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前世療法とは何か

2010-08-02 00:36:32 | 高森光季>スピリチュアリズム霊学

 すでに一度お知らせしましたが、
 今週、8月5日(木)19:57~20:54 フジテレビ系「奇跡体験!アンビリバボー」で、
 「催眠による真性異言」の場面を捉えた、貴重な研究が紹介されます。
 この研究は岐阜県の催眠療法家・稲垣勝巳氏が、クライエントの里沙さん(仮名)を対象に行なったもので、里沙さんは、ネパールの「ナル村」で村長として生きた「ラタラジュー」という男性であった過去世を語り、その証言はかなりの信憑性を持つことが明らかになりました。さらに里沙さんは、催眠によって前世人格に戻り、ネパール語によって、ネパール人と会話をしました。
 前世の言葉を話すという「真性異言」の実例は、世界でも数例しか報告されていない稀なものです。またその場面を記録した映像は、おそらく世界初ではないでしょうか。その記録映像が放送される予定です。
 ちなみに、里沙さんは、もう一つ、江戸時代の上州渋川村で生きた少女の前世を語り、これも非常に高い確率で史実と符合しました(この記録は稲垣勝巳著『前世療法の探究』として刊行されています)。

 この機会に、前世療法、生まれ変わり研究、催眠、といった主題とスピリチュアリズムとの関連について、TSLホームページの内容を一部抜粋しつつ、紹介していきたいと思います。
 まず今回は前世療法について。

◆前世療法の歴史

 前世療法は、退行催眠によって出生以前にさかのぼり、さらに「あなたの現在の症状に関係した過去の人生があるなら、そこに行ってみましょう」という誘導によって、過去生らしき記憶が出てくるというものです。そして、それによってクライアントの抱えていた心身症状が軽減するという効果があるとされています。
 退行催眠によって前世記憶の想起が可能になるという「発見」は、すでに19世紀のフランスでなされていたようですが、1956年にアメリカで起きた「ブライディ・マーフィー事件」は、このことを広く知らしめる契機になりました。
 モーリー・バーンステインという催眠術師が、ヴァージニア・タイという女性に退行催眠をほどこしたところ、彼女は、アイルランドに暮らし、1864年に66歳で死んだブライディ・マーフィーという女性の前世を想起し、建造物や自然地形を始め様々な記憶を語りました。ヴァージニアはアイルランドを訪れたことがないのに、そこで語られた情報は、調査をしてみると驚くべき一致を見せました。そしてこの実験は『ニューヨーク・タイムズ』を始めとするメディアで大きく取り上げられ、全米およびヨーロッパで話題となったのです。
 これ以降、様々な医師や催眠療法士が、「前世退行」の研究を開始したものと思われます。「ブライディ・マーフィー事件」は、ちょうどスピリチュアリズムにとっての「ハイズヴィル事件」のように、ある時代の幕開けを告げる事件だったのかもしれません。(この事件に関しては、モーレー・バーンステイン著『第二の記憶』光文社、1959年を参照)
 1970年には、イアン・スティーヴンソンが生まれ変わりの綿密な調査研究論文を発表して話題となり、再生問題は広い関心を集めるようになりました。その頃から、ホイットンやウィリストンといった催眠療法家は前世療法を試みていたようです。イギリスでも1979年に、ピーター・モスという催眠療法家によって『Encounters with the Past』という前世記憶に関する本が刊行されています。
 ところが、前世療法に関する書物は、なかなか刊行されなかったようです。生まれ変わりは、キリスト教ではタブーとされていることなので、ブレーキがかかったのかもしれません。
 そこに、触媒として登場したのが、ムーディの『かいま見た死後の世界』を皮切りとした、臨死体験に関する本でした。後に前世療法の本を刊行するホイットンもワイスも、ムーディの研究とその大きな反響に促された旨のことを述べています。前世療法を実施していた療法家たちは、クライエントの語る死直後の記憶が臨死体験の報告と共通性を持つことを発見し、死後の世界への確信を深めたようです。
 1980年代に入ると、死後存続問題へのまなざしはいっそう高まることになります。よく引用されるデータですが、1982年のギャラップ世論調査では、輪廻転生を信じる人は23%に昇りました。輪廻説を一切認めないキリスト教の国で、この数字はきわめて高いものと言えます。そして、1983年にグレン・ウィリストンの『Discovering Your Past Life』、86年にジョエル・ホイットンの『輪廻転生』が刊行されます。前世療法専門の学会ができ、会報誌も刊行されるようになりました。
 前世療法が一大ブームを巻き起こしたのは、88年のワイスの著書『前世療法』によってです。ワイスは普通の医師・催眠療法家で、死後存続や輪廻説に関する知識は全くなく、1980年、偶然の手違いから患者の「前世想起」に出会い、疑いを抱きつつ探究の道に入ることになりました。「手違い」とは、「あなたの症状の原因となった幼い頃の出来事に戻りなさい」と指示するところを、ただ「原因となった時まで戻りなさい」と指示したため、クライエントは何と紀元前19世紀に生きた女性の人生を語り出した、というものです。一人の患者をめぐっての未知の探究プロセスを描いた同書は、ミステリアスで感動的な物語として、多くの読者を引きつけました。
 これ以後、前世療法は一大ブームとなり、かなりの大衆的人気を獲得しました。アメリカはもちろん、日本でも人気があり、現在、100近い機関が前世療法を実施していると見られます。
 一方、前世療法に関する批判も多く出されています。死後存続や輪廻説などをはなから否定する唯物論者が、前世療法を批判するのは当然のことです。また、一般の催眠療法家にとっても、前世療法は目障りな存在のようです。そもそも催眠というものは、一般人からは偏見を持たれやすいものです。「正規の催眠療法」を自認し、現在の科学体系に加わろうと必死に苦労している催眠療法士にとって、前世療法は世間の白眼視をさらにひどいものにする、けしからぬ存在と映るのも当然です。
 このように、大衆的な人気があり、アカデミーや正統を自負する人々から白眼視されるというのは、どことなくスピリチュアリズムと似ているようですが、そこには何か符合があるのかもしれません。

