(2004年)
2004年9月1日、アロヨ比大統領は国賓として中国に招かれたが、その前日、大統領はフィリピン・エネルギー省の筆頭次官エデュアルト・マナラクを政府系企業では最高給が保障されるフィリピン石油公社(PNOC)社長に正式に任命し北京に同行させている。
(2005年)
2005年、リチャード・アーミテージ米元国務副長官は、コンサルタント会社を立ち上げた。日本、韓国、台湾、フィリピン、オーストラリアなど西太平洋域に位置する米同盟国・地域の政財界と米国との間の利害・権益の橋渡し役を務めている。
ウズベキスタンの米軍基地は2005年撤収した。中国政府には2004年の独立組織の結束による「東トルキスタン共和国亡命政府の樹立」による分離・独立運動の激化が影を落とし、南シナ海の南沙開発に向けて、米、豪両軍とテロ対策でメリットが大きくなった。中国は米、英、豪と並んでアルカイダグループの標的となったのである。
中国にとって、ウイグルを含む中央アジア地域、東南アジア地域・南シナ海へとエネルギーを中心に各種プロジェクトを展開する上で治安確保のため米国と協調することは極めて重要である。また、巨大な石油権益を確保するためのパートナーとして米欧メジャーと良好な関係が維持し、しかもイスラム対策を確固としたものにできれば一挙両得である。以後、米中の連携が強くなっていく。
(2005年6月)
2004年9月の中国海洋石油と米欧2社との東シナ海での共同事業契約の破棄は、翌2005年には米国の政界、業界、世論を大きく揺るがした中国海洋石油のユノカル買収騒動に連動した。中国の脅威に火をつけたのは、2005年6月17日付のブッシュ大統領あて書簡だった。
「大統領閣下。われわれは中国海洋石油が、米国の石油会社買収の意図を持っていることに重大な関心を寄せております」
書簡の主は、米下院資源委員会委員長のポンボ議員と軍事委員会委員長のハンター議員。両議員は、中国海洋石油が米大手石油会社ユノカルを買収すれば、米国のエネルギー安全保障に影響を与えると強調。政府が買収の是非をめぐる調査に入るよう要請した。
中国海洋石油はこの書簡から5日後、ユノカルに中国企業としては史上最大規模の約185億ドル(約2兆円)を正式に提案した。ユノカルは世界14カ国で天然ガスを生産しており、アジア地域では最大の液化天然ガス(LNG)拠点を持つ。事実上、中国政府の傘下にある中国海洋石油が買収に成功すれば、東シナ海での “エネルギー覇権” を国家戦略に据える中国にとって大きな魅力だ。
米国にとっても石油産業は戦略部門である。両議員に続き、大統領に買収反対の書簡を出したテキサス州選出のバートン下院議員は「ユノカルが買収されれば、アラスカやメキシコ湾の資源が中国に握られる可能性がある」と警告した。書簡の中で同社が持つ海洋資源の掘削技術が、軍事技術に転用されかねないとの見方もほのめかした。
ブッシュ政権は「国家安全保障上の観点からも好ましくない」との懸念を表明。結局、米連邦議会をはじめ「中国企業のユノカル買収を米国全体への敵対的動き」として捉え、神経を逆撫でされた米国民の反対ムードの異様な盛り上りで、中国側は買収を断念した。
米メジャーでは傍流に属したユノカルは、主流のメジャーが中東を向いてビジネスを拡大したのに対して、アジア鉱区の開発を重視し、カスピ海沿岸から中央アジアに至るまでその多くの鉱区が中国と隣接していた。この点に着目した中国は国策としてユノカルの吸収合併へと動いたが、米メジャーの先端技術を獲得する狙いも込められていた。
(2005年9月)
南シナ海・南沙諸島周辺海域での中国とフィリピンによる初の2国間共同資源探査事業は、フィリピン石油公社と中国海洋石油が事業主体となり実施することで合意に至り、胡錦涛国家主席、アロヨ大統領の立会いの下、両国の国営企業は3ヵ年にわたる事業契約に調印し、2005年9月から11月まで3カ国共同で探査が実施された。
南シナ海・南沙諸島周辺海域の資源開発は、米石油メジャーの中ではコノコ・フィリプスが先行していた。東シナ海の日中中間線海域での中国海洋石油との共同事業から撤退したばかりの米欧2社は、中国海洋石油の南シナ海・南沙諸島周辺海域の資源開発事業参入を妨害に出た。南沙開発の「前哨戦」と位置付けられたフィリピン領海での探査事業では米、中両国の企業間に大きな問題が生じた。
(2005年10月)
オーストラリアの東チモール周辺海域から南シナ海にかけてのエネルギー資源権益確保に対する執着には並々ならぬものがある。2005年10月、豪比国防相会議出席のため訪比したヒル豪国防相は、マニラ到着後直ちにミンダナオ地方西部サンボアンガ市にある比国軍南部司令本部に直行、その後、クルス・フィリピン国防長官と会談した。この会談で2007年から豪軍がサンボアンガ市南方のスルー海での米比合同軍事演習へ参加することが決まった。