◆前世療法の謎

 前世療法は、療法家の誘導に従ってクライエントが前世の記憶を想起し、それによってクライエントの症状が改善されるというもので、基本的には心理療法の形式です。その際、クライエントは、想起した前世が、自分の前世であるという確信を持つようです。
 前世療法に関しては、様々な研究点があります。まず、前世記憶は真実なのかという問題があります。これは、記憶として語られたことは実在の歴史のことか、という問題と、それがクライエント当人の生であるのかどうか、という問題です。さらに、前世療法で症状は本当に治るのか、治るとしたらそれはどうしてなのか、という問題もあります。
 これらは厳密に突き詰めようとすると、きわめて難しい問題です。通常、前世療法は、心理的症状を抱えたクライエントに行なわれ、「前世想起」によって、症状が寛解すれば、療法として意義があったことになります。そこで出てきた前世記憶が真実かどうかは、治療的には大きな意味を持ちません。クライエントが主観的にそうだと思えば、それでいいわけです。
 ですから、ワイスにしろホイットンにしろ、前世記憶の実証性の追究は、まったく不十分です。ウィリストンは、いくつか、実際に史実と符合し、しかも通常の方法では得ることがほぼ不可能な想起があることを紹介していますが、厳密な立証の記述はありません。
 催眠で想起された前世記憶と歴史的事実との符合を研究したものとしては、イアン・スティーヴンソンの「真性異言」の二例など、非常に少なく、日本での研究としては稲垣勝巳『前世療法の探究』があげられる程度です。
 まして、その記憶が果たして当人のもの(当人が生きたもの)かどうかという問いは、哲学的で難解な問題を引き起こすので、はなから問われていません。
 症状の寛解に関する検証も、意外と曖昧なところがあります。想起したことで劇的に効果が現れるケースが多く紹介されていますが、果たしてその効果が持続するのか、追跡的な調査がなされているかは不明です。また、なぜ症状が寛解するのかという問いは、心理療法におけるすべての場合と同様、仮説の域を出ません。ある仮説によって治療し、治ったとしても、厳密にその仮説が正しいと立証されるわけではないのです。
 このように、前世療法をめぐっては、謎がたくさんあります。ただし、クライエントが、自らが前世に生きたことを実感することで、死後存続を確信し、死を恐れなくなり、さらには自らの人生の意味を知るということは確かにあるようです。このような自覚は、臨死体験の場合と同様であり、その意味で、臨死体験も前世療法も、主観的な体験として、死後存続への道を開くものだと言えるでしょう。