南シナ海・スプラトリー諸島周辺海域で米、比、豪の3カ国の合同軍事演習に名を借りた共同軍事作戦が展開され始めた。ヒル豪国防相が国防相会談を後回しにしてフィリピン南西端のサンボアンガ市へ直行したのは、インドネシア・スラウェシ海と隣接するスルー海域の治安状況を現場で確認するためだった。
当時、フィリピン初の天然ガス商業化事業となったフィリピン最西端パラワン島北西沖のマランパヤ油田開発で企業連合を形成していたシェル、シェブロン、フィリピン石油公社の3社は天然ガス採掘契約時に、石油開発についても3社共同で実施すると合意していた。
ユノカルの買収騒動で敵となった中国海洋石油の油田開発参入の動きを知った米欧2社は「石油メジャーの採掘基準に達しない少量の1億バレル規模の原油採掘のリスクを考慮すると石油開発事業着手には同意できない」と主張して、石油開発に関してはフィリピン石油公社との契約を破棄した。
(2005年11月)
マランパヤ油田開発事業に関して、フィリピン・エネルギー省は2005年11月半ば、「精密探査を含め開発費用は10億ドル程度。1億バレル弱の原油の市場価値は最低でも20億ドル。十分に採算は取れる。入札応募期限は2006年6月と定めた」とし、シェル、シェブロンに代わる投資企業を公開入札で募ることにした。
ところが、アロヨ大統領は、この次官発言からわずか半月後の2005同年11月29日付で「マランパヤ油田開発参入企業選定で公開入札方式にするか随意契約方式するかはフィリピン石油公社社長の裁量に委ねる」との大統領令を発布した。このためフィリピン政府内は意思不一致、朝礼暮改で紛糾した。
この大統領令に基づき、マナラク・フィリピン石油公社社長はマレーシアを本拠とするミトラ・エナジー社と随意契約の形でマランパヤ油田開発事業をフィリピン石油公社と共同で行うことを決めた。 ミトラ・エナジー社は、マナラクの出身母体であるコノコ・フィリプスと米メジャー中堅のアメラダヘスが2005年設立した探査専門の合弁企業である。登記上の本社をカリブ海のタックスヘーブンであるバーミューダ諸島に置き、南沙海域の石油資源開発を最終目標に掲げ、中国政府中枢に最も深く食い込んでいるコノコ・フィリプスのダミー会社である。
ミトラ・エナジー社との随意契約は、「2006年6月を入札の最終期限とする」とのフィリピン・エネルギー省の方針を無視し反故にするものであったため関係機関高官らはこれに猛反発した。
(2006年)
中国海洋石油のユノカル買収騒動を通して米メジャー各社は、中国の技術上の弱みが極めて深刻であることを知り、南沙開発という巨大ターゲットに向けて中国企業が必ず対米協調へと動くシグナルと受け取った。この相互認識を基礎とする米中協調体制は2006年には早くもその構築に向け動き出した。 さらに注目すべきことは、フィリプスとユノカルなど米メジャー間の確執である。
海底埋蔵資源では屈指の探査技術力を有するコノコと米石油メジャーのうち中国国営企業との石油探査・採掘での提携関係でトップを走っていたフィリプスが対等合併してコノコ・フィリプスと改名して2002年に発足した。コノコ・フィリプスはマレーシアの首都クアラルンプールを東南アジア地域の拠点としており、2005年には南沙諸島海域での石油資源開発を最終目標とするエネルギー資源探査専門企業ミトラ・エナジー社を同じくクアラルンプールに設けた。
コノコ・フィリプスは、エクソン・モービル、シェブロンに次ぐ、米石油メジャー3位の座にのし上はった。コノコは中国にとってさらに魅力あるパートナーとして成長したのである。
2006年3月、リチャード・アーミテージ米元国務副長官はコノコ・フィリプスの筆頭社外役員に就任した。サウジアラビアに匹敵する石油埋蔵を見込まれている南シナ海・南沙諸島海域における米中両国の権益調整にあたるためと観察される。
ユノカルを吸収合併して多大なアジア権益を手に入れたシェブロンは、ブッシュ政権とつながりの深い主流メジャーである。シェブロンはトップメジャーのエクソン・モービルを巻き込み、猛烈な反撃に出た。ターゲットは、最大の障壁となっていたコノコ・フィリプスとフィリピン石油公社(PNOC、マナラク社長)及び中国海洋石油で形成されていた排他的企業連合を解体し再編することであった。
(2006年6月)
エクソンとシェブロンは南沙開発の大事業をフィリプスの独走を阻止するため、中国及びフィリピンの政官界及び政府関係企業上層部に金をばら撒きミトラ・エナジー社の排除を図ると共に、この動きに合わせるようにブッシュ政権はフィリピン政府に対しフィリピン石油公社のマナラク社長の解任を迫った。
フィリピン大統領府と政府関係機関は、フィリピン石油公社とミトラ・エナジー社の合弁事業契約を強引に解消するため、2006年6月17日付で「マランパヤ石油開発事業は公開入札で実施する」との大統領令を発布した。