◆前世療法とスピリチュアリズム

 今述べたように、前世療法は、クライエントが前世を想起し、それによって症状の改善や霊的な自覚が生まれるという基本構造になっていますが、それは単にそこにとどまるものではないように思われます。もちろん、魂がいくつもの生を生きるということを実感することは、それだけで大きな意味をもつものです。しかし、そこには、さらに深い情報が含まれているのです。
 それが、「中間世」と「超越的存在者」の問題です。
 中間世(中間生とも。interlife, between-life)とは、一つの人生が終わって、別の人生へと生まれ変わるまでに、留まる世界だとされます。前世を想起しているクライエントは、死の次の瞬間、魂が肉体を離れ、光に吸い寄せられるように上昇し、きわめて心地よい、輝きに満ちた世界に移行すると報告します。そしてそこには、次の生としてどのようなものを選ぶべきか、助言・指導してくれる「偉大な存在」がいるとも言われます。
 この中間世問題をクローズアップさせたのが、ホイットンの研究でした。
 ホイットンは多くのクライエントの報告を総合して、次のように説明します。
 中間世に移行した魂は、「裁判官」「ガイド」などと表現される高度な存在に出会い、今過ごしてきた一生を回顧し、省察します。そして、「どのようなカルマの負債があるのか、またどんな点を学ぶ必要があるのか」を自覚すると、さらなる成長を求めて、やはり高度な存在からの助言に学びつつ、次の人生を選択します。つまり、生まれ変わりの目的は、やりそこなったこと、失敗したことの「負債」を返し、さらなる「学び」をすることだとされているのです。
 このような考え方は、ウィリストンにも見られます。彼もまた、生まれ変わりは魂の成長と進化のためにあると述べ、人生はそのための学校のようなものだと述べています。ちなみに彼は次のようにも言っています。
《「生まれ変わり」を「進歩」そのものだと考えるのは、誤りです。「生まれ変わり」によって与えられるのは、「進歩の機会」にすぎません。「進歩」が約束されるわけではないのです。》
 こうした考えは、ほとんどスピリチュアリズムそのものです。中間世は霊界の部分的な記憶であり(スピリチュアリズムの霊信が伝えるような霊界自体の詳細な記憶を語る例も稀にあるようです)、「偉大な存在」は、「守護霊」「指導霊」そのものです。用語が異なることと、死者がすぐに行くことができないような高い霊界の情報が欠けていることくらいが違いです。

 中間世の問題は、多くの謎を含んでいます。ホイットンの本では、「中間世の体験を何回も重ねるにつれ、病気や心理的な問題が治った人々もいる」と述べられ、さらに次のような記述があります。「ホイットン博士は中間世の人間の意識が、今生での過去に退行したり前世に退行したりしているあいだに経験する意識より、はるかに高い程度に達することを知った。……この並はずれた知覚状態を『超意識』と名づけている。」
 単純に考えれば、退行催眠中に想起されるのは過去の出来事であり、前世はもとより、中間世の体験も、記憶としてとどめられたものということになります。催眠状態では、イメージは際立った鮮やかさと直接性を帯びるため、想起しているクライエントが、かなりその中に没入するということは、当然ありうることです。しかし、現世や前世での通常の意識よりはるかに高い「超意識」状態に達するというのは、記憶イメージの想起で可能になるものでしょうか。中間世に導入されたクライエントは、「光に包まれて幸福を感じている」とか「肉体も性別もなくなって、きわめて心地よい状態にいる」などといった感想を述べ、さらに通常意識では見られないような、人生に対する哲学的な考察や霊的に高い内容を述べたりもしますが、それは、「記憶を想起している」だけなのか、それとも、「現に中間世にいる」のか、判定するのは微妙な問題のように思えます。

 さらに謎めいているのが、「偉大な存在者」の問題です。霊魂説を否定したい研究者は、これを「高位自我(ハイアー・セルフ)」」と捉えようとしていますが、これはかなり苦しい解釈でしょう。それまでの人生を省察することを命じ、次の生を選ぶ助言もするというこの存在は、明らかに他者であり、まさしく「守護霊」「指導霊」に近い存在です。ところが、この「偉大な存在者」も、「中間世での記憶」とは言い切れないありようを見せるのです。つまりクライエントは、「光に包まれた世界でこういう存在にあって、こういうことを言われた」といった、記憶の報告をするのみならず、実際に中間世の場面に今いて、その存在と話しつつ、そこから得られた情報を口にしているという状態になることがあるからです。また、ワイスの本の最後の場面のように、「偉大な存在者」が、クライエントの口を借りて、治療者へのメッセージを語るといった場面もあり(このようなシーンは日本で前世療法を行なっている治療者も報告しています)、こうなると、「偉大な存在者」は記憶の中に出てくるものというのではなく、現にそこに出現しているものとなります。

 これらのことを考えると、前世療法における中間世の状態は、特異な意味を持つことになります。それはクライエントの記憶の報告ではなく、クライエントがその瞬間、中間世――つまりはこの世を超えた世界――へ部分的にであれ移行していることになるのかもしれません。そしてそこで、その瞬間に、この世を超えた世界にいる「偉大な存在者」と直接的なコンタクトを持っているのかもしれません。クライエントがその状態を、光に包まれた、至福の状態と表現し、ずっと留まりたいとさえ告白すること、またその状態に入ること自体が治癒効果を持ち、クライエントの意識の豊かさ(ないし霊的叡智)を増大させるということは、上記のことを証左するものなのではないでしょうか。
 とすると、前世療法は、単に自らの前世の記憶を甦らせ、それによって「霊魂の不滅」を納得したり、生まれ変わりの仕組みや人生の意味に関する「偉大な存在者」の教えを思い出して、生きることへの霊的な自覚を再獲得する、といったことがすべてではないのかもしれません(それだけでもたいしたことでしょうが)。
 前世療法は、催眠を通して「この世を超えた世界」に現在進行形で触れ、「守護霊」と現在進行形で交渉することによるものだと、考えられるかもしれません。前世療法の顕著な治療効果は、そこに由来するものなのかもしれません。
 とすると、前世導入催眠とは、特に中間世導入催眠とは、「記憶想起」ではなく、現時点的に起こる「霊界との接触」、つまりは一種の「交霊会」なのかもしれません。あまたの宗教的営為が求めていた、超越世界との接触、高位霊との交渉が、催眠という形でそこに手軽に現出しているのかもしれません。――ただし、このような仮説は、きわめて大きな心理的抵抗を引き起こすものでしょうから、ほとんどの人が否定するでしょうが。
 前世療法は、優秀な霊媒や、特殊な事故や病気に頼らず、多くの人が「死後存続」と「魂の実在」を実体験できる、新たな道なのかもしれません。あるいはひょっとすると、前世療法のこれほどのブームは、霊界側からのある種の働きかけによってもたらされているのかもしれません(そこに悪しき霊的影響も働く可能性がありますが)。前世療法が、一方で人気を博しながら、正統・主流派からはきわめて強く異端視・白眼視をされていることは、このことと何かしら関係があるのではないでしょうか。


 なお、中間生と霊界の問題については、TSLホームページ各論編「中間世セラピーと霊界探究――マイケル・ニュートン著『死後の世界が教える「人生はなんのためにあるのか」』『死後の世界を知ると、人生は深く癒される』の紹介」http://www.k5.dion.ne.jp/~spiritlb/3-11.html もご参照ください。

【前世療法に関する推薦図書】
グレン・ウィリストン+ジュディス・ジョンストン/飯田史彦訳『生きる意味の探究』徳間書店、1999年(編抄訳)[1983, 1998]
ジョエル・L・ホイットン他/片桐すみ子訳『輪廻転生――驚くべき現代の神話』人文書院、1989年[1986]
ブライアン・L・ワイス/山川紘矢他訳『前世療法』PHP文庫、1996年[1988]
ブライアン・L・ワイス/山川紘矢他訳『前世療法2』PHP文庫、1997年[1992]
マイケル・ニュートン/澤西康史訳『死後の世界が教える「人生はなんのためにあるのか」』VOICE、2000年
マイケル・ニュートン/三山一訳『死後の世界を知ると、人生は深く癒される』VOICE、2001年
稲垣勝巳著『前世療法の探究』春秋社、2006年


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2 コメント

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前世療法 (アラム)
2011-01-10 18:05:08
>前世療法は、催眠を通して「この世を超えた世界」に現在進行形で触れ、「守護霊」と現在進行形で交渉することによるものだと、考えられるかもしれません。前世療法の顕著な治療効果は、そこに由来するものなのかもしれません。

もう一つの可能性があるように思われます。
施療法者がガーディアン・スピリットやガイド・スピリットととの協力態勢が整っている場合に限られるかもしれませんが、暗黒界層や中間界層に囚われている類魂に所属する分霊の一つである未浄化霊の呪縛を解き、光の世界へ導いている場合もあるのではないでしょうか。

「彼女を治療する過程で、彼女が直前の過去世において、獰猛で、情け容赦のない海賊だったことをつきとめました。この海賊は、死んだ後に地獄に墜ちました。そして、女性として今回生まれた後も、この海賊の部分が、魂の断片としてこの女性の内部にいわばカプセルに入ったような形で埋め込まれていたのです。彼女は、この海賊に対し、あなたはもう死んでいるのよ、と教え、天上界に向かって昇って行くようにと説得しました。この海賊は言うことを聞いてついに光の世界へと上って行きました。こうして、この女性は、暴力的な言動から解放されたのです」(『光の剣』 クリスチアン・タル・シャラー 著 浅岡夢二 訳 ハート出版 P93)