初のフィリピン進出を果たした中国海洋石油はすでに2006年8月から探査活動を始めていたが、アロヨ大統領は2006年10月、フィリピン石油公社のマナラク社長が出身母体のコノコ・フィリプスに肩入れしすぎていたので、社長としての使命が終わったとの理由で解任した。
とことが、マナラク社長は2006年1月に北京を訪問、マランパヤ海域南西に隣接する海底石油探査鉱区で中国海洋石油とミトラ・エナジー社との合弁で、しかも随意契約方式での石油探査事業を実施することで合意していた。
マナラク社長の存在なくしてマランパヤ油田開発事業をめぐるミトラ・エナジー社とフィリピン石油公社との契約はあり得ないことであるが、当初はコノコ・フィリプスの意向に沿うかのように動いていたアヨロ大統領は、米政府と反フィッリプス連合による圧力で180度態度を転換したのである。
ミトラ・エナジー社は、政治力を持つシェブロン、エクソンの巻き返しあい妥協へと変わっていった。元々、マラナクのフィリピン・エネルギー省次官就任に伴い導入されたフィリピン領海内での石油探査事業の入札にいち早く応じ2004年に落札したのは、米ユノカル(2005年、シェブロンに吸収合併された)、豪系BHBビリトン、アメラダへスの企業連合であった。
米政府に疎んじられていることを危惧したコノコ・フィリプスは反フィリプス連合との和解の方策として、ミトラ・エナジー社、エクソン・モービル、シェブロンの3者連合による合同探査事業へと転換した。
探査対象海底はマレーシア・サバ州沖のマレーシアとの境界海域の鉱区「サンダカン海盆」で、原油の推定埋蔵量は5億バレルとフィリピンでは最大級である。
(地図をクリックすると拡大) 昭文社『なるほど世界知図帳 2005』
ミトラ・エネルギーとシンガポールに探査専門会社を設けている世界最大の非鉄金属資源採掘企業である豪BHPビリトンは、メジャー最大手のエクソン・モービルと業務提携している。このため、エクソンはビリトンから探査権の譲渡を受け、フィリピン・エネルギー省に「サンダカン海盆」の探査事業への参加を申請した。 吸収したユノカルの権益を受け継いだシェブロンも探査事業を行っていると見られる。
このようにして、コノコ・フィリプス(ミトラ・エナジー社)、シェブロン、エクソン・モービルの米3大石油メジャーが合同して南沙海域の本格適開発の最前線、サンダカン海盆鉱区の探査事業が着手されることになった。 南沙海域開発に向けた米石油メジャーの合従連衡が形成されたのである。
(2006年8月)
マナラク氏解任直前の2006年8月下旬から9月中旬までの約3週間、米3大石油メジャーと連携するようになったミトラ・エナジー社は中国国営海洋石油とフィリピン最西端のパラワン島北西部の1万平方キロ弱の鉱区で共同探査活動を実施した。契約では2006年から7年間にわたり探査が実施されるとなっている。
しかし、この米、中2社のフィリピンでの合弁事業については契約も探査着手も公表されルことも無く、中比共同探査では中国が探査船を調達したとされたが、外国船なのか、中国船なのかは明らかにされていない。中国海洋石油の幹部や技術者らがミトラ・エネジー社に出向しているとの情報もある。米中企業は極秘で探査活動に着手しているものと推察される。
(2007年)
2007年1月にはブッシュ大統領の腹心である中東問題の専門家・カレン・ヒューズ米国務次官、ファーゴ米太平洋軍総司令官などブッシュ政権の要人や米軍トップによる南沙諸島に近接するフィリピン南部ミンダナオ地方スルー諸島の視察が相次いだ。南沙諸島の海域の油田開発を視野に入れたテロ対策のための視察であった。
2007年3月、上記の南沙海域隣接のフィリピン領海内における探査事業に米エクソン・モービルは最新鋭の3次元探査船を投入した。
ミトラ・エナジー社との連携を通じてコノコ・フィリプスと手を結ぼうとしているシェブロンにとって、中国海洋石油は南沙海域の本格的開発への最重要パートナーとなった。
以上の経緯を見ると、米3大石油メジャーは、中国とフィリピンの共同調査を隠れ蓑として米中4社の合意で導入した最新鋭探査船を密かにフィリピン領海から隣接の南沙諸島海域へと進入させ、精密なデータの収集に着手しているとものと観察される。
フィリピンでの米中共同探査が極秘裏に進められている理由もそこにあるのではないか。米中両国ともに最終目標とする南沙開発の大前提となる海底石油資源の精密探査は、両国企業による円満な協力によってのみ達成可能と確信している。
アフガニスタンから開始された対テロ戦争は、現在エネルギー資源確保と一体となって進められている。米国にとって中国と東アジアの国々が対立していようとも、海底資源を獲得できればいいのだ。島々の領有権は関係各国がうまく解決すればいいだのだ。米国がその軍事力をもって“同盟国・日本を守る”と考えるのは誤解か幻想のようなもの、これが、米国の「アジア回帰」戦略の実態である。
【続く】「中国とベトナム・フィリピン及び日本との対立激化、米中は海底油田獲得で連携 (下)」