これはサークルでの「救霊活動」と同じようなものであると言えるのではないでしょうか。

また、退行催眠の中では、「記憶の書き換え」というような方法もとられることがあるようですが、これも本人の心境の変化によって環境が変化する霊界ならではのものではないでしょうか。単なる記憶、イメージの変更ではなくて。

『光の剣』で用いられている技法は、霊界に住む医師のロー・ファンから伝えられたものだそうです。

前世療法のやり方自体が霊界のガイドに導かれてのものであった可能性があります。

「完璧にセラピーを行なうには、セラピストは、自分のガーディアン・スピリットやガイド・スピリットたちの指導が受けられなければなりません。しかも、クライアントに対しても、そういった指導が受けられるようにしてあげなくてはなりません」
(『光の剣』 P56)

「死後存続」と「魂の実在」の実体験というのみではなく、「守護霊・指導霊との交流」、さらに「救霊活動」の側面も含んでいるものかもしれません。

ブライアン・L・ワイス博士の場合もマスターが関与しているようですから、このようになっている可能性があると思われます。

>果たしてその効果が持続するのか、追跡的な調査がなされているかは不明です

前世療法を体験して治癒・改善が見られたクライアントが、再び症状のぶり返しや悪化があったりすれば、その事を報告してはこないでしょうか?
その報告例が見られないということは、効果が持続したと考えられるのではないでしょうか。

「彼女の閉所恐怖症は消え、二度とぶり返しませんでした」(『魂の療法』ブライアン・L・ワイス 著 山川紘矢・亜希子 訳 PHP研究所 P65)

このようなことは追跡調査 または クライアントとのその後の交流がなければ断言できないのではないでしょうか。


前世の想起が現実の歴史と符号するかということですが、別々の時期に、複数のクライアントが、退行を受けて、共通した時代、共通した様子について語ったという報告のものはないのでしょうか?

それが歴史的事実と符合していれば、信憑性が高いと思われます。
 





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Unknown (高森光季)
2011-01-11 00:18:49
興味深い仮説ですが、この説だと、前世人格を単なる「記憶の束」ではなく「準人格」と見なすことになりますね。それはおそらく真実に近いのかもしれません(ちょうど先頃私も、稲垣勝巳先生の「真正異言のケース」をめぐってそういう議論をしていました。mixiの「前世療法の探究」コミュ内「前世人格と憑依の指標の試論」http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=55750215&comm_id=2399316)が、そうなると「私」と前世人格とは別個となって、単純な生まれ変わりの考え方ができなくなるので、ちょっと大変なことになるように思われます(「私」や自己同一性の問題を組み直さなければならなくなる)。現在の前世療法の場面ではここまで突っ込んだ議論はまずできないように思われます。
前世人格の準人格的出現もありうるし、ご指摘のようにその救霊というケースも確かにあるとは思いますが、単に記憶想起だけの場合もあるようですし、なかなか一筋縄ではいかないように思えます。また、「なぜ治るか」という議論は非常に難しいもので、実証的な議論が成り立つかどうかも疑問です(心理療法全般に関しても同じ)。

 なお「霊的存在が前世療法のやり方自体を示唆するケース」は、稲垣先生も自らの「SAM法」に関してそのことを報告されています。ただ、そのこと自体は前世療法の意義自体とは直接関係ないかもしれません。

「追跡的な調査」の問題は、個々にそういうことがあったかどうかではなく、前世療法に関してそういう実証的な研究(医学ではしばしばなされる)がなされたことはないのではないかということを言っているだけです。前世療法の現場では実証性の追求という意識は驚くほど希薄で、ワイスなどもお話になりません。
療法家の多くは、想起された記憶が史実と符合するか調査するという意識さえ希薄のようで、そういう研究は管見では数えるほどしかなく、「複数の証言が同一の事実を報告」というケースも、記憶にありません。「アトランティス」とかに関してはあったかもしれませんが、それでは「事実」かどうか検証できませんし。
ただ「時空的に離れた複数の証言が同一の事実を報告」したとして、それが信憑性を高めるかどうかは、ちょっと疑問です。「信憑性」というのも、「超ESP仮説」までを含めるとなると、相当ハードルが高くなってしまいますから。
稲垣勝巳先生は実証性問題に関して非常に意識の高い方で、そこで報告された真性異言のケースは、超ESP仮説をかなり強力に反駁できるものとなっていると思います。
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